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二人はまんじりともせぬまま、気付けば夜明けを迎えていた。向かいにある窓が薄紫に染まる頃、遠くから慌ただしく近づいてくる足音を医師か看護師のそれであろうと判じ、聞くともなく聞いていたが、それは明らかにここを目指して来たので、リョウとミリアは顔を見合わせた。
「アイミは、アイミは、どこにいるんです?」一人の老人が看護師に引き連れられ、足早に駆け込んできた。草臥れたニット帽を被り、同じく草臥れたカーキ色のシャツを着ていた。着る物には一切構わず大慌てで出てきたと言わんばかりの服装である。
「こちらです。」
その時、老人とリョウの目線がしっかと交わった。その一瞬、リョウはどこか懐かしさのようなものを感じ取った。
「あ、こちらが、彼女が倒れた会場でコンサートをしていたミュージシャンの方です。」
リョウはすっくと立ち上がり、頭を下げた。
「あ、あなた、アイミが運ばれた時からずっとここにいて下さったんですか。」
「アイミ……?」ミリアが口中で呟いた。
「……一人にはできませんでしたので。」リョウはできるだけ恩着せがましくならないよう、躊躇いがちに答えた。
老人は何かを言おうとして、はっとなり、それから「アイミ、アイミ。」と再び言い、看護師の後ろをついて集中治療室へと入って行った。
再びリョウとミリアだけが取り残された。
「リョウ、座ろう。」
ミリアはそう言ってリョウを見上げたが、リョウはそのまま立ち尽くし、何かを考えているように見えた。ミリアは力を籠めて、リョウの腕を引っ張り再びベンチに座らせた。
時間の流れがわからなかった。酷く遅々としているようにも思われたし、また、早急に過ぎ去っていっているようにも思われた。ミリアは最早時は停まってしまっていて、この上ない残忍さだけを味わわされているような、そんな感覚さえ覚えた。
窓の外がほんのりと明るくなってくる頃、再び集中治療室の扉が開いた。先程の老人であった。リョウの姿を認めると、今度は深々と頭を下げた。
「あなた……。済みません。あなたが責任を感じることはありません。」老人はそっとリョウの隣に腰を下ろし、再び頭を下げた。そうするしかない、というような必然性をもって。
「アイミは、アイミは、元々心臓病を患っていたのです。」
リョウは信じ難いというような目を老人に向けた。
「生まれてすぐに発作を起こして大きな手術をし、それきり親が迎えに来なかったのです。それでうちに連絡が入りまして。でもずっと入院生活でした。施設で生活が出来るようになったのは、……たしか、小学校三年生の途中からでした。心臓が悪くて運動もできない、可哀そうな子供時代を過ごさせました。」老人の目は赤く腫れていた。「昨夜のあなたのコンサートで、人が大勢倒れたという話は、警察の方より聞いてます。でも……アイミはほんのちょっとばかし、……ここに」と言ってこめかみを指し、「擦り傷があるぐらいで、あとはどこにも怪我らしい怪我はありません。きっと、コンサートに興奮して先に心臓が参ってしまったんだと思います。運動も長風呂も禁止、そう小さい頃からお医者さんに命じられていたんです。それを破ったら心臓が止まってしまうよ、と。でもアイミは何分人の言うことを大人しく聞くような子じゃあありませんでしたから、こんなことに……。」老人は目を擦った。「この子が施設を出る時には、それを守れるか心配で心配で、何度も私は運動の件と風呂の件を言い聞かせました。そのたんびにアイミは『大丈夫だよ、もう、しつっこいなあ』と笑って返して。それなのに、それなのに……今、こんなことになるなんて。……アイミは今、機械を付けて心臓を動かして貰っています。でも……。」
リョウは凝視していた老人の拳が白くなり、小さく震え出すのを見た。
「長くはないと……。機械が止まったら、アイミの心臓も止まってしまうと……。」老人の喉から、苦しげな息が漏れた。
ミリアはすと立ち上がり、老人の前にしゃがみ込んだ。
「あの、あの、……アイミって、アイミちゃんって、もしかしたらずっと昔から私に手紙をくれてる、あのアイミちゃんかもしんないんです。」
老人は何を言っているのかわからないといったように、充血した目でミリアを見上げた。
「その、その、……ミリアの知ってるアイミちゃんも、親がなくって、施設で育ってて、そんで今は保育士さんの学校行ってる子で……。ようくファンレターくれて、よく知ってるんです。」
老人は驚いたように目を見開いた。
「本当ですか? アイミは東京に来て、今保育士の学校行ってるんだ。」
「本当に? あの、……痩せてて背の小っちゃい、髪の毛のくるくるしてる子?」
老人は苦し気に口元を押さえながら、何度も激しく肯いた。
「そしたらミリア、アイミちゃんのこと知ってる! あのねえ、アイミちゃん最初に手紙くれた時、お金なくって大変って言ってて。そんでも、ミリアに会いたいって言ってくれて、そんで無料のライブやったの。その時に会えて、二人でぎゅっとし合って、あのねえ、だから友達なの! 会わせてもらえませんか? 頑張ってって、言いたいの。お願い……。」
老人は言葉を発する代わりに立ち上がった。ミリアも大きく肯き、立ち上がる。それからリョウの手を取り、一緒に立たせ、そのまま集中治療室へと入って行った。




