元勇者のTS少女が手を握ったり親友が悩んだりする話
少しして、カナメと一緒に一階に降りる。
先ほどの会話が気分転換になったのだろうか。カナメは特に渋らず後についてきた。
「……姉さん入るぞ。カナメも一緒だ」
「はい、どうぞ」
身内以外にはだらけている姿を見せたがらない姉に配慮して、リビングの扉をノックする。階段の音でわかっていたのだろうか、すぐに返事が返ってきた。
扉を開ける。すると、背筋を伸ばした姉さんが見えた。
……相変わらず、変わり身の早い人だ。
いつもはのんびりしている人で、しかし必要な時はこういう姿もできるし、実は結構腹黒いことも弟として知っていた。
「その、お、お久しぶりです、一華さん」
「ええ、お久しぶり、カナメちゃん」
カナメが俺の後ろに半分隠れながら挨拶する。
それに対し、姉さんはいつもの外向きの笑顔で返した。
「さ、どうぞ、座って」
「は、はい」
カナメが勧められるままに椅子に向かい――妙に動きが硬い。
やはり緊張しているのだろう。大丈夫だと軽く背中を叩き、椅子を引いてやる。
「相変わらず仲がいいわね、二人とも」
「え、そ、そうですか?」
「ええ、昔からそうだったけど、言葉なんかなくても通じ合ってる感じ」
えへへ、とカナメが照れたように笑う。
それを見ながら隣の席に座ると、カナメの手が伸びてきて俺の手を掴んだ。
「……」
机の下で握り返してやると、カナメの手から力が抜ける。
「えへへ、一華さんも相変わらずお綺麗ですね」
「あら、ありがとう。でもカナメちゃんの方が可愛くなったわ……うん、本当に」
その言葉を皮切りに、カナメと姉さんの世間話が始まる。
目に映るカナメはニコニコと笑っていて、そつなく姉さんと会話しているように見えた。
「大学生活はどうですか?」
「最初は色々大変だったけど、慣れると楽しいわ。やっぱり自分で予定を立てられるのがいいわよね」
でも、机の下は目まぐるしく動いていた。
力が入ったり、抜けたり。
手を握ったり、指を絡めたり。
不安なのだろう。大丈夫だと伝えるために、カナメの手を握り直した。
「カナメちゃんの方はどうなの?」
「え、えっとですね……色々ありました……色々」
「そ、そうなの……」
遠い目をするカナメに、姉さんが一歩引く。
そしてそれが合図になったのか、カナメの手に強く力が込められた。
俺の手が痛いぐらいに握りしめられ――それを出来る限りの力で握り返す。
「その、一華さんは、信じてくれるんですね」
「なにが、かしら」
「……私が一条カナメだって」
そうそう信じられることじゃないと思うんですけど、とカナメが言う。
最初はおじさんもおばさんも疑ってましたし、と。
「うーん、実はちょっと疑ってたんだけど……」
「……っ」
「でも、実際に会ってみたらカナメ君だなあ、って思ったわ」
「……え?」
口を開けて驚くカナメに、姉さんが面白そうに笑う。
「ほら、そういうところよ」
姉さんの目が俺に向けられる。
……俺?
「困ったらまず廉次の顔を見るところ。今日は何度も見てたから」
「……あ」
話し方とか、表情の作り方は変わったけど、そういうものはなかなか変わらないのかもね――そう、姉さんは言った。
「うぅ……」
「二人とも、仲いいわよねー」
カナメは恥ずかしそうにしているが、しかし手から力は抜けていた。
安心したのだろう。……俺も気が抜けて一息ついた。
◆
「じゃあ、私は大学に帰るから。またね、カナメちゃん」
「はい、また」
それから、最初の不安は何だったのかというくらいに、何事もなく時間は過ぎた。
カナメも安心したように俺から離れ、笑顔で姉さんに手を振っている。
「その、ありがとうございました」
「お礼を言われるようなことなんてしてないわ」
姉さんが靴を履き、扉に手をかける。
そして、外へと歩き出し――ふと、足を止めた。
「そういえば、一つ聞いてないことがあったわ」
「……? 何ですか?」
くるりと振り返った姉さんはどこか悪戯っぽい顔をしていて――。
「二人は、いつ付き合うの?」
「……は?」
姉さんはとてもいい笑顔で、そう言った。
……付き合う?
