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BLOOD STAIN CHILD Ⅴ  作者: maria
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 リョウを先頭に、三人は夢のステージを降りる。その時だった。後ろからやってきたミリアがステージ脇の階段を転げ落ちるようにリョウの横を掛け過ぎ、地面に降り立つと同時にがくりと四つん這いになり、肩を震わせ、呻いたかと思うと激しく嘔吐したのである。

 「ミリア!」リョウはそう叫び、隣にいたシュンにギターを押し付けると、ミリアの隣に膝を突き背を摩った。「医者だ! 医者を呼んで来てくれ!」リョウは周囲を見回しながら、そう声高に呼ばわった。何人かのローディーが困惑したように二人を見た。

「ドクターだよ! ドクターを呼べ! 早く!」リョウが更に怒鳴る。ようやく解した地元のローディーが携帯電話を掛け始めた。シュンがいち早くと、ギターとベースを近くにいたローディーに押し付け走り出そうとした。その瞬間であった。

 ミリアが苦し気にリョウの腕を摑んだ。

 「ミリア、もうちっとの辛抱だかんな! 頑張れ! 早く、医者を、ドクターを、呼んで来てくれ! そこいらにいねえのなら、早く! 遠藤を呼んでくれ! 医者に連れていく準備を、頼んでくれ!」リョウは更に高く呼ばわった。

 「病気じゃないのよう!」

 「うるせえ! 病気か病気じゃねえかは医者が決める!」

 「違うの、違う。だって、だって。」ミリアは口許を拭って、えいと目を瞑り、「赤ちゃんがいるだけだなのよう!」たしかに、そう、叫んだ。

 リョウとシュンとアキとは、ぴたりと動きを止めてミリアを凝視した。次のバンドのステージの準備に向うから歩いて来たローディーたちが、ステージを終えたリョウたちを見て「cool」と叫び、親指を立てていく。

 「……な、何?」リョウは暫くの沈黙の後、目を丸くして問うた。

 「だから、だから、……ミリアのお腹に赤ちゃんがいるから、気持ちが悪くなるのよう! 疲れっちまうのよう!」ミリアはやけっぱちたように、地面を向いて叫んだ。

 「あ、あ、赤ちゃんだあ?」リョウはそう言うと、尻を地に着き、へたり込んだ。

 「リョウと露天風呂行った時、赤ちゃんができたんだわよう!」ミリアは目を瞑って、唾をぺっぺと吐きだしながら叫んだ。周りに日本語を解する人はいなかったのであろう。出番を控えたバンドマンたちが、微笑みを浮かべ好意的なライブの感想を述べながらミリアの傍を通り過ぎていく。

 「な、な、生々しいこと言うんじゃねえよお!」シュンが頭を抱えた。

 その隣でアキは茫然と立ち尽くし、訳の分からぬことを呟いた。「ひ、……人妻。」

 「だって、だって、本当なんだもの!」

 「お、お、お前そんで、最近顔色悪かった、んか。に、妊娠、だったんか……。」シュンが向けた人差し指は震えていた。

 「だって、病院に行ったらそう言われたもの! 赤ちゃんの写真もちゃあんと、この目で見たもの! こーんな小っちゃい、子がミリアのお腹ん中に、いたんだもの!」ミリアは片目を瞑って、人差し指と親指とでほんのわずかな隙間を作った。

 「マジ、か……。」シュンが茫然と呟いた。

 それまで口元を震わせるだけであったリョウは頭を左右に激しく振って、ミリアの両肩をがっしと掴んだ。

 「お、お、お前、マジで言ってんのか?」

 「マジ、マジ、大マジ。」最早何も怖くはないとばかりに、ミリアは半身を仰け反らせ、大威張りのような態度で宣言する。

 「どうして……。」

 「どうしてもこうしてもないわよう! 温泉行って一緒に寝たら、赤ちゃんってできるんだわ! 言っとくけど、ミリアはちゃんと産むんだからね! リョウがやだって言ったって、ちゃあんと、産むんだから! だって、だって、もう、ミリアは、お母さんなんだから!」ミリアは叫んだ。

 「お、お母、さん?」リョウは仰天して、生まれて初めて口にしたとばかりのたどたどしい口調でそう繰り返した。

 ミリアは大きく肯く。「お母さんは! 赤ちゃん! 産むの!」

 男三人は再び茫然と立ち尽くした。

 「……否、そうじゃねえ。」リョウがあまりにも力のない言葉をようやく紡ぎ出す。「……そうじゃなくって、……何で、今まで、俺に言わなかった。」

 「だって、だってヴァッケンじゃあないのよう!」ミリアの双眸からそれまで耐え忍んでいた涙が零れ落ちる。「リョウがようやくようやく、メタラーとしてのいっちばんの夢を掴むのに、そんな、そんな……赤ちゃんができました、赤ちゃんできましたから具合が悪いですなんて、言えないじゃないのよう! そんなことしたら、リョウが困っちまって、悩むし、夢の邪魔になっちゃうじゃないのよう!」

