14.Impatience
「…こんな事をしている場合ではないのに」
ギラギラと眩しい輝きをこれでもかと放ってくる、ただ高級そうなだけで機能性に劣る調度品に囲まれながら、テーブルに着いたセリアは大きなため息をつく。
傍らにいるアイシアも同じで、輝きが目に刺さりそうな調度品を睨みつけ、眉間に深いしわを寄せていた。
ガーランド領に到着し、屋敷を案内されるだけの時間が始まって早2日。
未だに特効薬の融通に関する交渉は始まっておらず、刻一刻と過ぎていく時間に焦りが大きくなっていく。
「あの男……よもや学生時代の侯爵様との因縁をここに持ち出しているのではないだろうな。いくらなんでも無駄が過ぎる。何に対する時間稼ぎなんだ、この時間は…」
「…もしそうだとすれば、本当にお父様の事がお嫌いなのですね」
「いえ……きっと逆恨みにも等しい感情でしょう。侯爵様に非はないはずです」
それとなく話題を持ち出そうとするが、交渉相手であるレギンはにこやかに笑ったまま、まだ大丈夫と繰り返し真面に話を聞こうともしない。こうして与えた部屋に居続ける事を求め、食事や自慢話をするときぐらいにしか出る事を許さなかった。
旅の疲れを癒し、気持ちを落ち着けてから難しく慎重な話を行おうと何度も語られるが、こうも無駄な時間を過ごさせられては逆に落ち着けるはずがない。
むしろ相手を焦らせ、冷静さを失わせてから、自分に都合のいい契約を結ばせることが目的なのではないかと、そう疑わずにはいられない。
「セリア様……もう猶予がありません。多少強引にでも交渉の場に着かせ、薬を手に入れるべきでは」
「ですがそれでは…あの方の機嫌を損ね、交渉そのものを放棄される可能性もあります。この状況でそんなことになれば……」
「くっ……下手に出ねばならないこちらを嘲笑って…!」
最後に見た、病に苦しむ父や治療院に運ばれる領民達の顔が思い浮かび、自分の肩に乗る責任の重さを思い出す。
耐えなければならない。しかし、それは一体いつまでか。
いつまであの男の自慢話に付き合い、無駄に時間を浪費すれば、愛する者達を助けに戻ることが許されるのか。
アイシアには制止したが、セリア自身レギンの頬をひっぱたいてでも、言うことを聞かせたくて仕方がなかった。
「…助けを求められない状況というのは、苦しいですね」
「申し訳ありません……私が不甲斐ないばかりに」
「そんなことないわ。貴女が傍にいてくれるだけで……私は勇気をもってあの方との時間を過ごせるの。貴女がいてくれるだけで心強いわ」
悔し気に拳を握りしめるアイシアに、セリアは微笑み告げる。
顔は平静そのものだが、膝の上に乗せた彼女の手は微かに震えている。
見た目からも口調からも、そして周りに侍らせている侍女達の格好からもわかる、女性に対する欲望がまるわかりの好色漢。そんな男との対話は、若く未熟な彼女からすればひどく不安なのだろう。
頼みごとをしている弱い立場、そして嫌っている男の娘。
そういう立場を利用し、格上の爵位が相手でもお構いなしに、何時襲い掛かって来るかと考えてしまう様だ。
(…一番お辛いのはセリア様だ。私がこんな体たらくでどうする……!)
