裏話 TS少女が頑張る理由の話
必死に勉強していたのは、廉次を打ち上げに一人で行かせるわけにはいかなかったからだ。
廉次が決して誰からも見られていないわけでは無いと知っていたから。
「……だって」
……だって、廉次は身長も高いし、顔立ちも悪くない。
決してお洒落ではないけれど、服装も髪型もきちんと整えていて清潔感だってある。
あまり話さない事は欠点かもしれないけれど、でも決して会話が出来ないわけではなくて、それどころか、うるさい男性が苦手だという人からすれば美点に変わるかもしれない。
……というか実際に、同学年でも廉次のことを悪くないと思っている女性は少なくない。
女の身で彼女達の中に入ると見えてくるものは色々とあった。
「……」
……で、そんな実は結構モテる廉次にこれまで浮いた話が無かったのは。
「――私がいたからなんだろうなあ」
きっとそうなんだろうと思う。
私と廉次がいつも一緒にいたからだ。他の誰も入れないくらいに。
男だった頃は無意識で、今の私は意識的に廉次の傍にいた。
そして、だからこそ。
廉次のことを悪く思っていない女性はチャンスを伺っているはずで。
そんな状態で廉次を一人で打ち上げに行かせるということは……
「寝取られはもう嫌だ……」
それが、今私が焦っている理由だった。
本当はしたくない勉強を必死にしている理由。
……別に私は勉強なんてしなくても生きていける。
魔法という超常の力を手に入れた今ならなおさらのことだった。
数分くらいなら未来視だってできる私は、学歴なんて必要がない。
なにせお金なんて簡単に稼げる。株でも賭け事でもなんでもいいのだから。
「……でも」
絶対に廉次だけは失いたくない。
寝取られるのだけはなにがあっても嫌だった。
「……」
……いやまあ、まだ付き合ってはいないけれど。
でも今の私にとっての一番は間違いなく廉次で、そして廉次の中で一番大きいのもきっと私であるはずだから。
「……次に取られたらもう立ち直れないよ」
脳裏をよぎるのは、かつて確かに恋人で会ったはずの人だ。
美しく、それでいて強かったあの人。
でも、最後には私から離れていって……。
……ついには私ではない人と結ばれてしまった。
「……もう、あんなことは」
思い出すだけで胸が痛む。
胸を掻きむしりたくなるようなあの苦しみは、きっと一生忘れないだろう。
「……」
もう二度とあんな思いはしたくない。
今の私には彼女に対する未練はないけれど。
……しかし傷は確かにあり続けている。
もし次に失ってしまったら、もう立ち直れる自信は全くなかった。
「……まあ、本当は告白するべきなんだろうけど」
誰かに取られるんじゃないかと不安に思うくらいなら、さっさと気持ちを伝えるべきだと思う。
兵は拙速を尊ぶのはこちらの世界もあちらの世界も同じだった。
長々と時間をかけていたら、出来ることも出来なくなる。
多少の不備を無視してでも、早く行動するのはとても大切なことであるはずで……
……でも。
「断られたくないよぅ……」
もし断られたら。
そう思うだけで体が動かなくなる。
だって私は確かに男だったから。
例え普段どれだけ仲が良くても、その事実は何があっても変わらなくて。
……だからこそ断られる可能性はいつだってある。
「廉次から告白して欲しい……なんて思うのは勝手すぎるのかなあ……?」
いつでも頼って欲しい、とか、私の事ならなんだって迷惑じゃない、とか。
そんな風に嬉しいことは結構言ってくれるのに、廉次はそれ以上のことを言ってくれない。
下手したら、告白以上にすごいことを言っているのに……。
「……そもそも、私の気持ちに気付いてくれてないんだよね」
多分だけれど、そうなんだと思う。
帰ってきたばかりの頃は分からなかったけれど、この一カ月廉次のことを見てきてそう理解した。
「……結構頑張ってアピールしてるんだけどなあ」
膝枕したり、頭撫でてもらったり。
あーんしてもらったり、逆に膝枕したりもした。
意図したことじゃないけれど、廉次が嬉しいことを言ってくれたら顔が真っ赤になっている自覚もあるし……。
「……あんな風にベタベタするなんて、好きじゃないとあり得ないんだけど」
普通ならそうだ。
誰だってあんな態度を取ったら、俺のこと好きなんじゃないか……なんて思うはず。
そもそも、好きでもない異性の部屋に上がること自体無防備すぎる。
しかも二人きりになって、ベッドで寝たりとか……。
……そんなの、何があってもおかしくないのでは?
「……はあ」
それなのに、どうして気づいてくれないんだろう……。
いくらなんでも鈍すぎじゃない?
「ラブコメの主人公じゃないんだから……」
難聴が許されるのは物語の中だけだ。
現実ではそんなことはありえない。
「……」
わざと聞こえないふりをしている?
