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「アイミはね、愛情深い子でしたよ。親がないのにひねた所なんて少しもなくて、いつも周りに笑顔を振りまいていた。」
「わかります。」ミリアが冷めた湯呑を前に、小さく肯いた。「……アイミちゃんは、いつもミリアを励ましてくれるお手紙をくれたもの。ミリアと一緒で……、」と言ってミリアは苦笑を浮かべる。「あんまし字とか文が上手って訳じゃあないんだけど、凄く、凄く、頑張って生きてるって気がした。」
「そうだ、手紙。」宗はすっくと立ち上がると、隣の部屋から段ボール箱を抱えて入って来た。
「これは、昨日社長さんから送って頂いた、アイミの荷物の一部なんだが……、ミリアさん宛ての手紙が入っていたんです。これをどうしてもお渡ししたくて……。どうぞ、読んでやって下さい。」宗は震える手で丁寧に一通の淡い水色した封筒を中から取り出すと、ミリアにそっと差し出した。ミリアはそれを両手で恭しく受け取り、いつも通り「ミリアちゃんへ」と大きく書かれた、封筒をじっと見つめた。それだけで涙が溢れた。これが、最後の手紙。最後の言葉。ミリアは意を決して中の便箋を取り出した。
そこにはいつもの見慣れた、癖のある字体が躍っていた。
ミリアちゃんへ
追加公演のチケット当たったよ! 二十倍もあったのに、信じらんない! でも超嬉しい! でもアイミ、絶対ミリアちゃん見たいって思ってたから。この気持ちは誰にも負けないって思ってた。
アイミは今回、神奈川と、埼玉と、茨城と、群馬のライブに行ったよ。後は学校で実習始まるから、どうしても泊まりになるのは、無理で。本当はミリアちゃんと一緒に全国回りたい。いつか絶対それやるから! だからこれからもいっぱいいっぱいツアーやってね。そんでね、アイミはどんなライブだってミリアちゃんの目の前行くって決めてんの。体が小っちゃいからさ、お客さんたちの間を縫ってぐんぐん進めるんだ。チビだから後ろの方だと全然見えないんだけど、そうやって前行けるからチビでよかったかも! ミリアちゃんはうちの一番の憧れ。一番大好きな人。親に捨てられてさ、でもそんなのに絶対負けないで堂々とギター弾いてる。キラキラ輝いてる。その姿に凄い励まされる。涙出る。
ミリアちゃん言ってたじゃん? 努力したら夢は叶うって。努力ってアイミ凄い苦手だし嫌いだったけど、ミリアちゃん観てたら努力を信じられるようになってきたんだー。だからさ、実習頑張って、保育士の資格取るよ。がくひ? とか入学金? とか貯めんの、マジで大変だったんだ。でもバイトしまくって、たまにご飯抜いたりもして、何とか稼いだよ。あとはしょがくきん? っていうの、借りたりして。そんでそんで、大好きな子どもたちのいる所で働くの! マジ子どもってかわいい。ねえ、ミリアちゃんに赤ちゃんが生まれたら、アイミにお世話さしてください! それが今一番の夢! ミリアちゃんに似てたら絶対かわいいだろうな♡♡♡ でも男の子だったらリョウさんに似ちゃうのかな。わかんないね、でもね、アイミは――
そこで文章は途切れていた。ミリアの手は小刻みに震え出す。いつ、どこで、これを書いたのであろう。追加公演の抽選が終わった、直後辺りかもしれない。もしかすると、これを、あのライブが終わった後辺りに出す気でいたのかもしれない。いずれにせよ自分のことを思いながら認めてくれたのであろうことは事実であり、ミリアはそれを思い、そっと便箋を胸に押し当てた。そして自分を目の前で観たいという強い思いがあったからこそ、アイミは死んでしまったのではないかと心臓が潰れるように痛んだ。今感じているこの痛みは、アイミの痛みなのだろうか――。ミリアの頬を熱い涙がとめどなく辿った。
「アイミは、コンサートのチケットの半券? みたいなものもこんな風に額に入れて飾っていたんです。」
施設長は段ボール箱の中から大きな写真立てを取り出す。そこにはたしかにLast Rebellionと書かれたライブチケットの半券が綺麗に並べて入られていた。一番古いものが、二年前である。その中にはよく見れば『ミリア』の映画チケットの半券まで飾られている。それはまるでLast Rebellionの、ひいてはミリアの軌跡そのものであった。リョウは眩しい物でも見るようにそれを眺めた。
「これだけ、大好きな人のコンサートで人生を終えられたのだから、アイミは幸せだったのかもしれません。……これが、もし、私たちの言うことを従順に聞いて、少しも意図しない所に押し込められたまま、生涯を終えることになっていたら、……私はもっともっと自分を責めなければなりませんでした。……こういう言い方はなんですが、……アイミがわがままで本当に良かった。弱い体に縛られず、口うるさい我々にも屈さず、好き放題に生きてくれて、……それに私は、今、本当に救われているんです。」
リョウは目を閉じた。
「これ、……貰ってっていいですか。」ミリアは再び便箋を凝視して言った。
「当然です。どうぞ貰ってやってください。アイミの最後の手紙です。」
ミリアは丁寧に再び便箋を押し畳むと、封筒に入れ、そのままハンドバッグの中に入れた。
「では、済みません。長いことお引き止めをしまして。リョウジ君たちは、この後近くのホテルに泊まるんですよね。」
「うん。明日またここに来る、のよね? そんでさっきの電話の人とお話、するんでしょう?」ミリアはリョウに問いかけた。
「そうですね。……葬儀が夕方からだから、昼過ぎ頃にでも来て貰って、政木君にリョウジ君、君の顔を見せてやってくれないか。」
「ええ。では、……明日。一時頃でいいでしょうか。」
「そうだな。……ああ、じゃあ、明日のお昼は一緒に食事をしようではないか。政木君と一緒に。なあ。」自らの提案に宗は嬉し気にリョウの顔を覗き見た。
「わかりました。」リョウは俯きながら答えた。段ボール箱の中から昇り立って来るアイミの思いが、自分を責めたてていたのであった。
もし、自分が追加公演に相応のホールを選んでいたならば。あるいは、スタッフを大勢付けて、人々が雪崩れ来るのを押しとどめることができたならば。自分ができた、アイミの命を守れる手段は幾らでもあったように思えてならなかった。
そしてリョウはその時はっと気づいた。自分の頭の中に何の音も鳴っていないことに。新曲も、作りかけの曲も、過去に作った曲の新しいアレンジも、何もなかった。リョウの頭は全くの無音であった。そんなことはこの方バンドを始めて以来初めてのことであったので、リョウはさすがにそれに気付いた瞬間、息を呑んで、それから暫く身動きが取れなくなった。--これは、アイミを自分の不注意で殺してしまった報いなのかもしれない。もう二度と音楽には触れてはいけないという、啓示なのかもしれない、と思えばリョウは自分が自分でなくなってしまったような錯覚に、足元の揺らぐような眩暈を覚えた。咄嗟にミリアの腕を握った時、ミリアは優しい笑みを投げかけてくれた。それがリョウの心をどこまでも温かく照らしていった。