気丈に振る舞おうとする主の健気な姿に、アイシアはたった一人の味方である自分が堪えねば何とすると、自分を鼓舞する。
少しだけ苛立ちが治まった彼女は、キッと表情を検めると、廊下に繋がる扉がある方へと向かう。そして扉に耳を当て、外の様子を伺い始めた。
「アイシア…?」
訝しげに声をかけるセリアに、アイシアは唇に人差し指を当て、首を横に振る。
すぐに察し、口を閉ざしたセリアに頷いてから、アイシアは意識を集中させ、扉をわずかに開けて外の様子を覗く。
室内と同じく、途中途中に趣味の悪い絵画や彫像が置かれた、長い廊下。
時折掃除の為に通りがかる侍女達の姿は、今は見当たらない。おそらくは午後のティータイムや食事の準備のためにどこかへ引っ込んでいるのだろう。
部屋の前に人気がないことを確認し、意を決してアイシアは自身が纏っていた騎士の制服を脱ぎ捨てた。
体の線が露わとなる黒いシャツ姿となったアイシアに、セリアは驚きで目を瞠る。
「何を…!?」
「少し危険ですが……屋敷の中を探ってみようと思います。少しでもこちらに有利な情報があれば、多少なりとも向こうの腰を上げる要因にはなるでしょう。何もしないよりはマシです」
「ですが…見つかれば」
「そうなる前に引き返します。もし、私が不在の間にセリア様を尋ねてくる者がいた場合は……体調がすぐれないと誤魔化してはいただけませんか」
長い髪が邪魔にならないよう、結んで団子のようにまとめるアイシア。
彼女がこれからやろうとしている無謀な行いに、セリアは思わず悲痛な表情で息を呑む。そしてその間、自分の傍に味方が一人もいなくなってしまうということにも。
だがセリアは、アイシアに伸ばしかけた手を引っ込め、きゅっと唇を噛み締める。
何も変えられそうにないこの状況を打破するには、それくらいの不安を乗り越えられずどうするのかと、自分に言い聞かせた。
「…わかりました。ですが決して無理はしないでください」
「はい。その間、セリア様をお一人にしてしまうこと、お許しください」
アイシアは主に深く頭を下げ、再び扉そ少し開き外の様子を伺う。
外に目をやった丁度その時、バケツとモップを持った侍女が扉の前を通りがかり、こつこつと足音が過ぎ去っていくのを待つ。
足音が遠く廊下の向こうに消えた時機を見計らい、アイシアは静かに扉を開け、廊下に飛び出した。
制服を脱いだのは、少しでも目立つ可能性を抑えるため。そして衣擦れの音を少しでも抑える為である。
長身の身では少し走っただけでも人目につきそうだが、その辺りは騎士として受けてきた訓練や実戦の経験を活かし、庇う。
受けてきたのは戦闘の為の無駄のない体運びで、諜報の為の気配の殺し方ではない。
しかし、より迅速に潜入し敵の全てを片付けるという目的の訓練も積んでいるため、自分一人の身を隠すことは可能なものと考えていた。
「探すのならばやはり……あの男の執務室か」
目指すべき目的地を定め、アイシアは廊下を走る。
まるで王都の城かといわんばかりの螺旋階段を登り、人の背丈よりも巨大な肖像画が飾られた下を駆け抜ける。
途中、道具を持った侍女達が近づいてくれば物陰を利用して身を潜め、気配が遠ざかれば即座に動き出す。
幸運なことに、屋敷の中では侍女達以外は見当たらず、屈強な男の衛兵や使用人たちは屋敷の外で働いている姿が見える。おそらくは、あの好色な男の采配であろう。
貴族としてそうまでして、仕事に自分の好みを押し付ける男とは如何なものなのだろうかと嘆きつつ、それが自分の調査に役立っていることに、アイシアは思わず渋い顔になる。
幾度かの発見の窮地を乗り越え、アイシアは階段を登り、最上階の中心にある大きな部屋の前に辿り着く。
扉を少し開けて、中を覗いてみれば、予想通り伯爵の執務室のようだ。
「やはりな……こんな小さな町にこのような大きな屋敷。自己顕示欲の激しい男の様だから、自分の部屋も相応に大きく作っているだろうと思ったが、思った通りだ」
機能や実用性を度外視し、見た目ばかりを気にする内装から察するに、実際に自分が使うことを深く考えず、自意識の高い暮らしを望んでいるだろうという考えが大当たりした。
(長々と美術品の展示室や客室は案内されたが、それも一階や二階だけだった……本当に近付けたくない、見せたくないものは自分の近くに纏めておく。小物の発想だな)
さすがにここには見張りがいるかと思ったが、見る限り侍女の姿も見当たらない。
とことん男は、有事の際以外は自分の傍から引き離したいのだなと呆れつつ、これ幸いと中の気配を確かめ、音を殺して入室する。
そして、中に入ったアイシアは、その景色に絶句した。