 「邪魔なもんかよ!」リョウに叱咤されて今度はミリアが目を剥いた。「邪魔なもんか。……そんなくだらねえこと考えねえで、早く言ってくれりゃあ、良かったのに。お前が体調悪そうにしてて、ずっと心配したじゃねえかよ……。なんだよ、ったく。」リョウは息も絶え絶えにミリアの肩にそっと手を置いた。

 「邪魔じゃない?」

 リョウは呆れたようにミリアを睨むと、「邪魔なもんかよ。」と吐き出した。

 「赤ちゃん、……産んでいい?」

 「……はい。」

 「本当に?」

 「体に気を付けて、……その、……産んで下さい。」

 「本当に?」ミリアは感極まった声を上げる。

 「絶対、死ぬなよ。病気んなるなよ。」

 「うん、うん。わかってる。ありがとう、リョウ。本当に、ありがとう。」

 「よ、よかったな。おめでとう。……パパ。」シュンがそう言ってリョウの肩を叩いた。

 「パ、……パパだあ?」リョウが顔を歪めてシュンを見上げる。

 「そりゃあ、パパだろうよ。……てめえのガキなんだろ?」

 「あったりまえじゃないのよう! 一体全体誰の子だって言うのよう!」ミリアは憎々し気にポケットに入っていた自分のピックをシュンに投げ付けた。

 「……ええと、立て、るか?」リョウは遠慮がちに言った。

 「うん。」ミリアは差し出されたリョウの手を取って、ゆっくりと立ち上がる。

 「その……、ホテル、戻るか。」

 「……うん。」

 「車、こっち持って来て貰うか。」

 ミリアはさすがに少々恥ずかし気にリョウを睨んだ。「病気じゃないのよう。」

 リョウは困惑の表情を浮かべて黙した。子供が腹にいるとは一体どういう状態であるのか、想像も付かない。あんまり歩いて子供が股からずり落ちてくることはないのか。それ以前に、先程のステージングでヘドバンをしていなかったか。あんなに激しく動いたら、やはり子供がずり落ちてしまうのではないか。

 「……その、歩いたりヘドバンして、……子供がそっからずり落ちて来ることは、ねえのか。」リョウは恐ろし気な表情を浮かべて訊ねた。

 ミリアは噴き出した。「今はまだ大丈夫よう。でもあと暫くしたらヘドバンはお休み。」

 リョウは生真面目そうに肯いた。

 「もう、リョウが代理ギタリストを入れるって決めても、文句言わない。だって、赤ちゃんを産むようになったら、お腹が大きくなってギターが弾けないのだもの。」

 「……そう、か。」頭がついていかない。ミリアの腹が大きくなる……。この、ぺたんこな腹が一体どこまで大きくなると言うのであろう。リョウはごくりと生唾を飲み込んだ。

 「ごめんね。」

 リョウはふと思い至って睨んだ。「……お前、さっきから邪魔だのごめんだの言ってっけど、子どもはお前の責任だけじゃねえだろ、……その、俺が……。」さすがにその先は口籠った。

 「そうなのだけど……。でもねえ、リョウには迷惑かけたくないの。ミリア、病院に行って、赤ちゃんができてるって言われた時に、本当にどうしようどうしようって思って、本当に、困っちまって……。だってリョウにはヴァッケンに専念して貰わなくちゃあなんないし、絶対言えなくて、そんで、困って。でも中絶なんて絶対できないって思った。アイミちゃんが待っててくれた赤ちゃん、絶対に元気に産まなきゃなんないって思ったし、ジュンヤパパだって、絶対楽しみにしてくれたはず。だからリョウにはヴァッケン終わるまで内緒にしといて、終わったら赤ちゃん産みますって言おうって思ったの。お医者さんもねえ、あすこのS総合病院行ったから、リョウと本当には結婚してないけど、血も繋がってなくって、大丈夫ってことすぅぐ、わかってくれた。だからすぐに元気なリュウちゃんを、産むって決めたの。お医者さんねえ、頑張ってって言った。」ミリアは満面の笑みを浮かべて言った。

 「リュウちゃん?」シュンが頓狂な声で繰り返す。

 「そう! リョウによっく似たリュウちゃん!」

 「え……、もう、性別わかってんのか?」シュンが恐る恐る尋ねた。

 「え? ううん。お医者さんはそんなこと言わなかったわよう。きっとまだ全然わかんない。」

「じゃあ、『リュウちゃん』じゃねえかもしんねえじゃねえか! まさかリュウコちゃんじゃねえだろ?」シュンが叫んだ。

 「ああ、まあ、そう、かしら。……ううん、そうかもしんないわねえ。」ミリアはその目に困惑の色を滲ませる。

 「……おい、お前、もし、もし、女の子だったら……。自分に似てたら……、どうすんだ?」リョウが恐る恐る尋ねる。ミリアはかつて自分に、すなわち母親に似ていたら愛せないかもしれないと吐露していたのをリョウは思い出していたのである。

