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そうこうしている内に、バッファロースカルのモチーフと共にヴァッケン・オープン・エアと大書きされた、巨大な看板が迫ってきた。遂にヴァッケンに到着したのである。四人はにわかに色めき立った。
「おおおい! あれ、あれ! ヴァッケンだ! ヴァッケン!」シュンが叫んで思わず立ち上がった瞬間、頭をいたく天井にぶつけ、頭を抱えて再びしゃがみ込む。
「かっこいー! メタルの町だわよう! メタル町!」ミリアも狭い車内でぴょんぴょん飛び跳ねる。既に観客たちは大勢集まっていた。それぞれ黒のメタルTシャツを着ているので、遠くからでもそれとはっきりわかるのである。
「おいおい、ライブは明日だっつうのに、何だこのメタルTシャツの群れは! 今日はテント泊かあ? 随分気合入ってんじゃねえかよお!」アキもいつになく饒舌に捲し立てた。
「こいつらが、こいつらが、全員俺らの曲を聴いてくれんのか。」リョウも頬を紅潮させて叫んだ。「おおい、凄ぇなあ!」
「そうよ、14万の耳で!」ミリアは突如窓を開けて、「いえーい!」と歩いていたメタルTシャツの群れにメロイックサインを突き出した。
すぐさま歓声を上げながら、男たちは同じくメロイックサインを返してくる。
「キャー! 素敵素敵!」
「さあさ、そこを潜るともう会場ですからね。」
巨大なバッファロースカルの冠せられた門を潜ると、土埃を上げながらバスはステージへと進んで行った。あちこちにテントが張られていた。メタルバンドのTシャツが上から下まで張り巡らされているテントもあれば、早速ビールジョッキをぶつけ合いながらメタラーたちが騒いでいるテントもあった。
「凄い凄い。」ミリアは簡単の声を漏らす。
「結構店も多いのな。」シュンがじろじろとテント中を覗き込みながら言った。「ありゃ物販用だろ、で、こっちが飲食用だろ。」
「そうですねえ、何万人もが基本三泊、ここで過ごす訳ですから、ある程度のものは村の方まで行かなくてもここで揃えられるようになっています。特にバーは充実していますね。テントエリアだけでも相当あります。」
「へえ、へえ、ミリアも食べ物屋さん、行ってみたいなあ!」
「ライブが終わったら、是非。」
バスは観客の間をゆっくりゆっくりすり抜け、巨大なステージ脇に停まった。そこには数台のバンド用バスが停まっていた。
リョウは無言でドアを開け、ゆっくりと降り立った。どこまでも続く茶色の地平線と真っ青な高い空がリョウを迎え入れる。リョウはそっと目を閉じて大きく呼吸をした。
ミリアも後に続き、同じように両手を広げて呼吸をする。「ヴァッケンの空気、美味しいわね。」
「ちっと埃っぽいがな。」アキがそう言って不敵な笑みを浮かべる。
シュンはあちこち忙しなく見回しながら、「いやあ、ステージまででけえな。……想像以上だ。」と呟いた。
ステージ両脇に掲げられた巨大スクリーンがきらきらと陽光に輝いている。明日、ここに自分も映し出されるのかと思うと、リョウはそれだけに既に感涙しそうになった。
「皆さん、機材はこちらに到着しております。」
そう促され、四人は遠藤の後を次いでステージ脇の階段を上った。するとそこには、慣れ親しんだ戦友とも言うべき機材が丁寧に並べられていた。
「皆さん方のリハは、あと二時間後になります。こちら、メインステージです。」
「俺、ヴァッケン直前にベース、メンテナンス出したんだ。相当キレのいい音出っかんな。覚悟しろよ。」シュンが誰へともなく呟く。
「ミリアも。」そう言ってミリアも、自慢げに身を仰け反らせた。「メンテナンスばっちり。」
