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BLOOD STAIN CHILD Ⅴ  作者: maria
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 ふわふわと、雲の上を歩いているような気がする。このままいけばどこまでも飛び上がれるような気がするし、そうしたら飛び降りるのだってきっと簡単だ。こんな気分になるなんて、きっと自分は猫になってしまったのだ。ならば明日からは白とリビングのソファで寝転びながら暮らそうか。でもそうしたらツアーに出られなくなってしまう。

 ミリアは酒に頬を紅く染めそんなことを思いながら、駅からの帰途をふらふらと歩いていた。

 今しがた終わったばかりの謝恩会で、別れを惜しんだ先生や友人たちの姿が胸中に次々と浮かんでくる。もう明日からは別々の場所で、別々のことに専念しながら生きていくのだ。そう思うとミリアは痛烈なまでにただ、ただ、寂しかった。化粧だの服だのにほとんど心酔していたエリは、エステサロンでダイエットや美容についての進言をする、栄養のプロとしての就職を決めた。他の友人たちも、給食センターや食品メーカー、それからミリアもかつて希望していた病院に就職を決めた者もいた。――そして自分はギタリストとして、モデルとして、栄養とは全く離れた場所で暮らしていくのだ。自分で決めたこととはいえ、ミリアの胸は決して後悔ではないが、限りなくそれに似た何かで、痛んだ。

 ゼミの教授は謝恩会でゼミ生たちから感謝の言葉を浴びせられながら、今日がみんなの旅立ちだからと言い、一人一人に名前入りの万年筆と手紙を渡してくれた。ミリアはその手紙を帰りの電車の中で読み、涙が溢れてならなくなった。


黒崎さん

 この四年間、仕事と勉強の両立をよく成し遂げてくれました。あなたはいつも授業に出られずすみません、レポートがメール提出ですみません、謝り続けていましたね。一回だって謝ることなんて、なかったのに。

 これから社会に出て行けば、誰にだって両立は強いられます。遊び、恋愛と仕事の両立、それが家庭と仕事の両立になり、更にそこに子育てが加わって……。女性はむしろ一つのことに専念できる期間の方が少ないと言えるかもしれません。

 でも、黒崎さんがこのゼミにいてくれたおかげで、他の子たちも両立をどう成し遂げていくべきなのか学ぶことができました。大切なのは情熱を失わないこと、周囲に感謝の心を忘れないこと、そんな人生におけるいちばん大切なことをあなたがゼミ生たちに教えてくれたのです。あなたが私のゼミを選んでくれたこと、本当に感謝しています。どうもありがとう。

 これからも黒崎さんがギタリストとして、モデルとして、世界を舞台に活動をしていってくれることを、心から期待し応援しています。

 以前、やはりすみませんと言いながら、黒崎さんは自分の進路について報告してくれましたね。管理栄養士の資格を取得できたとしても、就職はしないと。だから、ここで学んできたことを、生かせないと。何を申し訳なく思うことがありますか? あの時も言いましたが、決してそんなことはありません。大学は、栄養のことだけを学ぶ場ではないのです。食という学問をベースとしながら人として、女性として、その一番大切な人生観を学ぶ場でもあるのです。その点において、黒崎さんはとても優秀な学生でした。私が四半世紀に及ぶ教員人生を送ってきて出会った、間違いなく一番に優秀な学生です。自信を持ってこれからも人々の前に立ち、人々を魅了していってください。

 奈良峰 亜紀


 ミリアは出席日数もゼミ生の中で最も少なかったのにかかわらず、何故教授は何もかもわかってくれているのだろうと、不思議でならない程であった。

 ミリアは友人たちが就職活動などを口にするようになる頃、自分にはギタリストとして生きる道が適切なのだと自覚されるにつれ、胸に一種の凝り、が生じるのを意識していた。

 ――あれだけみんなで勉強をしたのに。テスト対策などといって、図書館のディスカッションルームを借りて十人も集まって教え合ったこともあった。調理実習では、みんな必死になって準備をして何十人分という食事を作った。それに、課せられたテーマに合ったメニューを考案するのに、夜遅くまでゼミ室を借り、ああだこうだと話し合ったこともあった。なのに自分だけがそれを全く生かさずに、全く異なる畑でこれから、生活していくことになるのだ。--それがミリアの罪悪感でもあり、喪失感であった。

 自分はギターを選んだ。そうするしかないという必然性を覚えつつも、四年間の学問が霧消してしまうような感覚は辛かった。悲しかった。それを教授が解してくれ、そうではないのだと最後の教えを与えてくれたことが、嬉しかった。

 ミリアは我知らず頬に涙の伝うのを感じた。そして酒による制御力の喪失に、遂にわあわあと泣きながら道を歩いた。

 「お前、どうした。」

 気付けば目の前にはリョウがいた。

 ミリアは急に真顔になって、濡れた顔を掌でべたべたと拭った。

 「何かあったんか。」

 ミリアは恥ずかしくなって、それをリョウを詰ることで代えた。「何で、何で、リョウがここにいんの?」

 「お前、俺が自分の家の前にいて悪いんか。」

 ミリアははっとなって辺りを見遣った。既に自宅の目の前だった。

 「袴着てびいびい泣きながら歩いてくる奴がいると思って出て来てみたんじゃねえか。……お前さては酔ってんな。真っ赤な顔しやがって。」

 ミリアは口を噤む。

 「まあ、無事に帰ってきてよかったよ。ほら、入んな。」

 ミリアは明らかに酒以外の理由に顔を赤くして、リョウに手を引かれ家に入った。

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