元勇者のTS少女が親友に奢ってもらったり微笑んだりする話
「起立、気をつけ、礼」
「ありがとうございましたー」
教室に生徒の声が響き、その日の授業が終わった。
先生が足早に教室を出ると、室内は瞬く間に声に埋め尽くされる。
「……さて」
荷物を手早くまとめて、カナメの席を見る。
部活に入っていない俺にはここに長居する理由もない。さっさと帰ってしまおうと思う。
「……ん」
しかし、視線の先でカナメが教室から足早に出ていくところが見えた。
声をかける暇もなく出ていったので、きっと何か急ぎの用事だったのだろう。
「……」
少し、待っていた方がいいか。
上げかけた腰を席に下ろす。カナメを置いて行ってまで急ぐ理由はない。
なので、さて、本でも読むかと、読みかけの小説をカバンから取り出し――。
「――なあ、廉次」
隣から声が掛けられた。
カナメのものとは違う、低い男の声。
「……なんだ?」
返事をしつつ、視線を向ける。
そこにはいつも隣の席で授業を受けているクラスメートが座っていて、視線が何故かこちらではなく扉の方を向いていた。
「一条さん、可愛いよな」
「……………………………………は?」
思いがけない言葉に驚き、返事が遅れた。
何を言っているのかとクラスメートを凝視するが、彼は心ここにあらず……といった様子で扉を見続けている。
「……いいよなあ、一条さん」
一条さん――それはカナメのことだ。
このクラスにはカナメ以外にその名字を持つ人間はいないし、俺の知る限りこの学年にも一人もいない。
「ほんと可愛い。あんなに可愛い娘、他にいないって」
「……そう、か?」
扉から目を離し、ようやくこちらを見たクラスメートの顔は、ニマニマと笑いながらも冗談を言っているようには見えない。
「……? 廉次はそう思わないのかよ?」
思わず疑問形で返したからか、クラスメートが不思議そうにこちらを見ている。
その視線からなんとなく目を逸らした。
「……いや」
「だよな、めっちゃ可愛いもんな」
否定の言葉を返すと、それに被さるように楽しそうな言葉が返ってくる。
……可愛い、可愛いか。
確かに外見は整っていると思う。見惚れたことだってあるし、そこに疑いを挟む余地はない。確かに可愛い。
「……」
……しかし。
何故か素直に頷けない俺がいた。その理由が俺自身でも分からなくて混乱する。
「でもなあ、不思議なんだよ」
「……何がだ?」
なにか、強い違和感がある。
その違和感から目を逸らしたくて、呟くようなクラスメートの言葉に質問を返した。
「俺がそう思うようになったのって、つい最近の気がするんだ。あんなに可愛いのに。なんで今まで気づかなかったんだろうなあ……」
「……さあな」
きっと、それはカナメが使った認識改変魔法とやらの力なのだろう。
元々カナメは男だったのだから、それまでは可愛いなんて思うはずがない。
……まあ、当然彼に言う事は出来ないが。
「ま、いいや。
一条さん見て元気が出たし、そろそろ行くかー」
「……部活か?」
「ああ、頑張るぜー」
ひらひらと手を振りながら教室を出ていく彼を見送る。
「……」
……なんでもない会話だった、そう思う。
特に違和感を感じるようなことでもないし、よくあるような会話だ。
男子高校生なら、だれだれが可愛い、綺麗だ……なんて話は日常的にするし、俺だってこれまでに何度もしてきた。普通の男なら誰だってすること。
でも、それなのに何故か……。
「……何なんだろうな、これ」
相手がカナメだったからか。
不思議なくらい動揺している自分がいた。
◆
しばらくして、カナメが教室に帰って来た。
待ってくれたの?ああ……なんて定番のやり取りをして、二人で教室を出る。
そしてそのまま校舎を出ると太陽の光が目を焼いた。
まだ夏の遠い、日の短い時期、沈みかけた太陽が道を真っ赤に染め上げている。
「はあ」
「……どうした?」
校門を出るなり、カナメがため息をつく。
その姿が疲れているように、落ち込んでいるように見えて声をかけた。
「……さっき、私しばらく帰ってこなかったでしょ?」
「ああ」
考え事をしていたからか、あまり気にならなかったが、時計を見ると一時間近く時間がかかっていた。
それは普段はあまりないことなので、不思議には思っていたが……。
「さっき、男子に告白されちゃってさ」
「…………何?」
一瞬理解できなくて、耳を疑う。
心臓が跳ねて、時間が止まったような感覚があった。
「……告白?」
足を止めてカナメを見た。
カナメが困ったように笑いながら頬を掻いている。微妙に視線が逸らされていて、目が合わない。
「あ、もちろん断ったよ?
