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15.Conspiracy

(この国を……滅ぼす!? 帝国が!? 何だ、あの男は何を……誰と話している!?)


 悪臭漂うクローゼットの中で、必死に口を押さえつけながらアイシアは、執務室で騒がしく、一人で喋っている男を凝視する。

 どすどすと苛立った様子でレギンは床を踏み鳴らし、手にした宝石に怒鳴り続ける。


「もう相当な数の毒を川に流したんだ……真面に動ける人間が残っていたとして、それが何になる。大陸最大の勢力を誇る帝国軍が、毒で弱った一領地に後れを取るのか? あ?」

(川……毒!? 毒を川に流したのか!? あの男、どれだけ卑劣で最低な行いを……いや!)


 べらべらと盛大な声で、しかしと鳴り止下の部屋には届かないよう抑えた声で話すレギン。

 アイシアはその内容に嫌悪で顔を歪め、しかし途中で気づいたある可能性に、愕然と目を見張る。


 ツーベルク領には、中心に一本の川が流れている。

 清らかな水質を保ち、領内にある湖に流れ込んでいるその川は、領民にとっての生活用水としても利用される、重要な資源である。

 そのために水生生物の数も種類も豊富で、各家の食卓に魚料理が並ぶことは非常に多い。ツーベルクの風物詩として他領地でも有名になるくらいには、水産物が行き渡っていた。

 他領地が飢饉に陥った時にはその生物を捕らえ、食糧として一時的に供給したこともあるほど、自然の恵みに富んだ環境を有している。


 そしてその川の上流は、帝国とツーベルク領の境目に流れていた。


「一度に生産できる毒を全て流したところで、大した効果は見られない……しかし、何度も何度も毒を摂取し続ければ、体内に蓄積しある日突然牙を剥くようになる。原因がわからなければ、誰も思わないだろうなぁ―――疫病ではなく、毒を盛られていたなどとは」


 ぎり、と食いしばった歯が軋みをあげ、それすらも抑えようとアイシアは自分の膝に爪を突き立てる。

 逃げ場のないクローゼットの中を見られれば一巻の終わり。レギンがどれだけ自爆しようとも、敵の懐であるこの場でそれを追及したところで、揉み消されるのが定め。

 今すぐにでも殴りかかりそうになるのを必死に堪え、アイシアは続けて耳を澄ました。


「まさか、あんた方が教えてくれた毒がこうも効くとはな……これに侵された人間は、長い間熱と痛みに苦しみ、なかなか死ねずに生き続けるんだろう? えげつない物を作ったものだ」


 書類が乱雑に置かれた、ろくに整理もされていない机に着き、レギンは魔道具越しに嗤いかける。

 引き出しの奥にしまわれていた小瓶を取り出し、チャプチャプと中の液体を揺らしながら、くつくつと喉の奥を鳴らした。


「これでもう、ツーベルクの防衛力は半減した。兵士だろうが平民だろうが、ほとんどの人間が毒に侵され、案山子同然……素人でも簡単に殺せる的の出来上がりだ。あとはあんた方帝国の軍勢が真っ直ぐに進軍し、途中のツーベルクを踏み潰し、王都に攻め込む。それだけでもう、この国は終わる。簡単な話だ」


 ぎしぎしと、凭れ掛かった椅子を鳴らし、レギンは未来の予想を上機嫌に語る。

 しかし、耳につけた方の魔道具から聞こえてくる声に、鬱陶しそうに眉間にしわを寄せ、ちっと舌打ちをこぼした。


「だから……もう必要な分の毒は流しただろう。現に、ツーベルクの小娘が態々やって来たように、疫病と呼ばれて領内に広まっているんだからな。たかだか一回分、毒の荷車が届かなかっただけで、何故こちらが責められねばならん……ああ、そうだともそうだとも」