いや、廉次がそんなことをするはずがない。それくらいのことは分かっている。
「じゃあ、なんで……」
アピールしても気付かない理由なんて全くわからない。
それこそ慣れてでもない限りあり得ないと思う。
特別だと思えないくらい、そういうことをされているとか……。
……そんなわけがないか。
だって今まで廉次にそういう話はなかったし……。
「……あれ?」
ふと、違和感を感じた。
何かある気がする。引っかかることが。
異世界での事?
……いやきっと違う、そうじゃなくてもっと昔の……。
「………………あ」
思い出した。
過去の記憶。何年か昔のことが脳裏に浮かびあがって来た。
「……まさか」
それは異世界に行く前のこと。
私がまだ僕だったときのことだ。
「…………も、もしかして一通りしたことがある?」
膝枕したり、頭撫でたりとか。
そんなのに似たようなことを。
「……そういえば」
膝枕はしたことが無い……でも腕枕なら何度もある気がする。
二人で徹夜でゲームしたときとか。寝落ちしちゃって、二人で並んで寝て、朝起きたら腕枕になっていた。
それに、頭を撫でるやつもだ。
頭を撫でられたことはなかったけど、頭をポンポンと叩かれたこと位なら普通にあったと思う。
「あーんとか……」
思い返せば、以前はよくやっていた。
ゲーム中、手が離せないときとかに。口に直接放り込んでもらったりとか。
「……え、もしかしてそれが原因?」
要するに、姿が変わっても前と同じようなことをしているから、そういうこともあるか……と流されている?
元々の距離があまりにも近すぎて、ちょっとやそっとのアピールは以前と大差なかったり……?
「えぇ……? 昔の私、廉次と仲良すぎでは……?」
冷静になって思い返してみると、びっくりするぐらいベタベタしている。
現場にいるときは気付かなかったけど、一歩引くとすごいことになっている感じ。
「……でも」
そういえばそうだった。
五年前、あちらの世界に行くまでは、私たちはいつだって一緒にいた。
お互いのことを一番に考えていて、それが何よりも心地よくて。
「……そうだよね」
ずっと一緒にいた幼馴染だった。
誰よりも長い時間を過ごした間柄で、私たちは傍にいるのが普通だった。
「……」
……それが変わったのは。
今こうして思い出すまで、それが普通だったと忘れていたのは。
「私は一度離れちゃったからかなあ……」
きっと原因はそれだった。
異世界に行って、私はそれまでの廉次との関係が普通じゃないことを知った。
それまでとは違う全く新しい人間関係の中に入れられたからだ。
「……勇者になったから」
私だけ五年間を別に過ごして、色んな人と関わった。
優しい人もいたけど、自分勝手な人も、立場が違う人も、私を陥れようとする人も多くて。
苦しいことも悲しいことも、腹立たしいことも多かった。
逃げ出したいと思ったことは一度や二度じゃない。
そして、そんな毎日の中で、私はあの日々がどれほど優しかったのかを思い知った。
普通なんかじゃない、とても大切なものだと。
「……」
でも、きっと廉次は違う。
廉次にとって私はずっと一緒にいた幼馴染のままで……だから、気付いてもらえないのかもしれない。
それまでの関係を当然だと思っていて、それ以上を想定していない。
だって、それがこれまでずっと普通だったからだ。もう十年以上、私と廉次はそういう関係だったから。
「……多分だけど」
確証はない。
でもきっとそうだ。
「……じゃあ、やっぱり私から告白するべきなのかな……」
そう思う。
これまでの関係を崩したいのなら、きっと、崩したい側が努力するべきだから。
「……でも、断られるのは怖いよ……」
……結局、ここに戻ってきてしまうのだけど。
色々考えたけど、今の一番の問題はそこにしかない。
告白したい。恋人になりたい。多分できると思う。
私たちの関係は、きっとそこまで薄くない。
……でも、万が一が怖い。
だって私は元男だから。
「……うぅ」
怖くて、失いたくなくて動けない。
今の私にそれは耐えられない。
……いつか、この恐怖を乗り越えることが出来るんだろうか?
「……わからないけど」
……でも、その前に廉次が取られることだけは避けなければならない。
打ち上げから帰ってきた廉次に恋人が出来た――とか言われたら脳が壊れるのは間違いない。
「……頑張らないと」
だから、努力しないといけない。
間違っても廉次を一人にさせないように。
「……頑張る」
だから、そう決めたから。
「――勉強しないと」
まずはこれだ。
赤点を取らないように、出来ることをやる。
昼に頑張った頭がすごく重いけど。
でも胸の痛みと比べれば全然大したことはない。
「……うん」
一度頷き、気合を入れる。
そして、明かりをつけ、机に向かって教科書を開いた