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そこは寂れた街の小さな葬儀場であった。隣には小さな山と田圃があり、手入れのされていない雑草の所々生えた駐車場には数台の車が停まっていた。リョウはそこで車から降りると、ミリア、伊佐木と共に会場へと歩んだ。
自動ドアが開く。施設の職員であろうか、それとも葬儀場の職員であろうか、男二人が受付に立っていた。リョウは香典を渡し、促されるまま台帳に氏名を記した。その後で伊佐木が差し出した香典はやたら大きく、分厚かった。社長の謝意をそこに読み取ったリョウは、視線を避けるようにして、すぐ目の前に開けられた部屋に入った。人はまばらで、それをまだ葬儀が始まるまでに時間があるからだと思っていたリョウは、すぐに彼女の生前の交友関係を示すものだと解することとなった。
リョウは目の前に飾られた、アイミの笑顔の遺影を見た。こんな場でこんな風に飾られるであろうなどと、少しも思っていない無垢な笑みがそこにあった。
それを立ちすくんで見詰めていたリョウは視線を感じて、席の前方を見遣った。そこには宗が単に俯いているのだか、頭を下げているのだかわからない、妙に歪んだ姿勢で立ち、リョウを見詰めていた。葬儀の打ち合わせでもしているのだろうか、宗の隣には礼服を着た若い女性がいて、何やら話しかけられていた。目が合う。二人はどちらともなく小さく会釈を交わした。
それから十数名の子供たちが婦人に連れられて入って来る。何もわからず連れてこられたのであろう、子供たちは着席させられると一応口を閉ざしてはいたが、お互いを突き合ったり、じゃれあったりしていた。あとは施設の職員たちと、友人であろうか、彼女の同世代と思われる人が数名、会場の隅に座り、言葉を交わすこともなく不慣れそうに数珠を爪繰っていた。
「リョウジ君。」宗が危うさを感じさせる足取りで歩み寄って来た。「わざわざこんな所まで来てくれて、済まなかったね。大変だったろうに。」
リョウは力なく首を横に振る。「すぐです。……そんなことよりもアイミさんに謝罪をさせて貰わないと……。」
「何を言うんだ。」宗はリョウの両肩をしかと握り締め、叱咤するように言った。「社長さんから、診断書のコピーを送って貰ったよ。アイミは、リョウジ君のせいで死んだんじゃあない。病気だったんだ。なのに、なのに……、何も知らずにマスコミは酷いことを書き立てたもんだ、とても許せたものではない。」
「……でも俺らのライブで彼女は倒れた。それは、事実だ。」
宗は首を横に振り、「リョウジ君、……後で葬儀が終わったら少し時間を貰えないか。」施設長は少々朗らかな顔をして言った。「できたら、施設の方まで来て貰えるとありがたいのだが。」
「わかりました。」
「実は、そちらのミリアさんに渡したいものが、あるんだ。」宗は苦笑を浮かべながら言った。
「ミリアに?」ミリアは目を見開いた。
「アイミの部屋に置いてあった色々なものが昨日届いたんだ。」
「そろそろ、ご葬儀が始まりますので、中に。」そう葬儀場の職員が小声で宗に申し訳なさそうに囁いた。
「ああ、済まない。では後で、よろしく頼むな。ミリアさん、済まないが。」
ミリアは首を横に振った。
「アイミちゃんは、大事な友達なんです。済まないことなんて、ないんです。」ミリアは力を籠めて言った。
アイミの人柄とは相反して、人の少ない、寂しい葬儀であった。親類がいないと、施設出身だと、こういう葬儀になるのかとリョウはどこか義憤めいたものさえ感じていた。
終始アイミの何も知らない笑顔が、人もまばらな席を眺め下ろしていた。僧侶の読経の声がやけに大きく響き渡る中、焼香をする参列者の列はすぐに途切れてしまった。何もわからずに連れてこられた十数人の子供たちはアイミのことを直接知ってはいないのであろう。焼香を終えると、不思議そうに写真を見上げたり、後は近くの友人を突いてふざけ合ったりしていた。
その中で焼香の場では涙を溢し、それからはミリアを注視していたのは、アイミの友人と思しき四人の若い女の子たちであった。
葬儀が終わると女の子たちは、遠慮がちにミリアの傍に寄って来た。
「……黒崎ミリアさん、ですよね。」焼香を終えてもそこから暫く動じることのできないでいた、赤い目をした少女が問う。
ミリアは葬儀の間から視線を感じてもいたので、落ち着いた風に「はい。」と答えた。
「突然済みません。私たち、アイミと同じ専門学校の同級生なんです。アイミと仲良くしていました。」
ミリアは無言で頭を下げた。さんざリョウに向かって否定はしていたものの、アイミの命を奪ってしまって申し訳ないと、そういう気持ちが突如溢れ出て来たのである。
