16 布を求めて
女神は意識を手放されている。恐らく長い旅路で消耗されているのだろう。
すぐに、御身柄を移さなければ。
再び手を伸ばし、引き戻す。神聖な、清らかなその躯体に触れる事が憚られる。
せめて無垢の布か何かに包まなくては、お運びする事もままならない。
万一にも耳朶に触れてしまえば、万死に値する。
「御前を暫し離れることをお許しください」
意識のない少女に向かい、カナトは額を土に当てながら許しを請うた。
馬に跨り、すぐさま最寄りの村、教会のある場所に駆ける。幸い近くの村は、ここからそれほど離れてはいない。上手くいけば目覚められる瞬間には立ち会えよう。
どぅん。
女神の在わす所から数キロほど離れた所で、突然攻撃を受けた。
「え、あ、ごめんなさい!おれ、制御できなくて、あの、逃げて!」
若い男、まだ子供にすら見える魔人がその力を暴発させている?強い魔の力だ。器以上のの魔力を集めてしまいバーストしたのか?しかしバーサクしていない。
器以上の力を得てしまえば普通はバーストとなりバーサク、つまり貯めた力を放出しまくり、最後は力つく。急激な魔力の放出に体は耐えられず、通常は文字通り死ぬ。
しかし、彼は違う。扱える力以上の力を得たのであろうが、それを受ける器にはまだ余力がありそうだ。これ程の器を持ちながら、なんらかの理由で魔人として魔力のコントロール法を学ばずにいた者だろう。
魔力を暴走させている相手に直接聖力を打ち込めば、衝撃で体が物理的に傷つく。聖力を一度錬成し、衝撃を抑える作用を持たせてから当てるか、純粋な聖力の結晶を用いれば、相手の魔力を相殺させる事ができる。体に負荷なく。
この百数年、先代の聖女が間を取り持ってからは、光の国と闇の国は比較的穏やかな関係を築いている。もっとも相容れぬ者同士なので、まともな交流は例外を除きほとんどないが、相手を攻め滅ぼそうという気配は表面上ではあるが、今のところはない。
光の国の地位ある聖人が迷える魔人の子を討ち亡ぼすと言う事は、この関係を終わらせる事になり得る。
通常なら、間違いなく錬成しただろう。
しかし、今はこの限りではない。
カナトの後方数キロの所に女神が在わすのだ。
魔人が放つ無秩序な魔力を防ぐ事は容易い。しかし、魔力に吹き飛ばされた岩石の、塵の一つでも女神に降りかかってはならない。それに比べれば、魔人一人の命や国同士の争いの種など、カナトにとっては軽い。
逡巡したのは一瞬だった。討ち滅ぼすのに充分な聖力を指先に集める。外すことは、無い。
「待って!待って!待ったって!カナト様ー!」
知っている声に気が逸れた。
その瞬間に聖力の結晶が魔人を拘束し、魔人は倒れた。戦闘中は自動で感知を展開させているが、それによると魔力枯渇による気絶である事がわかる。
「サタナ殿か」
「カナト様、いきなり聖力ぶっ放そうとか、ほんまビビるわ。こいつ、なんかやらかしました?」
魔人側の例外、闇の国の商人だ。
「攻撃を受けた」
こんな言い訳通じるはずがない。子供が誤って投げたボールを時速二百キロで投げ返すようなものだ。
しかし、大ごとになるのはまずい。サタナは闇の国の商人であるだけでなく、その働きにより闇の国で候の敬称を許可されている身分だ。女神の事が知られるのは避けるべきだ。
「はぁ、さいでっか。このボーズとっ捕まえるんが、今回の仕事でしてん。間におうて良かったわ。ほんま」
サタナは頭をかいた。
「ほな、こいつ、もろて行ってもかましまへんな?カナト様が帰らはるんは邪魔しまへんさかい」
暗に大ごとにしないから、さっさと去れと言われる。魔人の回収に秘匿したい特殊な手順があるのかもしれない。どこからか、幌付きの荷馬車がやってきた。
女神の事が少し気がかりだが、初めの予定と変わらない。もし女神が目を覚まされていても、あの場所から数キロ離れた商人達が偶然見つける事は無かろう。布を取りに行っている間に、あの魔人は回収され、サタナ達もいなくなるだろう。
「問題ない」
そう告げて再び馬を走らせた。
「また、顔出しに行きまっさかい、よろしゅうご贔屓にー」
サタナの声はカナトには届かなかった。