 クローゼットの中にいるアイシアでも聞こえるほどに、魔道具の向こう側にいる何者かは苛立った声を上げている。

 レギンは渋い顔でそれを聞き流し、鼻をほじりながらそっぽを向く。

 暫く罵倒のような、責めるような声は続いていたが、唐突にそれは止み、代わりにレギンがフッと息を吐いて、何度も頷き始めた。


「…ああ、わかった。小娘共の事はこっちに任せておけ。奴らは薬の事がある限り、こちらに対して強く申し出られない。しばらくはここに閉じ込めておいてやる」


 ぎしっ、と椅子を立ち、レギンは執務室の出口に向かって歩き出す。

 その際見えた彼の目は―――筆舌しがたいほどに、悪意に満ちた醜悪な光で埋め尽くされていた。


「全てが終わったら……小娘はお前達にくれてやる。あの上物の従者は、私が貰って楽しませてもらうがな」


 くつくつと嗤い、肩を揺らし、レギンは軽い足取りで部屋を後にする。

 バタン、と扉が閉じられ、やけによく響いて聞こえる足音が徐々に遠くなっていく。


 そうして少し時間が経ってから、アイシアはクローゼットの中から飛び出した。


「はっ……はぁ、はぁ…! おのれ……ガーランド!!」


 声を出すのを堪えるため、もう皮膚が裂けて血が滲むほどにつねられた自分の二の腕。

 その痛みも気にならないほどに、アイシアは怒り狂っていた。


 王国民でありながら、帝国の人間とつながり、裏切り侵略の手助けを行う不忠儀。

 他領地の民の命を脅かし、そして他者を傷つけることに一切の躊躇いも持たない残虐な精神。

 卑劣で穢れた手段を、自分ではなく他者に行わせている最低な在り方そのもの。

 そして何より主であるセリアを帝国への手土産にしようとし、アイシアにも下劣な欲望を向ける気でいるあの男への嫌悪が、ここにきて振り切れてしまっていた。


「…! セリア様を、お前などに穢されてたまるものか…! 何もかも、お前の思い通りにはさせない…!」


 アイシアは鬼のような形相で、急ぎ執務室の出口に向かう。

 だが、取っ手に手をかける寸前で止まり、ハッと我に返った様子で踵を返し、先ほどまでレギンがついていた机の方に引き返した。


(せめて……あの男の思惑の証拠となるものを持っていかなければ。確固たる証拠がなければ、私一人の進言では、帝国の軍勢を止められない…!)


 バサバサと、あとで漁られたことが露見するほどに乱暴に書類を引っ張り出し、引き出しを片っ端から開けていくが、最早気にしている暇はない。

 今自分が行っていることが、騎士らしからぬ姿を晒していることはわかりきっている。だが罪だと罵られ、蔑まれようとも、かの不埒者の蛮行を止める為ならば、進んで汚名を被る覚悟はできていた。


 ふと、彼女の脳裏に主の顔が思い浮かぶ。

 領民を救う薬の為に、あの下種な最低男の為に自分自身を持捧げようとした、彼女の悲痛な姿が。


 もし、アイシアがこうしてレギンの部屋を探りに来なければ、ツーベルク領に帝国の軍勢が近づいていることも知らないまま、この半ば軟禁のような生活が続いていただろう。

 何も知らないまま、吐き気を催す悪意によって王国は蹂躙され、そしてすべてが終わった後に真実を突き付けられ、絶望の中で二人まとめて、下劣な欲望の慰み者にされていたに違いない。