「あの、私たち決してアイミが、……その、……亡くなったのがミリアさんのせいだなんて思っていません。ライブの事故なのでしょう? なのに、ニュースではバンドが悪いとか書き立てて……。あれじゃあアイミは怒る。許せないって言う。だってアイミはミリアさんのことをとても尊敬していたんです。大好きだったんです。」少女はそう勢い込んで言うと、深々と溜め息を吐いた。「私、ファッションとか疎くて、全然ミリアさんのこと知らなかったんですけれど、アイミはいつもまるで自分のことみたいにミリアさんのことを語っていました。本当に、かっこよくって素敵で、って……。」
「……そう、ですか。」ミリアは俯いて言った。
ボブヘアの少女が、後を継ぐように、「アイミ、ミリアさんの載ってる雑誌、毎月学校に持って来ては、これが可愛いこれが素敵って、いっつも言っていました。ライブに行くなんていう時には、もう何か月も前から何着ていこう、どんなファンレター書こうって大騒ぎして。だから今日、こうしてミリアさんが来てくれたこと、凄く喜んでいると思います。」濡れたまつ毛をひたとミリアに向けて言った。
女の子たちは盛んに肯き合った。
「今回のライブって、抽選だったんですよね? アイミ、それに当たったってわかった時、物凄く喜んでて――、」ショートカットの少女は俯き、肩を震わせて言った。「海外のあちこちでライブやって、世界中で認められて、それで日本でもデスメタルバンドでは絶対あり得ないような規模のツアーやって、なのに追加公演は海外行く前にやっていた小さなライブハウスなの、って。ミリア自分のことみたいに自慢していました。だから絶対チケット当てなきゃって。ミリアちゃんのこと、誰よりも一番近くで観なきゃ気が済まないって。……それで、チケット当選したもんだから、物凄く喜んでて。ライブ当日なんて、もう朝から浮足立っちゃって。絶対にミリアちゃんの目の前まで行くんだって、一緒に昼ごはん食べながら、ずっとずっと言っていたんです。それで最後に、……なんか今思うと、アイミは自分がこうなるってこと予覚していたみたいに思えて、本当に不思議なんですけれど……。」少女は目を擦った。「……私がもし死ぬとしたら、ライブでミリアちゃんと同じ空間で死にたいって、突然言い出して……。」
ミリアは信じられないとばかりに目を瞑った。
「私、心臓が人よりも弱いから、きっとおばあちゃんになるまで生きてらんないと思う。それはもうしょうがないことだけど、ミリアちゃんのギター聴きながら死にたいんだなんて、そんなこと、急に言い出して……。」
「それまで、アイミ、自分が病気抱えているなんて一度も言ったことなかったから、私たち、悪い冗談だと思ってたんです……。冗談だとしても、そんなこと言うもんじゃないよなんて忠告してしまって……。でもここに来て、全部本当だったんだって、わかりました。そればかりかアイミには家族もいなくて、施設で育ったんだって。……葬儀が始まる前に、施設の人から、アイミは生まれてすぐに心臓の病気がわかって入院して大きな手術をして、それきり親が迎えに来なかったって知らされて……、アイミの言ってたこと、全然冗談じゃなかったんだって、思って……。」
「何か……、私たちも普段仲良くはしてたんですけれど、アイミから、病気のことも施設出身だっていうことも、何も知らされてなかったんです……。あの子、本当に普段明るくて。課題が大変だとか私たちがいっぱいいっぱいになっていると、面白いこと必ず言って笑わせてくれる子で。……なのに、実は凄い大変な人生送ってたんだって、今、ここに来て、ようやくわかったんです。……だから、どうしてそんなにミリアちゃんのことが大好きだったのかも、全部。」
「アイミ、本当にミリアちゃんのことが大好きでした。出会った頃に、みんなでどうして保育士目指したの? って話をしてた時にも、ミリアちゃんみたいに夢を追って生きたいから、って言ってました。それでいつかミリアちゃんに赤ちゃんが生まれたら、その子を自分がお世話するなんて言ってて……。」
ミリアは顔を手で覆った。
「リョウジ君、ミリアさん。」振り返ると宗がそこにいた。
「御参列下さりありがとうございました。これから施設の方に戻りますが……。」
「じゃあ、俺らも車で向かいます。伊佐木さん、お願いします。」
伊佐木は当然と言わんばかりに肯いた。
「そうですか。では。」宗はそう言って頭を下げ、葬儀場を後にした。
「ミリア、じゃあ、そろそろ……。」全てを聞いていたリョウはさすがに言いにくそうに言った。
「うん。」ミリアは再び少女たちに向き合った。「アイミちゃんのこと色々教えてくれてありがとう。アイミちゃんは昔からファンレターくれてた子で、ライブでもよく話しかけてくれて、いつもミリアにも元気くれてた子なの。ミリアにとっても本当に大事な友達だった。」ミリアの目から大粒の涙が零れ落ちる。「だから、……これからも一緒に、生きていくの。」
ミリアはもうこれ以上は何も言い出せないとばかりに、瞼を拳で拭うとリョウの手を引き外へと出て行った。
少女たちのすすり泣く声が後方から聞こえてきた。




