元勇者のTS少女が親友と打ち上げに行ったり提案したりする話
「試験終了です、鉛筆を置いて下さい」
その声が教室に響く。
同時にシャーペンが机を転がる音と、大きく息を吐く音が耳に入って来た。
「列の最後の人は答案用紙を前に送ってください。
それと、まだ試験は終わっていないのだから喋らないように」
後ろからやってきた答案用紙に自らのものを重ね、前へと送る。
紙の擦れる音がどこか心地よかった。
「……」
「……」
教室の中は無言で……しかし嬉しそうな雰囲気が部屋を包んでいる。
当たり前のことだ。なにせ今日は中間試験の最終日で、これは最後の科目なのだから。
皆、試験から解放された喜びに浸っている。
この後の楽しみを想像して顔には笑顔が浮かんでいた。
「……」
……カナメはどうだったんだろうか。
気になって、ちらりと二つ右の机を見る。
目的の席はそこにあって、当然だが、試験中は様子を見ることが出来なかった
「……!」
視線の先でカナメと目が合う。どうやらカナメもこちらを見ていたようだった。
そして、一瞬驚いた顔をしたかと思うと、すぐに笑顔に変わる。
「……ふふっ」
満面の笑顔を浮かべて――机の近く、先生からは見えないところで小さくピースを作っているのが見える。
……どうやら問題なく試験が終わったらしい。
「……ふう」
安心して、小さく息を吐いた。
良かった。あんなに頑張っていたのにダメだったら、どう声をかけていいか分からなくなっていたところだ。
「では、これで今回の試験は終わりです。皆、羽目を外しすぎないように。
あと、田中君と今野さんはこの後職員室に来るように」
今日呼び出されるのは採点の早い科目だけとはいえ、赤点の通達にも名前は上がらない。
視界の端で、カナメ笑顔が一層深くなった。
「では、これで解散とする」
先生が教室から出ていって――同時に教室が喧騒に包まる。
ガタガタと椅子の鳴る音が教室に響き、二人を除いて、皆楽しそうに教室内を歩きだした。
「廉次! 大丈夫だったよ!」
「……ああ」
真っ先にカナメが報告しに来てくれる。
もう分かっていたことだったが、教えた側としてもそう言ってもらえると嬉しい。
「ふふーん、頑張ったでしょ? すごいでしょ?」
「……ああ、よく頑張った」
本当にそう思う。
正直に言って、教え始めたころは絶対に無理だと思っていた。
……だから、それがこうして上手くいったのは、偏にカナメの努力の結果なのだろう。
「ほらほら、褒めてくれていいんだよ?」
「……」
目の前に頭が突き出される。
身長差から、カナメの頭頂部がちょうど俺の胸の辺りにやってきて――これは、頭を撫でろということなんだろうか。
「……よく頑張ったな」
促されるままに手を伸ばし、ポンポンと、軽く頭を撫でた。
手にさらさらとした感触が伝わってくる。
「…………やっぱり、これのせいだよね」
「……何がだ?」
「んーん、なんでもない!」
良く分からないことを言うカナメに首を傾げ――まあいいかと考えなおす。
笑っているし、そこまで気にすることではないだろう。
「みんなお疲れ様! じゃあ打ち上げに行こう!」
少し離れたところで、誰かの声が教室に響く。
同時に、教室が湧き立った。
そして、少しずつ人の流れが出口に向けて出来上がっていく。
「行こう、廉次。確か……カラオケだったよね?」
「……そうらしいな」
カナメと並んで教室を出る。
カラオケにも打ち上げにも大して興味はない。……しかし、こうしてカナメと一緒に参加できるのはとても嬉しかった。
◆
「――♪――♪♪」
部屋の中を歌声が響く。
透き通っていて、優しくて――しかし圧倒されるような響きが耳の奥を揺さぶっていた。
「一条さん歌めっちゃうまいな……」
「アンコール! アンコール!」
カラオケに移動してしばらく、個室の中は、カナメの独壇場と化していた。
皆自分の曲を忘れて、カナメの歌に聞き入っている。
「……」
……明らかに歌が上手くなっている。
カナメの腕については良く知っていたが、こんなに上手くはなかったはずだ。
「いいよー! もう一曲行こう!」
「おおー!!」
……きっと練習したのだろう。
こちらではそんな様子はなかったから、恐らくは異世界で。
「……」
……しかし、これは長引きそうだな。
そう思いながら、立ち上がった。
水分を取りすぎたか、少しトイレに行きたい。
「……悪い、ちょっといいか?」
「ん? トイレか? いってら」
クラスメイト――いつの間にか近所の部屋から集まっていた――に声をかけ、部屋から抜け出す。
人口過多で少し蒸し暑くなっていた部屋の中とは違い、廊下は空調が効いていた。
「……ふう」
軽く息を吐きながらトイレへと向かい、さっさと用を済ませる。
――と、一つ問題に気付いた。
