元勇者のTS少女が親友に頼ったりお礼を言ったりする話
かつてのことを思い出す。
子供の頃、いつも二人でいたあの頃のことを。
いつからかというと、きっと最初からだった。
カナメは物心がついた時からの、隣の家に住む幼馴染で。
朝、一緒に学校に行って、休憩時間のたびに一緒に遊んだ。
学校が終わると必ずどちらかの家に集まる日々。
もしかしたら、お互いの部屋の行き来が簡単だったことも理由かもしれない。
四十センチほど距離が開いた窓は、危ないけれど、だからこそ楽しくて。
意味もなく訪れて、大した用事もないのに往復したり。
バレたら怒られるからと、二人で知恵を出し合ったり。
そんな、ただその道を通ることが楽しかった時期があった。
だから、その頃は俺とカナメの間にプライバシーというものは無くて、二人で二人の部屋を使っていた。何をするにも一緒で、遊びに行くのも勉強するのも何もかも二人。
……何年も昔の、いつかの記憶。
◆
ふと、懐かしいな、と思ったのは、今の状況が以前のものに似ているからなのかもしれない。
そんなことを、目の前に座って必死にペンを動かしているカナメを見て思った。
「終わらない……終わらないよう……」
「……そうだな、頑張れ」
小学生時代、カナメは夏休み最終日に宿題をまとめてする悪癖があった。
いつものんきな顔をして遊び惚けて、最後になると俺に泣きついてくる。
そうやって助けてくれと縋りつくカナメを毎年手伝っていた。
「……うぅ」
俺の部屋にある卓袱台に座って、半泣きでボヤいているところも同じだ。
三つ子の魂百まで……という言葉もあるし、やはり人間は、成長してもそう簡単に変われはしないのだろう。
「……あと五ページだ。これが終わるまで休憩はないからな」
「……そんなぁ」
だから、かつてと同じように、俺は淡々と事実を告げた。
当時は山のように宿題が積まれていたように、今のカナメはありとあらゆる教科で切羽詰まっている。当然、ゆとりという言葉は存在しない。
「……いいか? もう一度言うが、三角関数の基本は公式を覚えることだ。
まずこれを覚えないと始まらないし、何もできない」
「……はい」
素人なりに、自分が知る数学のコツをカナメに伝える。
指導というほど立派なものではないが、少しでも効率よく学べることを祈って。
「……一応、ネットにあった語呂合わせをまとめておいた。
この中から自分が覚えやすそうなのを選んで覚えてくれ」
「……うぅ」
すでに始めてから数時間経つので、カナメの動きは鈍い。
もう疲れているのだろう。しかしだからといって時間が増えたりもしない。
……涙目のカナメには心が痛む。
とはいえ、優しくしてそれで済むのなら、厳しくする人などいないだろう。
「……うぅ」
「……」
二人だけの部屋の中を、ペンの音と、時折カナメの泣き言が響く。
カナメの縋るような眼を無視しつつ、必要な時だけ声をかけた。
同時に、俺自身もテストの対策を進めていく。
二人並んで、勉強しているだけの時間が流れていった。
◆
それから、上っていた日が沈んだころ。
ようやく本日予定していた量が終わった。
カナメの手元にある過去問には丸とバツが半々くらいで付けられていて、赤点にはならないだろうという点数が記入されている。
「こ、これでどう……?」
「……ああ、大丈夫だ」
恐る恐る問いかけてくるカナメにそう返す。
「……やった、終わった!」
わーい、とそう言いながらカナメが机にペンを投げる。
その姿に苦笑しながら、卓袱台に手をつき、立ち上がった。
「……何か飲むか?」
「あ、うん! 炭酸がいい」
冷蔵庫を開け、ペットボトルをカナメに手渡す。
カナメはすぐに蓋を開けると、それを一息に飲み始めた。
「……はあ、疲れたー」
大きくため息をつく。
そして、卓袱台の上に上半身をのせて、伸びた。
机の上に、カナメの髪が扇のように広がる。
「……大丈夫か?」
「大丈夫じゃないよ……酷いよ」
ぐったりとしたカナメが顔を上げ、恨めしげな目でこちらを見る。
……なんとなく、視線を逸らした。
逸らした先の時計を見ると、もう夜の七時を指している。
始めたのが確か昼の一時くらいで……間に五分の休憩を五回挟んだはずで。
……やりすぎただろうか。
もう少し休憩を取ってもよかったかもしれない。
「……まあでも、ちょっと嬉しいけどね」
「……?」
反省していると、カナメの声のトーンが変わった。
見ると、カナメが疲れた顔に笑顔を浮かべている。
「むこうじゃ、人を頼れることなんてほとんどなかったからなあ……」
「……そうなのか?」
むこう、というと異世界の事か。
しかし頼れないなどと、穏やかじゃないことを言う。
「あっちじゃ私がリーダーだったからね。途中からずっと。
最初は別の人だったんだけど、派閥とか色々トラブルがあって私がしてたんだよ」
「……」
詳しく聞いていると、随分ドロドロとした話だった。
要するに、利権の話だ。
例えば、魔王軍に落とされた町を開放したとして。
その後、町の統治をするのは一体誰か、という問題が出てくる。
元々その街にいたものは、町を落とされた責任で更迭されるかそもそも戦死しているので、もういない。
そうなると、それを決めるのは手柄の数だ、ということになる。
では、手柄とは何か?
「手柄って言っても色々あるけど、その中でも大きい手柄の一つに、勇者からの指令を達成した……みたいなのがあるんだよね」
だから、気軽に頼みごとをすると後々論功行賞でその話題が出たりする。
そういうことがあったらしい。
具体的には、身内の手が空いてないときにちょっと雑用を頼んだら、後々、何々家の手の物が、勇者様に大いなる手助けをした……と。
結果として、自分で出来ることは自分でするようになったという。
「それに私はリーダーだし、勇者だからね。
あんまり情けないところは見せられないから」
勇者とは人々の希望で、軍の旗頭だ。
そんな人間がそう易々と助けを求めていたら、周囲の人間はどう思うか。
そもそも、周りの人間も例の恋人も、勇者とは偉大で誰よりも優れている……みたいに思っていた節があったらしい。
伝説に語られる存在とはそういうもので、カナメはその期待を裏切れなかった、と。
「そんなこんなで、私はいつも助ける側で、助けてもらえることなんてほとんどなかったかな……」
「……」
「人に頼れるって嬉しいね」
ニコニコと笑いかけてくるカナメに何と言っていいかわからなくなる。
やはり異世界とはろくでもないモノのようだ。
「……まあ、こんなことならいつでも頼ってくれていい」
だから、俺に言えるのはこれくらいだ。
俺が苦労することでカナメが楽になるなら、それ以上のことはない。
「ありがとう……でも、迷惑じゃない?」
「……大丈夫だ」
目を落とし、少し申し訳なさそうなカナメに笑いかける。
「……カナメのことで、迷惑だなんて思わないからな」
「――」
むしろ、困っているのに何も言ってくれない方が気になる。
……気付いたらどこかに行っていたなんてのはもう二度とごめんだった。
「……廉次は」
「……ん?」
「……それ狙ってるの?」
……何かと思ってみると、カナメが不思議な顔をしてこちらを見ている。
睨みつけているような……しかし口元は緩んでいるような。
……狙う?何をだろうか?
分からないが、カナメはしばらくこちらを見て、諦めたように大きくため息を吐いた。
「本当に、廉次は……」
「……」
「……でも、ありがとう」
……どういたしまして。
カナメの力になれたなら、それが一番だった。