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BLOOD STAIN CHILD Ⅴ  作者: maria
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 相変わらずリョウはMCなんぞはしなかったし、地の底から這い上がるようなグロウルをがなり立てるだけがなり立てて、ステージを去った。しかしその間際、何を思ったか「ありがとう。」と客席に向かって微笑みかけて言ったのを、客は無論メンバー一同が震撼する程に驚愕した。

 誰が聞いてもその意図なんぞを説明する筈がないから、メンバーも気心知れたスタッフも、誰もリョウにその最後の言葉についてなぞ、尋ねやしなかった。しかしミリアだけは、リョウが今回のツアーで今までに出会えなかった客と邂逅できたことに多大な感謝の念を抱いているのだと、その本心を一人見抜いていた。

 だから、楽屋に戻り暫く放心していたリョウに向かい、ミリアはねぎらいの言葉でもなく、賛美の言葉でもなく、ただ一言「良かったね。」と、他の人間には一体何のことだかわからぬ言葉を伝えたのである。しかしリョウは口の端をほんの少しだけ持ち上げ、小さく肯いてみせたのであった。


 「お疲れ様。」大勢のスタッフに囲まれ、リョウは上機嫌で片っ端からビールのジョッキをぶつけ合っていた。ミリアも慣れぬ酒をちびりちびりと舐めては、顔を赤らめている。

 「ああ、なんか早いな。こんでツアー終わりか。寂しいもんだな。後は追加公演一本か。」シュンが嬉しいような悲しいようなよくわからぬ顔で、ミリアの隣で肩を落としてみせた。

 「楽しかったわねえ。あっちこっち行って。」ミリアは目の前の大皿に盛られたゴーヤの炒め物を突く。

 「飯のクオリティとトラブルの頻度で言やあ、国内のが断然いいな。何食っても最高に旨ぇし、時間はぴったりに始まれるし、機材はぶっ壊れねえし。勤勉なる日本人、万歳だ。」

 「何言ってやがる。」既に座った目をしたリョウが、後方からぐいとシュンの肩を羽交い絞めた。「てめえ、いい飯食うためにツアー出んのか。順風満帆なライブやるためにツアー出んのか。いつからんなブルジョワ思考になったんだ、ああ?」

 「い、いやあ、違ぇよ。」

 「今お前ぇ、言ってたじゃねえか! ミュージシャンの耳を誤魔化そうったってそうはいかねえかんな! 俺らは俺らの音を欲している人間がいりゃあ、アマゾン奥地だってピレネー山脈頂上だってホッキョクグマの巣だって行くんだよ! 覚悟がねえ奴はクビにすっぞ!」

 「わ、わかってるって。」

 焦燥して答えたシュンにリョウは満足げににっと笑うと、「わかりゃあいいんだ。」とシュンの肩を叩き、再びどこぞのスタッフの元へとよたよたと歩いて行った。

 「リョウ、随分ご機嫌なのねえ。」

 「まあ、……そんだけ無事にツアー終わって安心したってことだろ。さすがにツアー中は飲まねえでいたかんなあ。なんか小学生みてえな時間に寝てたし。かと思いきや老人みてえな時間に起きてホテルの回り走ったり。」

 ミリアは再び白濁した酒にちょっぴりと舌を湿して、ぶるりと身を震わせた。「ミリア、リョウと違ってあんましお酒は得意じゃあないかもしんない。」

 「そんぐれえでちょうどいいだろうよ。何せ今のお前ぐらいん時のリョウは酷かったかんなあ。体の容量越えて一体どこに入ってんだってぐれえ、あいつの中にブラックホールがあんじゃねえかって真面目に考えちまうぐれえに飲んでたかんな。ライブ終わってから飲む分ならまあ、いいけどよお、酒飲んでステージ上がって、客と大喧嘩だぜ。んでライブハウスはあっちこっち出禁食らいに食らって。よくもこんな立派なツアー回らして貰えるようになったもんだよ。ほんと、あん時には全然考えらんなかったかんな。……まあ、あいつもさすがに四十にもなったら酒飲んでも失態犯さなくなったし、年食って丸くなったってことなんだろうな。あいつなりにな。」

 「ふうん。年取ると丸くなんの。」ミリアは、ビールジョッキ片手に馬鹿笑いをしているリョウを視線の端に捉えた。「ミリアは、リョウが元気ならいいや。」

 「そりゃあ元気だろう。がんも再発しねえし。喉も絶好調だったし。近々マジでヴァッケンからの話来るかもな。まあ、でもその前に東京戻ったらまずはしっかり休んでもらってよお。相当喉酷使してる筈だしな。」と言った瞬間、部屋の端からリョウの哄笑がこの大広間全体ににわかに響き渡り、シュンは呆れ果てて泡盛を啜った。

 ミリアはこっくりと頷いた。「おうち帰ったらリョウには少しゆっくりさしたげるんだ。ギターのレッスンぐらいにして、後は白ちゃんとおうちでゴロゴロして貰うの。美味しいご飯でも食べさして、ちっとくらい太らして。」

 「そりゃあ、いい奥さんだ。」

 ミリアは頬に手を当て、きゃあ、と笑った。「……でも、ダメだろな。きっと作曲始めちゃう。リョウは何があっても絶対音楽から離れないの。リビングにも寝室にもギターあるもん。夜中いきなしむくって起き上がってレコーディング始めた時もあんの。」呆れたように溜め息を吐いた。

 「ま、結局そういう男だから俺らは付いていってんだよな。これがよお、いっくら才能はあっても、音楽二の次三の次、ライフバランスがどうのこうのだったらさすがにここまで深入りはしてねえぜ。」

 ミリアは微笑んで小さく肯いた。

 初めて会った頃から、リョウは我儘に音楽だけを追求し続けていた。一分の躊躇さえなく、僅かなよそ見をすることさえなく。幼い頃はスタジオだ、ツアーだで留守番ばかりを強いられ、寂しい思いをしたことも正直あったが、それでもリョウの音楽に向かっている時だけに見せるキラキラと輝く瞳や大きな声を聞けば、リョウが理想とする音楽を創出していけるようにと心から祈ったものだ。音楽を愛し、また音楽に愛されているようにさえ見えるリョウが、ミリアはこの世で一番好きだった。音楽から切り離されたリョウなぞは、想像さえつかなかった。


 無事にツアーを終え、都内に戻るや否や、ミリアはペットホテルに出向き愛猫の白と実に一か月ぶりに邂逅し、再会を喜び合った。

 しかし安息の間はそう長くはない。追加公演は三日後である。

 リョウはその間、案の定猫のちょっかいにも負けず昼夜を問わず作曲に勤しみ、ギターのメンテナンスを行い、加湿器とマスクをフル活用し喉を万全に休め、その日を迎えようとしていた。

 そして、果たしてミリアの直観は当たっていた。すなわち、プレミア化したチケットは何の因果であるか、三人の精鋭たちの手にしっかと収まっていたのである。

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