 「うん。……それも考えた。でも、やっぱしリョウの子だもの。リョウの血が入ってんだもの。誰に似てても、ミリア可愛がって育てたいの。そんでいつかアイミちゃんのお墓にお参りして、アイミちゃんがお世話したいって言ってくれた子を見せたいの。だから、だから……。」ミリアは俯いて手を組んだ。

 「わかった。」リョウは落ち着き払って答えた。「体、大事にして、もうバンドのことは暫く忘れろ。シュン、アキ、済まん、産休っつうやつだ。」

 「Last Rebellionに産休制度があったんか……。」シュンが茫然と呟いた。

 ミリアは信じられないとばかりに、目を見開いてリョウを見上げた。「本当の、本当に?」

 「だって腹のでかい妊婦に、ギター弾かせらんねえだろ。」

 「それに、まだ次のライブまだ決まってねえしな。凱旋ライブはなしにして、そのままレコーディング入りゃあいいだろ。ミリアにどうしても弾いて貰わなきゃなんねえ音は、家で録りゃあ問題ねえじゃん。」どうにか冷静さを取り戻しつつあったアキが言った。

 「ああ、そうだな。次のヴァッケンに向けて、音源にしてえ曲もたんまり、あんだ。」

 ミリアは頬を一気に紅潮させると、リョウに抱き付いた。「ありがとう、ありがとう! リョウ!」

そこを通りかかったバンドマンが口笛を吹いた。

 「あのな、これ、見えねえかもしんねえけど、人妻だから。ハズバンド、アンド、ワイフ。しかもワイフ、ハズ、ベイビー。」シュンが下手糞な英語で説明をする。

 「oh? Baby?」金髪の、やたらタトゥーの入ったバンドマンは慌ててミリアの前に走り込むと、手をぐいと握り締め何やら英語を捲し立てた。

 「……元気な赤ちゃん産んでくれだと。」そう伝えたリョウの顔は困惑よりも幾分喜びが勝っていた。

 「サンキュゥ、ベリマッチ。」ミリアは小首を傾げてバンドマンに手を振る。そして再びリョウに向き合うと、「あのね、リョウ、ミリアね、赤ちゃんが生まれたら、あなたがお腹にいた時に、ママとパパはヴァッケンのステージに立ったのよって、言ってあげんの。これ、胎教っていうのよう。」と言って微笑んだ。その顔は出産に向けてあらゆる難題を吹っ切ったためか、どこか神々しさえ感じさせた。リョウは一瞬、これが母性というものなのかと思い成し、自分も母親の胎内にいた時、母親にこんな顔をさせたのだろうかと考えた。

 その時、土埃を上げながら遠藤の運転するバスが勢い込んでやって来た。どこぞのローディーが遠藤にバスで病院に連れていってくれるよう、電話で頼んでいたのである。

 リョウはミリアの手を握り締めたまま、バスに向かって手を振った。中から遠藤が心配そうにリョウたちを見、すぐ目の前にバスを止めた。慌てて窓を開けると遠藤は「お待たせしました! あの、ミリアさん、大丈夫ですか? さあ、乗って! 病院、行きましょう!」と叫ぶように言った。

 「あ、大丈夫だ。病気じゃなかった。」

 「え。」遠藤は口を半開きにする。

 「病院はだから、いい。で、これから俺ら二人だけホテルに戻りてえんだが、送ってくれるか?」

 「え、ええ? ……病院、いいんで、すか? ……体調、は? ミリアさん?」と訊ねた。

 「体調は、……ガキができてただけだった。」リョウはそう言って笑った。

 遠藤は声にならぬ声で絶叫した。

 「じゃ、そういうことで、ホテルまで頼む。夫婦で子どもの将来について話し合わねえとなんねえから。」

 ミリアはくすり、と笑んで「リュウちゃんのことを、話し合うの。」と囁くように言った。

 リョウも小さく噴き出して、車の後部ドアを開け、ミリアの背をそっと押し込むと自分もその隣に座り込んだ。

 その時、ステージから次のバンドの音が響き渡った。高く高く空に突き進んでいくような澄んだギターの音である。それはあたかも未来を照らし出す希望の光のようにリョウには感じられた。リョウとミリアはドアを閉めると、自然と見つめ合い、そのまま軽く唇を合わせた。

 バスが砂埃を上げながら、歓声を背後にどこまでも澄み渡る空の下を大きく揺らぎながら出発していった。

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