偽善者の証言2~生きた道徳~
p01
毎日毎日同じことの繰り返しのように思えて心もとない日々は続く。
平々凡々に暮らして、ささやかな幸せを求める。
それで十分報われているとは思うが、何故か物足りなさもある。
では、何を欲望し続けるのか?
人として向上心を持つのは健康的で自然なこと。
ともすれば、間がさして不幸を味わう。
人生とは何て理不尽なことばかり。
人生楽ありゃ苦があるのかと、本気で頭を抱えてはみたが
その回答は誰も教えてはくれない。
学校では教育を行う。当然のように。
国が違えば教え方やその内容も異なる。
日本では文部省、教育委員会がそれを担う。
僕らの頃は「道徳」という科目が存在していた。
記憶には薄いが、先生から倫理的な質問をされて
それについて皆で意見を述べ合っていたような気がする。
教鞭を執る先生の意見が方向性を決めていたのかもしれないが
特に教科書のようなものは無かったかに思う。
担任によっては、何故か自習時間に成りがちだったり
あまり熱心でない先生も居たのかなと。
そのうちそんなひと時はどこかに消えてしまったが。
僕の記憶にかすかにある「道徳」の時間・・・
その中で一生忘れることの無いすばらしい場面がそこには会った。
その一コマを回想する・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
p02
小学4年のある秋の4校時目・・・
佐藤先生が教室に入る。
担任で国語の先生。
スラリとした古風な細面でわりとハンサムなメガネの先生。
何故か病弱そうにもみえる静かな人柄。口数も少ない。
先生たちとのなかも浮いているようで、しかし優等生的な
そんな雰囲気が僕には親しみがあった。
佐藤先生は無言で黒板に大きな文字で何かを書き始める。
「 思いやりの心 」
教室には静寂。
そして先生は静かに語り始める。
「みなさん、「思いやりの心」って意味分かるか?
それぞれが考え始める。
「先生、友達に優しくすることかな?」
「人に優しくすること?」
「そうだね、他に意見は?」
「けんかをしないこと?」
等々、少しばかりの意見が交錯する。
佐藤先生が語り始める・・・
「この間、ある班員が帰りの掃除を始めたとき、その班の
班長が最初に始めたが、他の班員たちは掃除をせずに話を
して遊んでいた。班長一人が掃除をしていた。
なんで班長だけなのか考えてみよう。
班長は責任感から掃除をちゃんとしなければいけなかった。
班員たちは掃除の時間が終われば帰れるからそれまでサボっていた。
誰も手伝うことなく・・・」
教室は静寂につつまれたまま、皆黙って先生を見つめる。
「なぜ、みんなで掃除をしないんだ?
一人だけ掃除をしているのをなんで観ているだけなんだ?
何故誰も手伝おうとしない?」
佐藤先生が急に震える声で激高している事にたじろぐ。
そして・・・先生は続ける。
「掃除を皆でするのがルールだ。しかし、ルールは置いといて、
一人で掃除している班長はそんな気持ちなのか分かるか?
班長だからそれは一生懸命なのだろう。
掃除は一人でも出来るかもしれない。
掃除の時間さえ終われば誰がやっても、誰がやらなくても
時間は経つのは確かだ・・ だがな・・・」
とうとう震える佐藤先生のメガネから涙がこぼれ出す。
皆が動揺する・・・
先生が再び話し始める。
「班長はどんな気持ちで掃除をしていたのか・・・
皆が掃除をしていないことに、協力してくれないことに、
班長は悲しかった筈だ!
そんな気持ちもわからずに楽しそうに話をしている班員は
それが正しいことだろうか?
ルールには従っていないことでは正しくは無い。
しかし、それより班長の気持ちはどうだろう?
そこで「思いやりの心」をもたなければならない。
自分さえ良ければ、では、いけないんだよ!
それが先生の気持ちだ!」
そう吐き捨てるように言うや、佐藤先生は俯いて教壇を下りると
引き戸を開けて教室から出て行ってしまった。
今まで見せたことのない激高!
暫くの沈黙の後、チャイムが鳴るまで皆ヒソヒソしている・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
p03
その後、先生はそれ以来そのことには特に触れない様子だった。
しかし生徒たちは自発的に掃除をちゃんとやるようになった。
先生とは授業でも普通に話していたが、生徒たちの変化としては
皆、」口々に何かの度に「思いやりの心」と口ずさんでいた。
そして学年が終わる頃、佐藤先生は離任して行った・・・
何故か「思いやりの心」と書かれた紙が
教室の壁には残ったままに。
それにも増して僕らの心に碑となった。
今も忘れられない「道徳」の時間。
唯一心に残る道徳の時間・・・・
遥か昔となった今さらながら、
この一言の重みが今も尚、心に佇む。
思いやりの心~ 先生、ありがとう!
~fin~
」
」