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BLOOD STAIN CHILD Ⅴ  作者: maria
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6

 ひらり、と身を翻してミリアはリョウの前で一回転した。淡い水色の着物に桜の刺繍の入った紺の袴を合わせ、頭にも青い桔梗の花を飾り立てている。

待ちに待った卒業式当日であった。

 「どう? キレイ?」

 朝早くより店を開け、着付けとヘアアレンジをしてくれた妙齢の女性美容師は、「もちろん、とてもとてもお綺麗ですよ。」と強ちお世辞とも言えぬ満面の笑みで答える。

 リョウもつい先ほどまでは睡魔との戦い、というときこえはいいが、その戦いに完全なる敗北を喫し店内のソファでいぎたなく鼻息だか鼾だかわからぬ音を立てていたのであるが、頭上から唐突に問われ、目を見開き顔を上げると、夢から覚めたはずであるが、どうにも現実とは思えない。美しい和装に身を包んだ綺麗な女性が、にっこりと微笑んで自分を見詰めているのである。そして思わず本音が出た。「……キレイだ。」

 ミリアは感極まってリョウに抱き付く。「本当に? ミリア、キレイ? 嬉しい!」

 リョウは飛び上がるミリアに頭をぐらぐらと揺らされ、次第に現実に引き戻されていく。

 「やっぱし水色にして良かった! 本当はピンクとオレンジ、それから赤も迷ったけど、やっぱし袴着られるのもこれが最初で最後だから、好きな色にしようって思って! おばあちゃんが最初に買ってくれたやつ! それから、ほら、これ、美桜ちゃんに昔貰ったブレスレッドにも、ぴったし!」そう言ってミリアは水色のブレスレッドを突き上げる。

 「わ、わかった。落ち着け。」

「落ち着いてるわよう。」ミリアはその主張のままに低く呟いた。

「おばあちゃんが買ってくれたお着物、本当に素敵。後でお写真送って、ありがとうって言おう。」

ジュンヤの母親は時折着付けを教えることもあるという着物好きで、ミリアにも成人式の着物を誂えて以来、訪問着だ卒業式用だと度々着物を携えて上京してくるのである。着物なんぞ実際には見たことさえないリョウは、単なる土産程度にしか思っていなかったが、しかしある時、それらの値段を多少そういう知識のあるアサミから聞き目玉の飛び出る程驚愕して以来、もう着物の新調は結構とどうにか老婆の熱意を押し止めている始末であった。

「おばあちゃん、『ミリアちゃんは和装もとっても似合うから』って言って、今度着付け教えてくれることになってんの。」

「だからっつって、もう頼むから、着付け練習用着物なんざ貰うなよ。その水色でいいかんな。そうおばあちゃんに言っとけ。」リョウは釘を刺した。

「そうよねえ。いっぱいあってもお着物じゃあ、ギター弾けないしねえ。」

「まあ、せいぜい三味線ぐれえだな。」

「ミリア、三味線弾けない。前ライブで弦切れた時あったけど、あれ、五弦だし。」

「俺もせいぜい五弦までだなあ。二弦以上ぶっちぎれたらギターを弾き続けられるか、微妙な所だな。でも七弦もあんま調子出なかったかんなあ。やっぱ六だよ、六。」としみじみ言って、壁の時計が視界に入るとリョウは唐突に立ち上がった。

「……お前、早く行かねえと入学式間に合わねえぞ。」

 ミリアも慌てて腕時計を確認し(これもミリアの祖母が『二十歳のお祝い』だとか言って送って来た、高級時計であった)、「お姉さん、どうもありがとう。一生に一度の袴、とっても素敵に着してくれて。これ、今度の『RASE』のミリアのページにちょこっと載せて貰えるかもしんないから、そしたら見せに来るね。ありがとう。」と、さっさと支払いを清ませ美容室を出た。


 早春の清新な空気の中、ミリアはリョウと手を繋いで足早に駅に向かって歩いて行く。

 リョウも久方ぶりにスーツに身を包んでいた。それは着慣れぬ分幾分窮屈ではあったが、ミリアの晴れ姿に自ずと微笑みが零れてくるのを抑えることができなかった。

 「ねえ、ちゃーんと四年で卒業できた。偉い?」

 「偉い。」リョウは相変わらず微笑んだまま答えた。「海外ツアー何本もやったのにちゃあんと卒業出来て、立派だよなあ。俺は正直、四年コースは、諦めてたかんな。」

 「そうでしょう!」ミリアはリョウの顔を覗き込むようにして言った。「だってどこでだって教科書読んだりレポート書いたりしたし、あと友達もみんな協力してくれたから! 全然ライブ以外お出掛けもしなかったから!」とそこまで言って口籠った。「……あの、スウェーデンで勝手に市役所行った以外は。」

 「あっはははは!」リョウは立ち止まって腹に手を置いて笑った。「あん時お前、よくもちっと結婚してくるなんつって勝手に市役所行ったよな。そんでご丁寧にお断りまでされてよお。」

