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12.Burrow

 ある一組の訪問客が現れたことで、ガーランド領ではちょっとした騒ぎが起きていた。


 陽も高く昇り、肌寒い中でも多少心地良い空気になり始めた頃合。

 街をぐるりと取り囲む長い塀の一部、一つしかない門の見張りを務めていた壮年の男が、欠伸交じりに暇を持て余していた。


 一時は潤ったものの、最近では通る者も減って、あまり使われなくなった門の守護は退屈以外の何物でもなく、多少気が緩んでいても誰も咎めはしない。

 元があまり儲かっていない領地だからか、野盗だのの襲撃を受けたことなど一度もない、平和というよりも静寂そのものの暮らしが続くと、彼は勝手に思っていた。


「……失礼、少し時間を貰えるだろうか」 


 そんな彼の前に姿を現した二人組に、見張りの中年は胡乱気に目を向け、そして目を見開いた。


 見目麗しい美女と美少女、男性ならば獣欲に満ちた、同性であれば羨む視線を釘付けにするような容姿を持った二人である。

 その片割れの美少女は、街の入り口に立っていた見張りの元を訪ね、開口一番にこう告げた。


「―――ツーベルク公爵家令嬢セリア・ツーベルクです。こちらは、私の専属護衛騎士アイシア。この旅は、ガーランド伯爵に直々にお願いがあって参りました。…どうか、御目通りをお願いします」

「…は? え、あ! ちょ…ちょっと待て…いやお待ち下さい!」


 セリアの顔に見惚れていた見張りは、ややあってから我に返り、慌てて入り口の内側に待機していた仲間に連絡に向かう。

 少しして、大勢の兵士達が沸いて出てきて、セリア達の身分を確認するために取り囲む。

 そして彼女達の言葉が真であると知ると、即座に取り繕った笑みを見せ、二人を街中へと招き入れた。


「ど、どうぞ…! ()()()()()()()()()()。伯爵は屋敷でお待ちです…」


 ヘラヘラと、へりくだった姿勢を見せて二人に道を空ける兵士達。

 その物言いに妙な違和感を覚えたアイシアだったが、ここで指摘して相手方の機嫌を損ねるわけにもいかないと口を噤み、しかしせめてとセリアにピッタリと寄り添い、歩き出す。


 静か、というよりは人気の少ない街中を進み、屋敷を目指して歩く二人は、徐々に大きくなる違和感に二人して首を傾げる。

 最初の印象通り、規模の小さな街に見えたが、それでも見える部分で人の活気が感じられない。探せばそこかしこに人の姿は見えるものの、それでもやはり少ないと感じてしまう。


 ふと、視線を感じて振り向いてみれば、カーテンの影からこちらを覗く母娘の姿も見える。

 その表情は兵士達に向けられ、怯えているような警戒しているような、決して好意的には見えない様子に思える。


「…セリア様、もしもに備えて、私から決して離れませんように」

「アイシア…?」


 周りを囲む兵士達に悟られぬよう、主にしか聞こえないような小声でそう告げるアイシアに、セリアは訝しげに振り向き、小さく頷く。

 漠然とした不安、嫌な予感を覚えながら、令嬢と女騎士は街の中心に建てられた屋敷―――街の規模とやや釣り合っていないように見える、随分と大きな三階建ての建物の元に辿り着いた。