何のことだ?
疑問に思い、問い返そうとして――
「なな、なにを言ってるんですか!?」
――その前にカナメが叫んだ。
思わず口にしようとしていた言葉が喉で止まる。
「えー? 何をって、そんなにおかしなことを言ったかしら?」
「おかしいに決まってるでしょう!? だって、その、私と廉次は……」
ちらちらとこちらを見ながらカナメが言った。
なんとなく、さっき姉さんが言ってたのはこういうことか、と納得する。
「今時別にそんなの珍しくないじゃない」
「……え、それは、そうかもしれないですけど……でも……」
一拍、カナメが溜める。
そして、言った。
「私と廉次が恋人同士になるなんて……そんな……」
……恋人?
……なるほど、付き合うと言うのはそういうことか。
考えたことが無かったので、理解するのに時間がかかった。
……俺とカナメが恋人になる……?
「嫌なの?」
「い、嫌なわけな……というか、そう簡単じゃないというか……」
カナメを見る。
そこにはもう見慣れた今のカナメの姿がある。
……女性になった、カナメの姿が
「と、とにかく、そういうのは無しにしてください!」
「はーい、ごめんなさい、二人とも」
姉さんが謝りながら外へと歩いて行った。
そして、玄関の扉から手を離す直前――。
「――廉次、ちゃんと考えなさいね」
ガチャン、と音を立てて扉が閉まる。
「ま、まったくもう、一華さんったら変なこと言うんだから……ねえ、廉次?」
「……ん、ああ」
カナメは顔を真っ赤にしている。
………………恋人?
◆
夜。
ベッドの上で考える。
『二人は、いつ付き合うの?』
『――廉次、ちゃんと考えなさいね』
姉さんの言葉が頭の中で何度も繰り返されていた。
あの言葉が頭から離れない。
「姉さんはそういう人だからな……」
あの人は昔からそうだった。
いつもはやる気のない顔でダラダラしてるのに、突然ポンと人を悩ませるようなことを言う。
「……はあ」
思わずため息が漏れる。
結局今日も何のために帰って来たのかよくわからない。
カナメと話がしたいとか言ってたが……。
あの人は、弟としてもよくわからないところがある人だった。
「……付き合う、か」
これまでは考えてこなかったことだ。
……でも、よく考えてみるとおかしいことではない。
カナメは確かに女性になったし、そういえば以前はクラスメイトに告白されたとも言っていた。
「……」
……いや、考えてこなかったんじゃなくて、考えないようにしていたのか。
カナメは確かに女性になったけれど、そうである以前に俺の親友で。
……それが当然だと思っていた……いや思おうとしていたのかもしれない。
俺たちは親友だから。そうでなくてはならないと。
「……でも、もし」
仮の話だけれど。
……もしそうではなくて、恋人になったとしたら。
それは――。
「――」
――ふと、以前膝枕されたときのことを思い出した。
「……俺は」
自分の気持ちがよく分からない。
どうすればいいのか、どうしたいのか。
頭の中で色々な感情がぐるぐる回っていた。
「……カナメはどう思ってるんだろうか」
姉さんに、そういうのは無しにしてください!と怒っていた。
そういうことは考えてないのかもしれない。
それはそうだ。
カナメは元は男で……いや、いつかに男だからとか関係ない、みたいなことを言ってたような……
「……どうすればいいのかね」
よくわからない。自分のこともカナメのことも、
……ただただ、頭が痛かった。