「まあ、どんだけ楽器が良くてもな。」リョウは厳しい眼差しで二人を見据えた。「要は演者の腕だろ。あとハート。それさえありゃあ、楽器なんざどうだっていいんだよ。」
シュンとミリアは顔を見合わせて、ぶう、と頬を膨らました。
「いよいよ戦闘だ。見てろよ。」リョウはステージ越しに見える、まだ客のまばらな牧場を見詰めて不敵に笑んだ。
既にサイドステージでは他のバンドのリハが始まっていた。リョウもステージの責任者の挨拶を受け、時間までは暫くある旨が改めて告げられたので、一人で周辺のテントを眺め歩くことにした。メタルの祭典に相応しい展示物やらグッズ販売やらが軒を連ね、歩くだけでも飽きることはない。リョウはレアなバンドTシャツを発見し、早速4、5枚程買い込んで、ホクホクしながらステージ脇に戻って来た。
ミリアは長旅で疲れたと言って、リョウの散歩の誘いに応じることもなく、ステージ脇にスタッフ用に用意された小さなテーブルで両肘を突きながらサイドステージで行われているバンドのリハを遠く眺めていた。
「お帰り。」ミリアはリョウの帰還に気づくと微笑んで言った。「何買って来たの。」
「Tシャツ。」
「そろそろTシャツ用タンス、大っきなのに買い替えた方がいいわよう。ぎゅうぎゅう詰めだもの。だのに、リョウ、全部思い出あるって捨てないし。」
「まあ、そうだな。……考えてみる。それより大丈夫か。」
「ううん。大丈夫。ちょっと飛行機乗り過ぎて疲れただけ。今日リハ終えてぐっすり寝れば、明日はバッチリだわよう。」
「なら、いいけど。」リョウはギターケースを開け、ギターを取り出す代わりにTシャツを隙間に突っ込んだ。「いよいよだな。」
「こーんなに、広いのねえ。明日はここに人がみっちり入るんだってよう。」
「何せ、七万人だからな。」
「……そんなの、数えたこともないわよう。」ミリアはそう言って嬉し気に微笑みながら、まだただの牧場にも等しい観客席を眺めた。これが、明日には変貌を遂げるのだ。
そこに数本のビール瓶を手にしたシュンとアキが戻って来た。「旨いぞ、ドイツのビールは。」そう言ってリョウとミリアに差し出す。
「ミリアは、いい。」
「おお、そうかい。」
リョウはミリアを一瞥し一瞬顔を曇らせたが、差し出されたビールを受け取ると一気に呷った。「……おお、マジだ。旨ぇな。」
「しかもな、こっちのビールは凄ぇ安いぞ。これ一本で大体、……百円ぐらいだかんな。」
「マジで?」リョウは目を剥いた。
「水より安いらしい。」
「ミリア、やっぱ老後はこっちで住むか!」
「いいわよう。」ミリアはニコニコと微笑んでいる。
そこに進行係がやって来て何やらステージを指さし、リョウに向かって英語とドイツ語の入り混じった言語で捲し立てた。
「そろそろだとよ。」リョウはギターを持ち立ち上がった。後に三人も続いていく。
「メンテしたばっかりのベースちゃん、鳴ってくれよお。世界一の舞台だかんな。」シュンがほくほく顔でベースを取り出す。陽光に黒いB.C.Richのワーロックがきらきらと輝いて見えた。
「ミリアのVも、メンテばっちりだもん。」ミリアはいそいそとケースからギターを取り出すと、高々と掲げて見せた。
「え。」その時、リョウは思わず小さな驚きの声を発した。だからそれは誰にも聞かれなかった。ミリアは相変わらず得意げに自分のギターを眺めている。しかしリョウはたしかに、見たのである。ミリアのギターの裏側に小さな文字が刻まれているのを。それはたしかに「Jyunya,Enjyo,Aimi」と書かれていた。リョウは一瞬瞠目したが、ミリアの「メンテナンス」をリョウは自分もすべきだったと苦笑を漏らした。そしてポケットに忍ばせておいた園城のピックを、固く握りしめた。




