元勇者のTS少女が目の前に居たり親友の本音を聞いたりする話
どこかから甘い匂いがした気がした。
良く知っているような、知らないような。鼓動が早くなりそうな、安心するような。
矛盾していて、でも間違っていない気がする。
よく分からない匂い。そんな匂いを嗅いでいるうちに、沈んでいた意識がどんどん浮き上がっていって――
「――」
「……あ」
目を開けると、目の前に青い色があった。
宝石のような輝きが俺の目を見つめている。
一体なんだろうと、一瞬悩み――すぐに気づく。
「……カナメ」
「……お、おはよう廉次」
……これは、カナメの目の色だ。
目の前にカナメがいる。囁いた声が優しく鼓膜を揺らす。
視界の端には金色の髪がさらさらと流れ、その一房が俺の頬を擽っている。
……それが、少しだけこそばゆくて。
「……どうした?」
「……え、えっと、その……ど、どうしたと思う?」
寝起きの鈍い頭で質問して、逆に質問が帰ってくる。
状況が良く分からない。カナメがいる。それだけが分かっている。それ以外は分からない。どうしてこんなに近くに居るのか、どうして俺に覆いかぶさっているのか。
「……」
金色越しに壁の時計を見る。朝の六時。早朝だ。いつも俺が起きている時間。いつもなら何事もなく起き上がって朝食前のランニングでもしている時間だろう。
いつもと同じ朝。いつもと同じベッド。しかし目の前のカナメだけが大きく違う。
「……」
改めて目の前のカナメを見る。
綺麗な青色が瞬いている。じっと俺の目を見つめている。近い場所だ。吐息を感じる。まつ毛の一本一本がはっきりと見えるほどの距離。
「……っ」
音がする。カナメがゴクリと唾を飲みこんだ音。
……ふと気付く。影になって分かり辛かったが、カナメの頬が真っ赤に染まっている。
「……カナメ?」
……わからない。全くわからない。
何がどうなってこんな状況になっているのか。
「……その」
「ああ」
「……な、なんでもないです。ごめんなさい!」
……え?
カナメがそう言ったかと思うと、体を起こす。そしてその勢いのまま逃げるように窓から去っていく。窓枠に足を掛けて、隣の家に向けてジャンプした。
……一瞬の出来事。
俺はその後によく分からないままに残されて。
「……なんだ?」
なんだったんだ、一体?
頭を掻きながら、俺も起き上がる。その際、甘い残り香が少し鼻先を擽った。
「……………………しかし」
なんとなく、胸に手を当てる。
手の平に鼓動が伝わってきた。
まるで全力で走った後のような強さで心臓が跳ねている。
「……心臓に悪いな」
大きく息を吐く。そして起き上がり、カレンダーを見た
……今日は十二月の二週目。クリスマスまであと十日と少しだ。
◆
そして、登校する頃。
申し訳なさそうな、でも頬を染めたカナメが家にやって来た。
もう一度謝り、忘れて欲しいというカナメに、軽くうなずく。
別に何かあったわけでもない。気にしなくてもいいと返して――
「――でも、最近勉強してばかりだよね」
通学路。いつもの調子を取り戻したカナメと歩く。
家にいた時のギクシャクとした感じもない。なにかあって、あっさりと流せるのも付き合いの長さ故なのだろう。
「まだ一年以上あるよ?」
「そうだな。でも必要なことだ」
俺の志望は志願者の多い国立大学だ。競争率も高く、一応模試ではいい結果をもらっているが、油断したら簡単に追い抜かれてしまうだろう。
「将来のことを考えると、やっぱりな。いい大学に入りたい」
いい大学を出て、いいところに就職する。まだ世間を知らぬ学生の身である俺にとって、それが最も分かりやすく、幸せに近い道だ。
楽しいことをしているだけで良い人生を送れるなら楽だが、現実ではそうはいかない。守りたい人もいる以上、努力を欠かすべきではないだろう。
「……いい大学、ね。この世界はその辺、大変だよね。異世界はもっと適当だったんだけど」
「……そうなのか?」
「そりゃそうだよ。そもそも戦争で人死にや怪我が多かったからね。平民は体が動けばいい、みたいなところがあったし。みんなその日暮らしで生きてたよ」
「……」
「日本ではみんな必死に勉強とか就職活動とかしてて……ちょっと息苦しい。そういうところだけは異世界が懐かしいよ」
「……む」
……異世界、か。
「……廉次?」
「……なんだ」
「ちょっと力強いよ」
「……ん」
言われて、繋いだ手から慌てて力を抜く。
気付かないうちにカナメの手を握り締めていたみたいだった。
「……すまん」
「いいよ、痛くないし。……でもどうしたの?」
不思議そうな顔でカナメが覗き込んでくる。
それに、俺は何と返すか一瞬悩んで――。
「――異世界は嫌いだ」
正直に答えることにした。
これまでは言わなかった、俺の本音でもある。
……そうだ。嫌いだ。
だから、それをカナメが褒めるようなことを言ったから、つい。
「そうなの?」
「……ああ」
「なんで?」
……なんでって、それは。
「カナメを連れて行ったからだ」
「……え?」
「一歩間違えたら、もう二度と会えないところだった」
それが、何よりも腹が立つ。
カナメを傷つけたのも腹が立つが、それが一番だった。
「……ふ、ふーん。そうなんだ」
「……ああ」
……我ながら、利己的過ぎるかもしれないけれど。
「大丈夫だよ。私だって嫌いだから。さっきのも懐かしかっただけだし」
「……そうか」
「うんうん、私は廉次の傍に居るからね!」
カナメの手に少し力が入る。
繋いだ手の中に暖かい感触がある。
……それが、とても嬉しかった。