 無謀な行動に出た自分の短慮さに、思わず呆れた笑みがこぼれ、そして同時に凄まじい無力感に苛まれていく。


「……できる事なら、あの男は私の手で殺してしまいたいものだ」


 悲痛な覚悟を決めたセリアがこの事実を知れば、どれだけ心を痛めるだろうか。

 ガーランドの、全ての黒幕である男の手中にのこのこと入り、数日もの時間と護衛達の命を無駄に散らせてしまったことを、どれだけ悔むのか。

 アイシアは同じく、深く考える事の出来なかった自分自身を殴り飛ばしたくて仕方がなかった。


 アイシアは後悔に胸を締め付けられる気分のまま、やがて机に備わった鍵付きの棚を見つけ、力尽くでこじ開ける。

 案の定、そこには厳重に箱にしまわれた何かが隠されていた。

 ためらうことなく箱を開けると、中には封の入った親書が幾つも収められている。封に刻まれているのは、これまた予想通り帝国の紋章だ。


 アイシアは箱をきつく抱え込み、急ぎ扉に向かおうとする。

 が、一歩を踏み出す前に少し考え、くるりと背後にある大きな窓に目を向けた。


「…もう、礼儀だのなんだの言っている場合ではないな」


 ぼそりと呟くと、また方向を変え、閉じられた窓を開けて真下を覗き込んでみる。

 巡回の衛兵は、今のところ姿は見当たらない。交替の時間か、それともサボっているのか、とにかく今ならば姿を見られる危険もまだ低い。

 アイシアは意を決し、窓枠に手と足をかけると、勢いよく飛び降りた。


 一刻も早く、この牢獄からセリアを連れ出し、これらの証拠を持ってツーベルクに、そして王都に向かうために。


          △▼△▼△▼△


「……どうしたのかしら、アイシア。もうだいぶ経ったのに」


 目に痛い輝きを放つ客室に一人残されたセリアが、不安気な表情で呟く。

 明るさだけなら、天井のランプやそれに照らされる調度品のおかげで、足りなくは思わない。


 不満があるのなら、窓が一つもないために若干の息苦しさがあるところだろうか。

 出入り口がたった一つしかないこの部屋にいては、まるで独房にでも入れられているような気分に陥ってしまう。


「まさか、誰かに見つかって捕らわれて……いえ、でしたらすぐに私に誰かが告げに」


 従者が何か失態を犯せば、それは主の責任として問われる。

 もし、伯爵の後ろ暗い情報について調べに行ったアイシアが見つかったのなら、すぐさまセリアに対して責任の追及が来るはずだ。そして、交渉においてより重い代価を要求されるに違いない。


 危ない橋を渡っていると自覚しつつ、どうか唯一の味方である彼女が無事でいる事を祈るばかりであった。


 そんな時だった。

 がちゃっ!と勢いよく扉が開け放たれ、息を切らせたアイシアが飛びこんできたのだ。


「キャッ!? ア、アイシア…!?」

「はぁ…はぁ……セ、セリア様、ご無事ですか」

「それはあなたの方でしょう…!? ど、どうしたの、そのけがは…」

「これは……少しばかり、失態を」


 やや頬を染め、体中に擦り傷を作ったアイシアが、頭に葉を何枚かの背ながら目を逸らす。

 しかしすぐに首を横に振り、表情を改めてからセリアに向き直った。


「セリア様、すぐにご出発の用意を。この屋敷を脱出します」

「脱出…!? まさか、何かとんでもないものを見つけてしまったの!?」


 無事で、見つかることなく戻ってきてくれればそれで十分。

 そんなことだけを考えていたセリアだったが、成果が予想を超えたものだと知り、喜びよりも不安の方が大きくなってくる。

 自分の護衛がこうも焦る程の何かがあったという事実に、背筋に震えが走っていた。


「おそらく…セリア様のお考えをはるかに上回るものでしょう。ですが、詳しい話は屋敷を……いいえ、ガーランド領を抜け出してからにいたしましょう。さぁ、お急ぎを」


 自分で脱いだ騎士の制服を纏い、その上に鎧を重ね、腰に剣を佩き、完全武装したアイシアがセリアに手を差し伸べる。

 息を呑んだセリアは即座にその手を取り、引っ張られるままに走り出す。

 バンッ、と激しい音が周りに聞かれる事も躊躇わず、二人は駆け足で客室を飛び出し、屋敷の出口を、そしてツーベルクへの帰路を目指した。

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