……でもちょっと疲れちゃってさ」
カナメが俯き、はあ、と息を吐くと足元の小石を蹴る。
転がって行ったそれが排水溝の隙間に落ち、遠くで水の跳ねる音がした。
……なんとなく胸をなでおろす。
「……そう、か」
「うん、そうなの」
言葉を絞り出す。そして静かに、でも深くため息を吐いた。
……胸の中にある、よくわからない感情を吐き出すように。
「……だから授業が終わってすぐに出ていったのか」
「うん、呼び出されてたからね」
言いつつ、なんとなく頭を掻いた。
そしてカナメを見ると、今度はちゃんと目が合った。
「だからさ、疲れた私を労わって欲しいな……なんて」
「……ん」
おどける様にカナメが笑う。
……労わる、労わるか。
「……アイスくらいなら奢ってやるが」
「やった!じゃあ橋のとこにあるコンビニね!」
カナメが跳ねるように前に向かって歩き出す。
その後を置いて行かれないように追いかけた。
◆
「んー、おいしい」
アイスを齧りながら、帰り道を歩く。
行儀が悪いかもしれないが、まあいいだろう。
「疲れが溶けていくよー」
「……そんなに疲れたのか?」
包装紙に着いたアイスを舐めとっているカナメを見ながら言う。
なんとなく、赤い舌に視線が向いた。
「そりゃあもう。殺し合いと同じくらい疲れたよ」
精神的に……と呟きながら、カナメがげっそりとした顔をする。
ついでに大きなため息を吐いた。
殺し合いと同じ……というのはさすがに誇張しすぎに気もするが、それでもとんでもなく疲れている、というのは伝わってくる。
「……まあ、そりゃそうか」
考えてみれば当然だ。
カナメが女性になったのはつい最近の事なんだから。
カナメは、ほんのつい最近まで男だった。
覚えているのが俺を含めた数人だとしても、それは紛れもない事実だ。
「……男に告白されたんだもんな」
想像する。
俺がカナメの立場に立ってしまったら、と。
「……」
……普通に嫌だな。
つい想像してしまったけれど、男に告白されるとか嫌すぎる。
浮かんできた隣の席のクラスメートの顔を、想像の中で殴った。
「……ん、それは……ぅよ」
「……カナメ?」
と、そこで気付く。
カナメが少し俯いていて、何かを小さくつぶやいた。
「……」
「……」
沈黙が辺りを包む。
遠くから聞こえてくるカラスの声が妙に大きく聞こえた。
「……それは、ね」
「……ああ」
「……ちょっと、違うかな」
カナメが顔をあげる。
困ったような顔で、こちらを見ていた。
「……私が疲れているのは、男に告白されたからじゃないんだよ」
金色の眉が寄っていて、でも笑っている。
それは、俺が見たことのない表情で。
「好きじゃない人に告白されたから、疲れちゃったの」
「……」
カナメが目を細めている。
困っているような、嬉しそうな、でもそれだけじゃないような。
「……そう……なのか」
「うん、そうなの」
その表情が、笑顔が、なんだかとても綺麗に見えて――。
「そうなんだよ、廉次」
――しばらく、目を離すことが出来なかった。