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昨夜の通夜よりは多数の人が弔問に訪れていた。政木は焼香台の隣で宗と共にに立ち、弔問客が来る度何度も頭を下げていた。時折見せる涙は、父兄のそれと全く同質で、自分もこういう人に大切に育まれたのだと、リョウの中にかつて芽生えたことのない、どこか満ち足りた思いが温かく広がっていった。
会場には昨日と同じ、アイミの笑顔の写真が飾られていた。ミリアはそれを見ると涙が止まらなくなった。それはライブの時見せてくれるその笑顔に他ならなかったから。彼女は今にもこう、言ってきそうであった。「ミリアちゃん、本当にかっこよかった! ねえ、次も一番近くで見るからね!」
「アイミちゃん……。」ミリアは僧侶の読経の声が響く中で、一人こう呟くと、写真を見詰め心で語り掛けた。――ミリアはずっとこれからも、アイミちゃんに笑顔を向けて貰える、そういう生き方をしていくから。ずっとずっと、そうしていくから。ありがとう。ミリアを見つけてくれて、好きになってくれて、ありがとう。これからステージに立つ時、ギターを弾く時、いつもアイミちゃんのことを思い浮かべて、ギターを弾くから。
弔問客の焼香と、読経、宗の挨拶が終わり、アイミの笑顔の写真に一瞥して去ろうとした時、他の弔問客の対応をしていた宗と政木が慌てて話を打ち切ってリョウとミリアの元へやって来た。
「もう、帰るのか。」宗が痛いような顔をして尋ねた。
「ええ。」リョウは答える。「お世話になりました。先生も落ち着いたら、少しご自分のためにゆっくりお体休めて下さい。」
「わざわざ東京から来てくれてありがとう。政木君に聞いたよ。海外なんかでもコンサートをやっているそうじゃあないか。凄いことだ。これからも、あちこちで活躍してくれるのを楽しみにしているよ。」
リョウは複雑そうに微笑んだ。「自分は、もう……。」
政木は睨むようにリョウに歩み寄り、「リョウジ君、君は音楽を続けなければならないよ。これからもどんどんライブをやっていくんだ。そして多くの人を、君が、勇気づけていくんだ。その使命があるんだよ、リョウジ君には。」と、幾分怒気を含んだ声で言った。
リョウは押し黙り、どこか遠くを見つめるような目をした。
「世間が何と言おうとも、アイミの死は君の音楽とは無関係だ。むしろ、アイミは君らの音楽を聴いて、短かったかもしれないが、その人生を最後まで輝かせることができたんだ。もしこれで君が音楽を辞めてしまうようなことがあれば、アイミはこの上なく悲しむだろうよ。」政木は必死に言った。
ミリアは請うようにリョウを見上げた。
「それから、君のお母さんも……、君の活躍を、心から喜んでくれているんじゃあないか。それを辞めてしまったら、絶対に君のお母さんも悲しむ。」
「そうだわよう、リョウ。」
リョウは一瞬戸惑うような目をして、小さく頭を下げると何も言わずに踵を翻した。
外には伊佐木の運転するバンが停まっていた。リョウは最早後方を見向きもせず急ぎ足に乗車すると、そのまま後部座席に凭れ、ネクタイを弛ると目を閉じた。ミリアは不満げにその様を見詰めていたが、「お疲れ様でした。では、出発しますね。」と伊佐木に声を掛けられて、車は走り出した。
リョウは寝ているのだか、考え事をしているのだか、よくわからぬ風に目を閉じていた。
高速道路に乗って暫くした時、「ねえ。」ミリアが声を掛けたが、リョウは目を閉じたまま一向に反応はしなかった。
「寝てんの?」
「ああ。」
「寝てないじゃん。」
リョウは渋々目を開けて隣のミリアを見下ろした。「何だよ。」
「疲れたの?」
「別に。」
「眠たい?」
「……別に。」
ミリアは下唇を噛み締めてリョウを睨んだ。「じゃあ、お話しようよ。」
「何のだよ。」
ミリアはリョウが遠のいていくような気がして、堪らないのである。このまま音楽を辞めてしまったら、一体リョウはどうなってしまうのか。リョウがリョウではなくなってしまうような、リョウを構成している最も重要なものがなくなってしまうような、そんな痛烈な不安にミリアは苛まれていた。「……じゃあ、帰ったらどうするかの、お話。」泣きべそをかきそうな声で言った。
「そうだな。……白のこと、迎え行くか。」
「……うん。」ミリアは躊躇いがちに肯いた。それも大切だが、もっと長いスパンでの話をしたいのである。
「そして家帰ったら、飯取るか。作るのも面倒だし、つうか、冷蔵庫空だろ。」
「……うん。」
「あ、食材買ってお届けしますよ。必要なもの言って頂ければ。」伊佐木がすかさず言って「ありがとう。」リョウは力なく微笑んだ。「したら、それ食って、風呂入って寝よう。」
「……あのね、そうじゃあないの。」遂に、意を決して異を唱えた。
「何だよ、風呂入んねえのか。汚ぇな。」
「違うのよう!」
ミリアは両の拳を握りしめて、腿の上で震えさせた。
「その、……そういうんじゃあなくって、これから、どこでライブやろうかとか、次のアルバムどうしようかとか、……そういうことなの。お話したいのは。」
リョウは再び黙した。
「……リョウは音楽、続けるでしょ? ライブ、やるでしょ?」ミリアは縋るような目つきで問うた。
再び沈黙が訪れた。
「だって、ヴァッケン行くって言ったじゃない。」
「……そうだな。」
「ヴァッケン……、リョウの、夢じゃない。ずっとずっと昔っからの、夢じゃない。」
「……。」
「アイミちゃんだって、リョウがライブ辞めちゃったりしたら、泣いちゃうよ。あんな風に、笑っていらんなくなるよ……。」
その時だった。リョウの携帯が鳴ったのは。
リョウは億劫そうに出た。「もしもし。」
「リョウジ君、政木だ。」慌ててミリアも耳を聳てた。
「どうしました?」
「済まない。君に渡し忘れたものがあった。」
「何ですか?」
「その、……お母さんから預かったのはその小箱だけじゃなかったんだ。すっかり、忘れていた。」
「何です。」
「おそらく、手紙だ。」
リョウは唖然として口を半開きにした。
「中を見るような真似は決してしていない。ただ、一通の封筒をお預かりしていたんだ。これも、君が高校卒業するのを待って手渡すつもりでいたのだが。……今回は君にお母さんのことをお話することとで頭がいっぱいで……。済まない。今から速達で送って、明日にも届くようにするから。確認してくれ。」
電話はそして切られた。
「……リョウのママ、……リョウにお手紙書いておいてくれたの?」ミリアの言葉は頼りなげに響いた。
「……手紙?」リョウは低く呟いた。脳裏には古びた写真の中で静かに微笑む母親の姿が、まざまざと蘇っていた。




