55 勢いです
どどど、どうしよう?!
人生46年間でもこう言うピンチは初めましてだ。いや、転生とか異世界転移とかもだけれども!!
パニックに陥っているうちにティラを名乗る男はズボンを下ろした。
逃げないと!でも、手足縛られててっ!転がって逃げる?
周りは暗くて、物が乱雑に落ちている。懐のマリちゃんはピクリともしないし、大怪我してるかもしれない。転がって逃げようとして、マリちゃんを潰したら、、、。
第一、転がって逃げても逃げ切れはしないだろう。
無理だ。結論に至って、体が動かない。
男が覆いかぶさった。
「初めては怖いんだね。やっぱり君はマリアンヌだね。大丈夫、すぐ良くなるから。」
縛られた手で何とか男の顔を押し返す。耳の縁が熱を帯び、少しだけ腕の力が強まった。けど、突き飛ばせるほどでは無い。
「あれ、意外と力、強いね。そんなに恥ずかしいのかい?」
男が迫る。
怖い怖い怖い、嫌だ。
助けて!所有者様!
「や だぁ。」
自分の声が涙声になっているのに気づいた瞬間、男は『何か』に横から吹き飛ばされて壁にぶつかった。
ズガンッ!!
そして、男が壁にぶつかったのとほぼ同時に先程まで男が立っていた背面の壁に大きな穴が空いた。
「えいこ様!」
その穴からディナさんが私に駆け寄って来てすぐさま解縛してくれる。
「お労しや。このようなお姿に。」
ポロポロ泣かれて、自分の姿を見る。結構あちこち破れていてボロボロだ。擦り傷を治そうとするディナさんにまずマリちゃんを診てもらう。
「魔力が枯渇した気絶ですね。」
無事、だった。怪我もしてないらしい。
「やだなぁ、主犯はあなただったんですか?街の有力者の御子息様ですよね?だから、師匠は殺しちゃダメって言ったんだな。」
ジェード君がいつも通りのにこにこ爽やか笑顔で穴から入ってきた。
なぜ、今その表情なの?
「街のパワーバランス崩すからダメって言われたけど、これは見過ごせないなぁ。だから、殺した後ちゃんと分からないようにしたら大丈夫だよね?」
なぜ、その表情のまま『殺す』とか言うの?
「わ、私だけじゃないから無駄だぞ!黒髪の乙女を手に入れたい青年会の人間は何人もいるからな!黒髪で貞淑な彼女を手に入れれば、ティラになれるんだ!」
「ティラになれば、さいきょぉおおぉー!」と男が叫ぶ。この世界でもクスリってあるんだろう。男の足はちょっとおかしい角度に曲がってるのに痛みも恐怖も感じてなさそうだ。
「そ、めんど。じゃあ、分かるように表に吊るしてやるよ。」
にやっと笑ったジェード君の表情はゲームの中も含めて私の知らない顔。
ぶちんっと自分の中で何かがキレる音がした。
昨日からのイライラに初めて感じた恐怖が乗っかって、いっぱいいっぱいだ。その上、三ヶ月で騎士見習いのはずのジェード君がアサシンにクラスチェンジしてたんだから、仕方ないよね?
「アホか!そんなんしたら、どえらい騒ぎになるわ!」
穴からサタナさんも出てきた。よく見ると穴の空いた壁は祭のメイン会場に面しているシャッターのようだ。
そうですか、そういう事ですか。
「ふ、ふふふふふ。」
「あの?えいこ様?目が座ってらっしゃいませんか?」
全く悪くない所有者様だけど、とりあえず放置。
「ティラ様と話させて?」
不思議そうな顔のジェード君に、今度はシャッターを開けさせた。街の人間が何人か覗いてくる。
「サタナさん、来て?」
可能な限り、甘えた声を出す。サタナさんは何かを感じたのか、後からどうとでも取れそうな表情でこちらに来た。流石。
自称ティラ様と街人に見える位置でサタナさんに背を預ける形で立つ。
「ティラ様。残念ながら、あなたのマリアンヌは、、、貞淑で貴方を愛していた私はもうおりません。」
とても申し訳なさそうな顔で目を伏せる。もちろん声は可愛らしく。
「どう言う意味だい?マリアンヌ?そんな商人風情の側にいちゃダメだ!」
「そのお言葉に、従うわけには参りませんの。だって私、この方無しではもう生きていけない体になってしまって…。」
面倒に間違われてえらい目に遭うくらいなら、ビッチだろうが情婦だかになってやろうじゃあないか!