部屋に戻るつもりだったが、ふと立ち止まる。
「……入る場所が無いかもな」
あの人口密度だ。おまけに部屋を出るときにも何人かこちらに向かっているのを見た。きっと今ごろは俺がいたスペースなど無くなっているだろう。
……部屋に帰るのが少し億劫になる。
「……」
……何か飲むか。
諦めてジュースサーバーに向かう。
カナメの歌はとりあえずいいだろう。また聞く機会もあるだろうし。
「……どれにするか」
俺の物はいつも通りコーヒーでいいだろう。
それと、カナメにも持って行った方がいいだろうから……。
……どれにしようか。
「廉次、ここにいたんだ」
「……ん?」
そんなことを考えていると、横から声がかかった。
見ると、そこには一躍時の人となったカナメの姿がある。
「……もういいのか?」
「ちょっと休憩。さすがに疲れるからね」
カナメにコップを手渡すと、迷うことなくサーバーの一角に置き、黒いジュースを注ぐ。 見慣れたそれは俺の部屋の冷蔵庫にいつもストックしてあるものだった。
……それなら家でいつでも飲んでいるだろうに。
と、そう思うものの、まあよほど好きなのかもしれない。
「ねえ、ところでどうだった? 私の歌は」
「……上手くなっていて驚いたよ」
下から覗き込んでくるカナメに素直に答える。
歌い疲れたのだろうか、頬が赤く染まっているのが印象的だった。
「ふふん、でしょ? 練習したんだから。
あっちだと人前で歌う機会が結構あってね」
例えば、とカナメが指を折り始める。
戦の出征式での国家斉唱に、教会のミサでの聖歌、軍歌はよく歌ったし、孤児院の視察では子守唄を歌ったりね――と。
勇者様が下手だったら格好がつかないでしょ?
そう言いながらカナメは笑った。
「……なるほど」
そういうものか。確かに学校でもなにか式典があるごとに歌を歌っている。
俺たちなら下手でも小さく歌えばいいし、最悪口パクでもいいだろうが、立場ある人間は出来ないのかもしれない。
「どう? 私だって、何も変わってないわけじゃないんだよ?」
得意げな顔をしてカナメが言う。
見ると、カナメは悪戯っぽい顔でこちらを見上げていて。
そして、私だって成長しているんだから、と。
「……そうか」
五年だもんな、と頷く。
それだけの時間が流れているということは、当然成長だってする。
五年前の自分と今の自分を比べれば分かることだ。生きているのなら、変わり、成長するのは自然なことなのだろう。
「……」
……勉強とか部屋でのグダグダ具合からあまり変わってない気もしていたが、どうやら違ったらしい。遠い場所で、カナメは当然のように成長していた。
……少しだけ、共に成長できなかったことが寂しい。
「……あ、そうだー。お礼をしないとー」
「……お礼?」
――と、少し感傷に浸っていると、突然カナメがわざとらしい感じで呟いた。
視線を向けると、カナメが少し悪戯っぽい顔をしている。
「うん、勉強を教えてくれたお礼」
「……そんなもの、別にいいさ」
これまでも貰っていなかったし。
別に礼が欲しくてしていたことでもない。
……しかし、カナメが首を横に振る。
「ダメだよ。あんまり私を甘やかさないで」
「……そうか?」
甘やかす……?
甘やかしているのだろうか? 正直あまり自覚は無い。
俺たちの関係はずっとこうだったはずだ。
「言ったでしょ? 私だって成長しているんだから。
ちゃんとお礼をさせて?」
「……そう言われてもな。何をしてくれるんだ?」
よくわからず、首を傾げる。
何か菓子でも奢ってくれるんだろうか?
「なんでもいいよ?」
「……なに?」
「私に出来ることなら、なんでもいいから」
……なんでもいい?
困惑し、カナメを見ると、明後日の方を見ながら髪を弄っている。
カナメの指先で髪がくるりと丸まっていた。
「……なんでもいい、か」
「……う、うん、なんでもいいよ」
……どうしたものか、と、頭を悩ませる。
そう言うからには俺に決めて欲しいのだろう。
しかし、特に何も思いつくことが無くて――
「――ああ、そうだ」
ふと、一つ浮かび上がって来た。
それは先ほどの話を聞いて思ったことで。
「……じゃあ、今度ゆっくり歌を聞かせてくれ」
「……え?」
少し……いや、かなり気になっていた。
カナメがどういうふうに成長したのか。遠いところでどんなことを学んだのか。
「……そ、そんなことでいいの?」
「……ああ、それがいい」
共に成長する事は出来なかったかもしれないが、少しくらいなら共有できるかもしれない。そう思うのは、おかしいだろうか?
「う、うん分かった。
……でも本当にそんなことでいいの?」
「……ああ」
何故かカナメが何度も確認してくる。
……しかし、そんなことがどうでも良くなる位には楽しみだった。