黄金でできた裸体の女性の像に、以前見た物よりもさらに過激な裸婦の絵画。棚に置かれた本のタイトルは官能目的のものばかり、仕事に使うようなものはほとんどない。
セリアと共にいた客室とは比べ物にならないほど、無駄に豪奢で派手な内装が広がっていたのだ。
「あれでまだ抑えていたのか……あれでも十分客人は引くだろうに、こんなものを見たらもう平然としてはいられんだろうな」
思わず額を抑えて天井を仰ぐアイシアの鼻にふと、強烈な汗の臭いと生臭さが突き刺さってくる。
臭いの元を探ってみれば、部屋の片隅に誰かが倒れているのが見つかる。
思わずハッとし、身構えたアイシアであったが、見つけたその人影は先程からピクリとも動かず、身じろぎもしていないことに気付く。
やがてそれが人ではなく、精巧に作られた人形であることに気付いた。
長い見事な金髪に整った顔、乳房も臀部も大きく作られた、均整の取れた身体つきの女性の人形である。
だが、それにはなぜか、白い謎の液体がこびりついていた。
頭の先から足の指先まで、その液体が付着していない箇所はほとんどない。臭いの大本はそれのようで、一歩近付けば途端にすさまじい悪臭が襲い掛かってくる。
アイシアには嗅いだことのない臭いだったが、もう何の目的で作られた物なのか、理解できてしまった。
「……こんな男を相手に、私達は2日も」
凄まじい虚しさに襲われながら、アイシアはいやいやと首を横に振って正気を保つ。
交渉相手がどのような趣味を持っていようが、個人の執務室に無断で侵入しているのは自分の方。やむを得ない状況とはいえ、見なかったことにするくらいの余裕はある。
そう自分を言い聞かせ、アイシアは人形から離れ、何か交渉の手助けになる物品はないものかと室内を見渡す。
もし、ここにたった1枚でも鏡があったなら、彼女は気づいただろう。
白濁液に塗れたその人形が、背丈も顔立ちも身体つきも、自分にそっくりに作られていることに。
「……―――」
「!」
机の中を探ろうとしていたアイシアは、扉の外から聞こえてきた話し声に思わずびくりと肩を震わせる。
聞き覚えのある濁声は、この部屋の主であるあの男のものだ。
(いかん、もう戻ってきてしまったか! 身を隠す場所は……)
重要な情報が満載されているであろう机の引き出しを名残惜しく閉じ、アイシアは急いでその場を離れる。
扉付近に置かれたクローゼットを見つけると、大急ぎで音を殺しつつ開け放ち、隙間に潜り込み閉じ籠もる。衣服に着いた男の臭いが鼻に突き刺さったが、何とか根性で堪えて声を制す。
するとそのすぐ後、バンッと勢いよく扉を開け、苛立った様子のレギンが部屋に入って来た。
「だから急かすなと言っているだろう! もう薬は送った! そっちに届くまでに何があったとして、それはそっちの責任であろうが!」
レギンは何やら淡く光る宝石に向かって怒鳴りつけていて、フーフーと荒い息をついて虚空を睨みつけている。
耳にも何か、同じ色の方で気がついた金属の欠片が入っていて、微かにだがそこから人の声のような物が聞こえてきている。
(あれは……確か、帝国で出回っていると噂の、遠くにいる人間と会話ができるとかいう魔道具……だが、何故そんなものが? 帝国のものは、特に発明品などは流通が制限されているはず)
技術力が高く、昨今とんでもない勢いで成長を続けているという帝国の産業。
その中でも魔法の力を利用した技術が台頭し、生活水準が大きく跳ね上がっているというのが、帝国の繁栄ぶりに対する世の中の認識。
しかし、暮らしがよくなれば資源もまた多く必要とされる。
技術が発展したがゆえに、国内の資源が枯渇しつつある帝国は、周辺各国への侵略行為でそれを補おうとしている。
故に周辺各国は、帝国の影響を抑えるため、流通に制限をかけ技術流入を封じる策を取っていた。
アイシアに見られている事にも気づかないまま、レギンは苛立った表情のまま、魔道具に怒鳴り続けていた。
「ああ……わかっているわかっている。あんたがたのお陰でこっちの目的はほとんど達成できた。あとはあんたがたが動いてくれれば全部終わる。まったく……準備が大変だったぞ」
(…準備? 何の準備だ?)
会話をしている相手が何者なのか、アイシアは耳をそばだてる。
侵入者の存在に気付かないまま、レギンは不意ににやりと不気味な笑みを浮かべ、呟いた。
「これであの忌々しいツーベルクの糞野郎は死ぬ……奴の大切な領地も、そして俺をこんな僻地に追いやったくそったれなこの国も、全部あんたがた帝国が滅ぼしてくれる」
アイシアが悲鳴をあげずに済んだのは、レギンの衣服がもたらす刺激臭で、咄嗟に鼻をふさいでいたからだった。




