元勇者のTS少女が親友に拗ねたり褒められたりする話
ある日の午後、ふと自室の窓を開けると声が耳に入ってきた。
すぐ近くから聞こえてくる声に、それが隣の家のものだと、なんとなく理解する。
「カナメ、そんなだらしない恰好したらダメでしょ? 今はもう女の子なんだからちゃんとしなさい」
「えー……外ではちゃんとしてるよ……家の中くらいゆっくりさせてよ……」
昔から聞きなれた声と、最近ようやく慣れてきた声。
おそらくはカナメと、その母親であるおばさんの声だろうと思う。
カナメとは昔から隣に住んで、お互いの家を行き来していた仲だ。
おばさんの声もすっかり聞き慣れていた。
「またそんなこと言って……廉次君に見られたらどうするの?呆れられるわよ?」
「な、廉次は関係ないでしょ!? なんでそこで廉次が出てくるの!?」
「なんでって……だってあなた廉次君のこと――」
「わ、わー!! なに言ってんの!? そんなわけないでしょ!?」
……ついでに、隣の家の声が聞こえてくることにも慣れている。
俺の家とカナメの家はほとんど間隔が無くて、俺の部屋とカナメの部屋は直接窓から行き来できるくらいには近い。
だから時たま、今のようにカナメの声が聞こえてくることがあった。
「……もうすっかり元通りか」
特に元気なカナメの声に思わず苦笑しながら……少しだけ安心する。
今の二人の会話は、少し前……カナメが異世界に行く前の会話に近いものだ。
……帰って来たばかりの頃は、漏れ聞こえてくる声もどこかギクシャクしていて、聞いていて辛いものがあったし。
「よかった」
胸をなでおろしながら、静かに窓を閉める。
聞き耳を立てるつもりはなかったけれど、結果的に盗み聞きみたいになってしまった。
そのことに少し申し訳なく思いながら――そういえばと、一つ疑問に思った。
「……」
なんでだらしない姿を俺に見られると問題になるんだろうか?
その逆――俺以外に見られたら問題になる――というのならわかるんだけど。
俺とカナメはもう身内みたいなもので、だらしない恰好をしていたからといって目くじらを立てるような浅い仲じゃないはずだが――。
「……まあ、いいか」
しばらく考え……何もわからなかったので気にしないことにした。
◆
時間が過ぎて、夕方。
いつものようにカナメが俺の家にやってきた。
「……」
……のだが、少し混乱している俺がいた。
「あー、もう。母さんには困ったもんだよ」
「……そうか」
「最近さ、母さんが身だしなみとかにすごく厳しいんだよね……女になったんなら、それに合った格好と態度を取れ……ってさ」
「……大変だな」
少し落ち着かず、カナメの愚痴を聞きながら視線を部屋に彷徨わせる。
なぜそうなっているのかというと、カナメの格好が原因だった。
「ねえ、廉次、聞いてる?」
「……ん、ああ」
俺のベッドに座り、枕を胸に抱えるカナメは、いつもの流しているだけの髪型とは違い、軽く編み込んでいて雰囲気が大きく変わっている。
着ている服も制服や部屋着とは違って、はっきりとお洒落をしているとわかるものだった。
「……」
……なぜ、俺の部屋に来るのにこんな服装で?