 「だって。」ミリアは一瞬口を尖らせたものの、間もなく照れ笑いを浮かべリョウの手を力を籠めて引いた。二人は再び歩き出す。「スウェーデンは異母兄弟でも結婚できるって言うから、とりあえず言うだけ言ってみようって思ったんだもの。……ダメだったわねえ。そうよねえ、リョウもミリアも二人とも日本人なんだもんねえ。そう言われちゃったわ。そんでミリア、あっ、そうかって思ったの。しょうがないわねえ。」

 「まあ、そんなお前も無事に大学卒業なわけだ。つうか、これで学校と名の付くところは、終ぇか。長いような短いような……。」

「そうねえ。」春の日差しがほんのりと温かみを頬に宿したような気がした。「ねえ、最初にミリアのこと小学校連れてってくれた時のこと、覚えてる?」

「小学校だあ?」

「ミリアが夏休みにリョウのおうち来て、明けた時、リョウが学校まで一緒に行ってくれたでしょうよう!」ミリアは不満げに唇を尖らせた。

「ああ、ああ。」とは言いつつ、あまり印象的なことはなかったようにリョウには思われるのである。

「しっかり勉強して頑張れよって。いじめられたらすぐ言えよ、って。リョウが応援してくれてるって思ったから、ミリアずっと頑張ってこれたのかも。」

リョウは微かに首を傾げる。「んなことあったか。」

ミリアは繋いでいた手を離し、リョウの腰を叩いた。そしてすぐ再び繋ぐ。「言った! だから、だから、ミリアは大学まで出れて、管理栄養士の仕事も頑張れたの。」

「……就職、潰しちまって、悪かったな。」リョウの足取りがにわかに重くなった。

 「つ、潰し、潰しちまってなんかないのよう!」ミリアは慌ててリョウの手を揺さ振った。「だってだって、自分で決めたんだもの。自分の人生振り返って、一番ミリアを助けてくれたものは何か、いちばん大事なものは何かって思ったら、……ギターだった。リョウだった。でも、もしね、もし、いつか、そんなにバンド、忙しくなくなってきたら……パートさんみたいにして働くの。S総合病院でね。野上先生と、看護師さんとおじちゃんと一緒に働くの。でもその前にこの前の管理栄養士の試験合格してないと、ダメなんだけど……。」

 「ま、大丈夫だろ。」リョウは極めて軽微に言った。リョウにとっては試験なんぞバイクの免許を取った時のそれぐらいしか、想像がつかない。だからミリアが試験の一年も前から問題集とにらめっこをし、勉強に励んでいたのが不思議でならない程であった。

「お前は随分長ぇこと、コツコツ、コツコツ、勉強してたかんな。でも……そんだけ力入れてたっつうことは、お前はその道なら頑張れるっつうことだと思う。人間、頑張れるものは限られてっかんな。俺だって、ギターとバンドのためなら、人生ある程度は犠牲にできんが、それ以外はからきし、無理だ。だから、お前が好きなのが料理だっつうんなら、……バンドも正直水物だし、いつまでこの動員数が続くかっつったら、疑問だしな。だから、暇んなったら、お前が好きなように働いてくれ。病院で飯作るもよし、モデルやるのもよし……。」

そう口籠った背景には、ミリアの人生を、自分が大きく変えてしまったことに対する罪悪感、がある。

右も左もわからぬ内からギターを仕込み、己の趣味嗜好が確立する前から自分のそれを押し付けたのである。まともな親の元で育ったならば――、順当に管理栄養士として病院でもどこででも働き、安泰な人生を送っていたに相違ない。そう思えば自分の親代わりの接し方に過ちがあったのではないかとそう思わざるを得ないのである。

「うん。だいじょぶ。解ってるから。」

 「そうだ。お前の人生はお前のものなんだ。お前の思うように生きるのが一番だ。誰にも遠慮なんかするな。それは俺に対してもだ。そこだけは約束してくれ。」

 「うん。遠慮しない。」ミリアはふふ、と俯いて笑った。「今はギターが弾きたいから、そんで精鋭たちの笑顔を見てたいから、バンドをやる。」ミリアはそう言って足早に歩いて行く。「そんでもし、バンドがそんなに忙しくなくなって、モデルも今の雑誌卒業することんなったら、病院で給食作んの。がんの患者さんに美味しい、って、治療頑張ろうって言って貰える料理、作んの。それからねえ、退院する時とかには、おうちでこういう食材でこういうお料理作るといいですよって言うのもね、教えてあげんの。」ミリアはうっとりと語った。「でもね、……年取って誰からも必要って言って貰えなくなったら、そしたら……、おうちでリョウのご飯を作って生きていきたいな。いい?」

 「もちろんだ。……それがお前の希望なら。」

 ミリアは嬉し気にリョウの腕に自分の腕を絡めた。春の陽光がこの上なく輝かしいものにミリアの瞳には映った。

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