元勇者のTS少女が親友と手を繋いだり魔法を使ったりする話
「……暑いな」
額に滲む汗をぬぐいながら、思わず呟く。
空高くにある太陽の光は強く、外を歩く人間の肌を容赦なく焼いている。
春はもう過ぎた六月。
夏が始まり、気温も湿度も日々高くなり続けていた。
「廉次、すごい汗」
「……ああ」
シャツが汗で張り付いているのを感じる。
朝の天気予報でも言っていたが、今日は特別暑くなるらしい。まだ六月なのに真夏日になるのだとか。
まだ暑さに慣れていない体は急激な温度変化に耐えられず、全身から大量の汗を噴出していて――。
「……ん?」
ふと気付く。
目の前にいるカナメの姿に違和感を感じた。
「……カナメ、何で汗かいてないんだ?」
「え?」
少し心配そうにこちらをのぞき込んでいるカナメの顔には汗の一滴も浮かんでいない。
それどころか、手や足、服装にも汗をかいている様子が全くなかった。
……どういうことだ?
体質の問題だろうか?
しかしそんな事でどうにかなるような気温ではない気もする。そもそも去年のかなめは確かに汗をかいていたし。
「ああ、それは魔法を使っているから」
「……魔法?」
不思議に思い、首を傾げる俺に、しかしカナメはあっさりと返答する。
魔法――異世界で手に入れた不可思議な力のおかげだと。
「うん、温度を調節する魔法を使ってるの」
ほら、と言って、カナメが右手を俺の手にかざす。
すると確かにその手の周りがひんやりとした空気に包まれているのが分かった。
「……便利だな」
「でしょ? これがあるのとないのじゃ全然違うんだよね」
驚く程に便利だと思う。
そんな魔法があったら通学も楽になるし、色々なコスト削減だって出来るだろう。
制汗剤の類は必要ないし、エアコンだって必要ない。
夏場に電気料金を睨めっこをする母親の姿も無くなるだろう。
「……」
……というか、前々から思っていたが、魔法便利すぎないか?
一カ月前に歌を聞かせてもらった時は防音に使っていたし、今日はこれだ。
それ以外にも日常でしばしば使っていて、念動力の魔法でジュースを取ったり、ちょっとした切り傷を治したりもしていた。
色々できて、万能なんじゃないかという気さえしてくる。
「……でね、廉次」
「……ん、ああ」
「この魔法、廉次にもかけてあげたいんだけど、ちょっと難しいの」
「……そうなのか」
カナメの言葉に、脇に逸れていた思考が戻る。
気を取り直して正面を向くと、カナメが申し訳なさそうな顔をしてこちらを見ていた。
「体の周りで調節しないといけないから、自分の周り以外は難しくて……ごめんね」
「……別にいいさ」
少し残念ではある。しかし、出来ないと言うなら仕方ない。
元々は無かったものだし、今だって、それが無くてもやっていけているのだから。
「……で、でもね……一つだけ裏技があって」
「……?」
「……手を握ってくれる?」
そわそわと落ち着かない様子のカナメを不思議に思う。
そして、言われた通りに手を握ると――。
「――これは」
冷気が手を伝わって、体に広がっていく。
全身の汗が一気に冷やされて、まるで冷房の効いた部屋にいるような感覚があった。
「……その、体が触れている時だけ、他の人にも効果を広げることが出来て」
「……なるほど」
試しに手を離してみる。すると、冷気が急速に体から逃げて行ってしまった。
もう一度手を握ると、体を冷気が包んでくれる。
……しかし、快適だ。
夏というのがウソのようで、外だというのを忘れそうなくらい心地いい。
「その、廉次がそうして欲しいなら、今日から毎日こうして登校してもいいよ」
「……いいのか?」
この快適さを知ると、元のように汗をかきながら歩く気にはならない。
しかし、手を繋ぐ必要がある以上、どうしてもカナメに迷惑がかかるのは間違いのないことで。
「だ、大丈夫。任せて」
「……じゃあ、頼む」