そう、疑問に思う。気になってしかたない。
俺の貧相なファッション知識ではそれがどんなものであるか言い表せないが、しかし今日のカナメが普段よりとても魅力的になっていることは分かる。
……思わず見惚れてしまった。
「……廉次、聞いてる?」
「ああ」
頭を掻きながら窓の方に目を向けると、真っ赤に輝く夕陽の光が目を焼いた。それを見ていると、混乱している脳がようやく落ち着いていくような感じがする。
「……それで、なんだったか」
「だから身だしなみの事だってば!」
軽くため息を吐きながら、頭を振る。
そして意識をカナメに話に戻した。
「最近は私の部屋にいるとき以外ずっと注意してくるんだよ……そこまでやらなくてもいいと思わない?」
「……まあ、自分の家くらいはな」
そういえば、と昼に聞こえて来た声を思い出す。
だらしない恰好をするな――みたいなことを確かに言っていた。
「女の子になったんなら、そういう行動をしなさいって……ちょっと足開いて座ってたり、薄着してただけでさ」
「……そうなのか」
男だった頃には問題なかったことも、女性になったら問題になる。
望まず今の姿になったカナメには辛いことなのだろう。
……それにしても、おばさんその辺りは厳しいな。
うちの母親は姉がバスタオル姿でほっつき歩いていても何も言わなかったが。
「そりゃあね、私にだって立場に合った振る舞いってやつがあるのは分かるよ? 勇者時代にもその辺りは注意してたしさ」
「……そうなのか?」
「そりゃそうだよ。力があるからこそ、好き勝手してたら大変なことになるんだから」
例えば、そうだね……と、カナメが人差し指を顎に添える。
「想像してみて?勇者って強いんだよ?普通の人じゃ手も足も出ないような魔物を簡単に殺……倒すことが出来る。でもさ、もしそんな強い人がとんでもない外道だったらどうする? 嫌なことがあったら誰にでも殴り掛かって、奪い取って、女の子に片っ端から手を出す……そんな人だったら」
言われて想像する。
俺には異世界のことは分からないが、日本で同じことが起こったらどうなるか。
「ちなみに私は騎士団全員を相手にしても余裕で勝てたし、本気で暴れたら誰も止める事は出来なかっただろうね」
例えば、外道な勇者を犯罪者と置き換えて、騎士団を警察と置き換えるとしよう。
今、俺たち民間人が安心して暮らせるのは犯罪者が警察より弱いからだ。
一部の例外を除いて犯罪者は必ず捕まるものだし、そんな警察がいるからこそ、俺たちは街を歩いていていきなり犯罪者に襲われることはまず無いと安心することが出来る。
しかし、仮にその前提が覆されてしまったら?
目の前で犯罪者に襲われても、乱暴されても、警察はその犯罪者を捕まえることが出来なかったら?そんな犯罪者が堂々と通りを歩いていたら?
果たして俺たちは安心して生きていくことが出来るだろうか?
「勇者は人格者じゃないといけないんだよ。そうじゃないと皆怯えて生きていくことになるし、勇者は逆に怯えられることになる」
出会う人みんなに怖がられて生きていくなんて勘弁してほしいからね。
そう言ってカナメは笑った。
なるほど、と頷く。そういうものなのかもしれない、と。
そしてそういう生き方を選んだのもカナメが優しいからなのだろう、とも。
カナメにはそういうのを全て無視して生きるという選択肢もあったはずだった。
怖がられても笑い飛ばして、縋る人を蹴り飛ばして生きていくことも。
歴史に名を遺す暴君のように、力と強権を盾に暴れることもできただろうし、そういう人達はきっと誰からも恐れられていたのだろうから。
「だからね、理解はできるんだよ。人には正しい格好と態度っていうのがあって、それを守るべきだっていうのは。……でも、さ」
そう言うと、カナメが力が抜けたようにゆっくりと横に倒れていく。
そして、腰を掛けていたベッドに軽い音を立てて寝ころんだ。
金色の髪がベッドの上に広がる。
さらさらと流れる髪が、夕陽に照らされて黄金色に輝いていた。
「でも、ちょっとくらいゆっくりさせて欲しいよ……せっかく帰って来たんだから」
「……なるほど」
はあ、と大きなため息が部屋に響く。
カナメがベッドの上をゴロゴロと回り始め、呻き声をあげた。
「外ではちゃんとしてるじゃん、私。家の中くらい自由にさせてよ……」
脳裏によぎるのはここ数日の学校で見た姿だった。
勇者の魔法の力で俺とカナメの家族以外はカナメは最初から女だったと思っているらしいが、トラブルがあったという話は聞いていない。それは要するにカナメが上手くやっていることの証明なのかもしれない。
「ずっと猫被るのも大変なんだよぉ……」
ゴロゴロ、ゴロゴロとベッドの上を転がり続けている。
それは俺の経験上、カナメがよっぽど疲れているときの行動だった。
……何か俺に出来ることはないだろうか。そう思う。
「……そうだな」
異世界とやらに飛ばされて、殺し合いまでして、今も変わった環境に頑張って慣れようとしている。そんなカナメに、友としてできることは?