出来たら妖艶に見えたらいいな、くらいに薄っすらティラ様に笑ってから、サタナさんの首に右手を回しサタナさんの顔を引き寄せる。サタナさんのギリギリ口に近い右頬に水音を出しながらキスのフリ。サタナさんはほんの一瞬驚いた顔をしたけど、それさえ演技かもしれない。
すぐに察して右手で私の頭を鷲掴み、一度顔を離させると私の左頬に触れるギリギリの所まで顔を近づけ水音を出す。ギャラリーには激しく口付けている様に見えただろう。
サタナさんが顔を離したタイミングで、わざとハアハア言いながら、ティラ様に言ってやる。
「そう言うわけですので、お子様には興味ございませんの。ごめんあそばせ?」
そこで駄目押し、私をお姫様抱っこしたサタナさん。
「そうゆうこっちゃ。知らへんかったんやろうし、今回だけは見逃してやる。次、俺の女に手ェ出したら店ごと潰すで?」
メロメロになってる設定の私はサタナさんの胸に顔を埋めているから表情は見えないけど、多分彼はウインクしてるに一万点。そのまま退出です。
ところ変わりまして、宿のダイニングにて。机の周りには、えぐえぐ泣くディナさん、それを見て困ってるサタナさん、「えいこサンと師匠、同じ部屋にされますか?僕、荷物移した方が良いですか?」と完璧に騙されているジェード君、そして私。ついでにマリちゃんは未だ私の懐で夢の中。
ディナさんが余りにも感情的で、こっちがオロオロしてしまう。
「ディナさん、あの?」
「わ、私が側に居りながら、えいこ様があんな目にっ!」
声をかけると、わっと机に突っ伏してしまった。
ディナさんの責任じゃ無いと思うけど、なんだか周りの言葉が届いてない気がする。
「私は大丈夫です。皆さんに助けてもらったので感謝しています。次からどうしていけば良いか考えて行きませんか?」
「でも!私がお守りしたかったのです!」
声が戦慄いた。
ふむ。何かいつものディナさんでは無いような?
サタナさんとジェード君には席を外してもらって、ディナさんの背中をトントン。ゆっくり話を聞くことにした。
そうだ、ちょうどたくさん持っている鎮静作用のあるお茶を淹れよう。
あ。
「ディナさん、すみません。お湯沸かしてもらっても良いですか?」
「は、はひ。」
グスグスしながらも、一緒に小さな流しでお茶を淹れてくれる。
ほーっと二人でお茶を飲んで一息つけたので、「落ち着きましたか?」と聞くと、またポロポロ泣かれた。
まだ、だめか。
「あ、あのっ、わ、たしも何故こんなに悲しくて、辛いのか分からないくらい、あのお姿を思い出すと胸が締め付けられるのですっ。」
うるっとした瞳のまま、見つめられた。
もしかして、と原因に思い至る。
「えいこ様が他の方に無理やりなんて、耐えられません!それに、演技とは言えサタナ様の恋人などっ。私、えいこ様がどなたかを想われるなら応援したいと考えていましたけど、何でそんな風に思えたのでしょう?今、まで、好きな方は男性でした、けど、私、もしかしたら。。。」
ついに頬まで赤らめ始めた。
「ストップ!」
ディナさんの言葉を制止する。
「私、宮廷風恋愛も百合百合な世界も否定しないけど、その感情は多分、違うわ。」
「違う?」
「ディナさんが使える最速のハト貸してくれない?」
「ハト、ですか?」
ディナさんは、ぱちくり目を瞬かせながらもハトを影から取り出した。
「あの、こちらは1分ほどの言葉を覚えるので、直接話しかけてください。手紙ですと、若干到着が遅くなります。」
「では」
ハトに近づくと、ハトは羽で集音するようなポーズになった。
『えいこです。先ほど少し危ない目に遭いましたが、ウランさんの加護とディナさん達に助けていただきましたので、無事です。ありがとうございました。私と繋がっているから心配かけてしまいましたね。ごめんなさい。お忙しいでしょうが、帰ったら笑い話として聞いて下さい。明後日のお祭りが済んだらすぐ戻ります。』
少し離れるとハトは羽を閉じた。
「ウランさんに。」「はい。」
ディナさんはハトを飛ばした。一時間ほどで着く予定らしい。
「私のコレはご主人様のものですか?」
「多分そうです。あの時、ウランさんの証から加護がありました。だから、逆に私がピンチだった事も伝わっていると思います。ディナさんが感じた事も忠誠の証で多少伝わっているかもしれません。それと、あの時シャルさんも呼んでしまったのでそれも伝わっているかも。」
「そう、ですか。そうですね。」
少しホッとした表情になった。
「そう言えば、ご主人様の感情はたまにですが私達に伝わる事は以前もありました。だから、シャルは…。」
一度言葉を切って、先程とは別の意味で切なそうに私を見て微笑んだ。
「シャルの方が感受性が強いから、あちらは大変かもしれません。」
ありありと想像して、ちょっと笑ってしまった。
「えいこ様、私達のご主人様にこのような強い想いをくださってありがとうございました。」
ちくっと心が痛んだけど、それが礼を言われて なけなしの良心が痛んだからなのか、それとも過去形で言われたからなのかは判らなかった。