「遠路はるばる、よくぞお越しくださいました。……ツーベルクの災難は、私共の耳にも入っております。長旅でお疲れでしょう」


 心にもないと丸わかりな気遣いの言葉で、その男―――レギン・ガーランド伯爵がセリアを出迎える。

 背丈はアイシアどころかセリアよりも低く、樽のように肥えた腹に薄い頭髪、脂ぎった肌という、男性に嫌悪を抱く要素をこれでもかと詰め込んだ中年の男である。


 口調こそ丁寧なものの、予想通り彼がセリア達に向けるのは、下卑た欲望が透けて見える不気味な笑み。

 前もっての連絡などしていない、セリア達の突然の訪問という無礼を理由に、何か大きな要求をしたがっていることがまるわかりな態度であった。


「…いいえ、こちらこそ急な訪問、大変失礼いたしました。理由があろうとも、貴族としてあるまじき行いであると反省するよりほかにありません」

「まぁまぁ、そう固くなることなく……ささ、どうぞ今はゆっくりとお寛ぎに。話はまず落ち着いてからでも」

「はい…では、お言葉に甘えまして」


 伯爵の屋敷を訪ねるや否や、応接間に案内され、新品のものらしきソファに促されたセリア。

 席に着くと、すぐさま横から紅茶の淹れられたカップが置かれる。湯気が立つ、香ばしい匂いのそれは相当いい茶葉を使っているようで、緊張していたセリアは少し相好を崩す。


「ありが……!?」


 準備のいい侍女がいると感心したセリアは、礼を言おうと顔を上げ、そして即座に表情を引きつらせる。


 無言でカップを置いたのは、胸元が異様に広げられた給仕服を身に纏った、少女であった。

 今にも乳房がこぼれだしそうな布面積の少ない生地に、裾も短く太ももが広く露出している。男が見て喜ぶためだけに作られたような装いがそこにあったのだ。


 そしてそれを纏う少女の目は、死人のように虚ろで覇気がない。それを喜んできているとはとても思えない表情である。

 セリアのすぐそばに控えていたアイシアも、趣味の悪いその格好に思わず眉間にしわをよせていた。


「さて……では此度の訪問、どういった目的か今一度お聞かせいただけませんかな?」

「は、はい」


 慄くセリアとアイシアに気付いていないのか、レギンはギシッとソファを軋ませながら自分も座り、勿体ぶった口調で話しかける。

 息を呑んでいたセリアはその声で我に返り、改めて伯爵と向き直る。折角緊張がほぐれ始めた頃合だったのに、凄まじい衝撃を受けたせいで全て台なしになっていた。


「…ご存知の事と思いますが、我がツーベルク公爵領は今、謎の奇病の伝染によって領地としての機能が麻痺しつつあります。現状、特効薬とされている薬品の数が足らず、他領との交易も断絶され、非常に危険な状況が続いています」

「ふむ…確かに、そのような状況になっていると聞きますな。おいたわしい事です」

「他の領主の方々のお考えもわかります……他の領地よりも、自分の領民の安全の方が大事なのは確か。咎めることなど、貴族としてできるはずもありません」


 レギンはセリアを見つめながら、懐から葉巻を取り出し、端を切ってから咥える。

 小さく何かを唱えると、指先に小さな灯がともり、レギンはそれを葉巻の先に灯し、ふっと大きく煙を吸い込み、吐き出す。

 真剣な表情で語るセリアとは真逆の、酷く落ち着いた余裕の態度だ。


「…恥を忍んでお頼みします。ガーランド領で採集できる薬品を、融通していただけないでしょうか」


 悲痛に顔を歪め、深々とその場で頭を下げるセリアの前で、ぷかぷかと煙を浮かばせるレギンは、椅子の背もたれに体を預ける。


 何を考えているのかわからない、口を閉ざしたまま伯爵はセリアを見下ろし、葉巻を一度口から離す。

 アイシアはその沈黙に不気味さを覚えつつ、黙って事の成り行きを見守る事しかできない。一介の従者である自分に、主の渾身の交渉に口を挟めるわけもない。

 彼女が望む結果を得られることを望み、待つことしかできないのだ。


「…我が領地で採れる薬草の数々は、目立った生産物の少ないこの地の領民にとっての生命線に等しい。それを承知の上で、ツーベルク嬢はそれをお望みか?」

「はい……無礼な願いとは重々承知しております。ですが…」

「それでも自領地の民が、そして御父上の命が大事と…甘い考えだと言われる事も覚悟の上で?」


 ピクリ、とその一言に、アイシアの眉が震え、腰に提げた剣に手が伸びかける。

 顔をしかめ、小馬鹿にするような発言をしたレギンに鋭い目が向けられるが、それを本人に気付かれる前に、頭を下げたままの主から厳しい視線が返ってくる。

 アイシアは悔し気に唇を噛み、黙って直立の姿勢に戻る。それを機に、セリアも姿勢を正した。


「もちろん…何のお返しもなくこのような願いを口には致しません。私にできる事なら、何でもさせていただくつもりです」

「なんでも……ねぇ」


 レギンの目が、じろじろと無遠慮にセリアの身体に向けられる。


 艶めく髪に、宝石のような瞳、シミ一つない肌。少女らしい柔らかさとしなやかさを持つ身体は、一種の芸術品に例えられるくらいに眩しく美しい。

 まるで美術品をじっくりと鑑定するような目つきに、セリアの背筋を寒気が走る。


 だが、ここでそれを表に出しては全てが水の泡だ、と必死に平静を取り繕う。

 今、自分の肩には、大勢の領民達の命がかかっているのだから。


「…まぁ、その辺りのお話はゆっくりさせていただきましょう。まず必要なのは、お二人の旅のお疲れをゆっくり癒す事です」


 そう語ったレギンが、パンッと掌を打ち鳴らす。

 すると応接間の扉が開き、先ほどの少女と同じく際どい格好をした侍女達が姿を現し、テーブルの上の片づけを始める。

 そしてセリアとアイシアの傍に立ち、移動するように促し始めた。


「なっ…ま、待ってください! 休んでいる場合では…」

「いえいえ、こういう重要なお話は、どちらも焦ったままでは上手くいきません。ツーベルク嬢も、安易に何でもするなどと言ってはいけませんよ? 愚かな男なら、勘違いさせてしまいます」

「で、ですが、急がなければツーベルクの民が……」


 セリアの懇願も、アイシアの鋭い視線も気にせず、レギンは笑みを浮かべて席を立つ。その表情は決して、領地の窮地に焦る令嬢の少女を落ち着かせる穏やかなものには見えない。

 にたりと、己の欲を是が非でも押し通そうとする、醜悪なものだった。


「どうぞ、我が屋敷でごゆっくりお寛ぎください……なに、いずれは何日もかけて領地に帰らなければならないのです。一日や二日休んだところで、咎める者はおりませんよ」


 室内に集まった侍女達が、無言の圧力をかけてくる。

 光を宿していないように見える彼女達の目が、なぜかセリアやアイシアには、お願いだからこの人に従ってくれ、と言っているように思えた。


 交渉相手に全くその気がない以上、無力な彼女はそれに応じざるを得なかった。

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