「……」
学生である俺に出来ることは少ない。
金は持っていないし、時間もそれほどあるわけじゃない。
そんな俺に出来ること。
「……そうだな、なら俺の前だけはそういうのは無しにしたらどうだ」
「え?」
「俺の前では猫は被らなくていいし、どんな格好をしてもいい。お前の自由にしてくれ」
思う。
どんな人だって、どこかに自由にできる場所が欲しいんじゃないかと。
何をしてもいい空間、何をしても許される居場所が。
「どんな我がままを言ってくれてもいい。俺に出来ることなら、なんでもしよう」
本来、それは自分の家であるはずなのかもしれない。
しかし、それが難しいというのなら俺がその場所になりたいと思う。
「正しい格好や態度なんて気にしなくてもいい。俺はお前がどんな態度でも、どんな格好でいても気にしないから――」
――と。ここで気付いた。
「……どうした?」
「……むぅ」
見ると、カナメが少し不満そうな顔をしている。
唇を尖らせ、少し頬が膨らんでいた。
「……なんだ?」
「服」
なんで怒っているのかわからなくて、少し困惑する。
……服?それがどうかしたのか?
「私がどんな服を着てても気にしないって?」
「……? ああ」
「ふーん」
また少し頬が膨らむ。
仕草は可愛らしいと思うが、何なのか全くわからない。
「……じゃあ、今日の私の姿を見ても何にも思わなかったんだ」
「……ん?」
「……結構がんばったんだけど。まあ別に、お母さんに言われて着ただけで、別に廉次に見せるためにこの格好をしたわけじゃないけどね!」
カナメがゴロゴロと壁の方に転がって行き、そのまま壁を向いて動かなくなる。
その背中が怒りを表しているように見えた。
「そういえば、この部屋に来た時も何のコメントもなかったしさ。まあ別にいいけどね」
「……いや、それは」
「まあいいけどね。いいんだけどね」
「……だから、それは」
「さっきのも、気を使ってくれたのは分かるし、嬉しいよ」
そんなことはない、と慌てて否定しようとする。
しかし、カナメは言葉をどんどん重ねて口を挟む隙が無い。
……だから、端的に思っていることを話すことにした。
「……正直、見惚れたよ」
「気にしてないよ……え?」
「可愛いと思った。見違えるほど綺麗になった」
「……え?」
一目見て驚いたし、しばらく落ち着くこともできなかった。
あまりじろじろ見るものではないと思うのに、ついつい視線が向いて困ってしまった。
「……え?」
「そうか、何か言ったほうが良かったか」
何も言わなかったのは、そういう発想がなかったからだ。
普通、男友達同士で服装や髪形について褒め合うことはない。
俺とカナメも、男同士だった頃はお互いの髪型や服装なんてほとんど見ていなかった。
「……わかった。今度からはその辺りも気にすることにする」
「……え、えっと、その」
さっきカナメが言っていたことだ。
立場に合った振る舞いがある。俺とカナメの関係も少しずつ合わせる必要があるのだろう。
……思えば、ここ最近はその辺りで困っていたかもしれない。
カナメは親友で、それは変わらないことだ。しかし前とは違い女性になった。
だから、これまでと同じでいい部分と駄目な部分があって、首を傾げる点も多い。
……しかしそれも仕方のないことなんだろう。
俺たちはもう男同士ではないのだから。
これまでとは違う、男女としての関係を作らなければならない。
「……あうあう」
「……どうした?」
気が付くと、カナメの様子がおかしくなっていた。
顔が真っ赤になっていて、目が泳いでいる。
「……大丈夫か?」
「だ、大丈夫じゃない……」
カナメが突然ベッドに倒れこみ、壁際まで転がって行く。
そして俺の布団に潜り込んで中で丸くなった。
「……カナメ?」
「……しばらく放っておいて……」
よくわからないが……まあ、いいか。
布団の中で呻いているカナメを見ながら一息つく。
「……あーうー」
「……」
ゆっくりとした、居心地のいい時間。
今日もそんな時間が過ぎていった。