そう言って手を握り直すと、手に柔らかい感触が伝わってくる。
それを感じながら、いつの間にか止めていた足を動かし、また歩き出した。
「……」
「……」
魔法のおかげで、全身が涼しい。
……でも繋いだ手だけはとても熱かった。
◆
それから、しばらく歩いて家へと辿り着いた。
また後でね、と手を振るカナメと別れて自分の家に入る。
玄関から部屋までという短い間にも関わらず、汗が噴き出してきそうな暑さに辟易としながら靴を脱ぎ、玄関から上がった。
「おかえりー」
「ただいま……ん?」
――と、横から声が掛けられる。
一瞬母親かと思い、しかし声が違うことに違和感を覚えつつ振り向いた。
「久しぶりだねえ、廉次」
「……姉さん」
視界に入って来た姿に少し驚く。
何故かというと、その人物は家に居るはずのない人だったからだ。
「……大学はどうしたんだ?」
「少しお休みすることにしましたー」
「……母さんに怒られるぞ」
リビングに入り、中央にある机へと近づく。
久しぶりに見る姉は、その机の天板に頬をつけて伸びていた。
……相変わらず緩い感じだな。
机にへばりついているのも、多分冷たくて気持ちいいからとかそんな理由なんだろう。
「もう怒られたー」
「…………それはまた」
姿自体は変わっているように見える。
最後にあったのは今年の正月だったが、その時と比べて髪の色も少し違うし、大人の女性としての雰囲気も出ている気がする。
しかし、そもそもの空気が緩いというか。
……ダラダラとした感じの印象が強かった。
「……」
……外ではしっかりとしてるんだけどな。
内弁慶の逆というか、家の中だけやる気がなくなるタイプ。
あと、家の中でも家族以外の人がいると背筋が伸びる感じだった。
「……で?今日はどうしたんだ?」
「んー」
向かいの席に座りつつ、問いかける。
姉は家ではこんなだが、理由もなく学校をサボる人ではないことは確かだ。
「カナメ君、いや、今はカナメちゃんかな」
「……カナメ?」
「そう、見に来たの」
……なるほど。
まあ、隣の家の子供が突然女になったとか聞いたら普通は気にもなるか。
俺と姉さんは年が離れているとはいえ、カナメと姉さんに全く付き合いが無かったわけじゃない。俺の部屋に遊びに来ていたので顔を合わせる機会だって多かった。
「さっきの金髪の子でしょ?すっごく可愛くなってたね」
「……見てたのか」
ということは……手を繋いでいるのも見られたということか。
それは少し恥ずかしいかもしれない。
「ねえ、異世界とか魔法って本当なの?」
「……ああ、そうみたいだな」
「ふーん……」
姉さんが微妙な顔をしている。
……まあ、無理もない。信じられないのだろう。
俺に関してはついさっきまで魔法の恩恵にあずかっていた身だ。
今更疑うべくもないし、当然信じている。
……しかし、今日帰ってきたばかりの姉さんは違う。
魔法なんて実際に見なければ、いや見たとしても、そうそう信じられる物ではないのだから。
「……まあ、いっか。廉次が言ってるんだし」
「……姉さん?」
しかし、どう説明しようかと悩んでいる俺とは裏腹に、姉さんは一度頷くとそう言って机にべったりと張り付いた。
まあいっか、て……それでいいんだろうか?
「……いいのか?」
「いいよー。あ、でも後でカナメちゃんと話はしたいかも」
……まあ、それくらいは大丈夫だろうと思う。
しかし、あまりにあっさりとしていて拍子抜けしてしまった。
「ねえ、お茶取ってー」
「……いいけどな」
だらけモードの姉さんの希望通りに冷蔵庫からお茶を出し、コップに注いで机に置く。
姉さんはそれを大きくあおり、息を吐いて――。
「――ねえ、廉次」
「……なんだ?」
「よかったね、カナメちゃん帰ってきて」
「………………ああ、そうだな」
本当にそう思う。
それはこの数か月、俺がずっと思っていたことだ。
……カナメが帰ってきてくれて本当に良かった。