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「ありがとうございました――」そうATMの鳴らす機械音の傍で、リョウは半ば唖然として手元の通帳を見遣った。
日本の音楽界におけるマイナージャンル筆頭格、とさえの自覚を有するデスメタルバンドの収入としてはあまりにも法外な金額がそこには並んでいた。しかし全くの見当違いというのではなく、考えれば十二分に納得はいく。いかざるを、得ない。
先月終えたばかりのヨーロッパツアーのチケットは、追加分も含め、いずれの国においても、即完売。ヨーロッパとアメリカ、韓国でそれぞれ提携したレーベルで発売されたCDは、いずれも各国でベスト3に入る売れ行きを誇っていた。グッズなんぞ並べた途端に売れていくから、ライブの都度日本から発送をしてもらった程である。帰国すれば帰国したで早速全国ツアーが組まれ、帰国後ツアー最終幕の名目で一発目で行ったライブでは客層も新たにメタラー以外の、今まではロックなんぞを主に聴いて来たであろう若いファンの姿が増えた。
海外公演での成功譚が逆輸入される形で、いつの間にやら、自分の始めたLast Rebellionは国内においても相当の動員数を誇るバンドとなっていたのである。だから一雑誌モデルに過ぎなかったミリアにも、世界的バンドのギタリストという枕詞が付きあれこれと仕事が舞い込んでくる。海外のメタル誌でミリアが突如ポスターになっていた時にはさすがに瞠目したが、あれと同じような状況が国内でも展開されるのであろうことを想像すると、リョウは喜ばしいような気恥ずかしいような、妙な気がするのである。ミリアの未だに言語能力の僅かにも成長しない面に鑑みるに、不安もあるにはあるが、あの社長が仕事を選別してくれるであろうと思えばもっともっと大きく羽ばたいていってくれというような気持にもなる。
とはいえ特に何が変わった訳でもない。曲もメンツも何一つ異なるところはない。中古のパソコンを買い、狭いアパートで細々と一人曲を作る所から始まったバンドであった。デスメタルである以上、動員数なんぞ端から期待してはいなかった。初めて出したCDは、レコーディングしながら、百枚も売れたら万々歳だと当時のメンバーと笑い合ったものだ。
しかしそれは投げやりというのではない。そればかりか一歩も譲れぬ拘りばかりであった。あの時にも原因は何であったか、おそらくは音作りのあれこれで当時のメンバーと大喧嘩をしたっけ、とリョウは苦笑を浮かべる。気に食わぬとなれば、後釜も考えずにギタリストを次々とクビにし、レコーディングで一曲録るのにさえ何度自身でも録り直しをしたり、また、メンバーに命じたりしてきたことであろう。作詞も作曲も、レコードジャケットもグッズも、全てリョウは拘り抜いてやってきた。でもそれで売れるとは思ってはいなかったし、売ろうと試みたこともなかった。ただ自分の理想だけを追求し、体現し続けて来た。そこに他者が僅かにも介在する余地はなかったはずだ。しかし、今や国内外で、我がバンドは熱狂的なファンを多数産むに至った。
無論それは歓迎すべきことである。心躍ることである。感謝すべきことである。でもどこか――、リョウは信じられないという気がした。バンドマンなんぞ社会から爪弾きにされて当然であると思っている。度重なる職質にうんざりしながらも、己に課された義務か何かのようにさえ思いつつあった。それで培われる反権力意識――、それがなければエネルギーに満ちた音楽なんぞ生み出せないではないか。そうも思う。
それに貧乏生活が長かったためか、スーパーに行けば自然に一円でも安い食材を手に取るし、基本的には半額シールを目当てに買い物は夕方以降と決めている。ようやく二十年近く乗ったドラッグスターが、ある朝エンジンをかけてもうんともすんとも言わなくなったため泣く泣く廃車にし(カスタムにどれだけ手間暇愛情をかけてきたことであろう)、代わりにドラッグスターを比べて少々燃費が悪いがその容貌に一目ぼれしたハレーダビッドソンのアイアンが愛車となったという出来事はあったが、それ以外は1DKの築35年のアパートに住んでいた時となんら変わらない。相変わらずメタルTシャツに草臥れたジーンズで一年中を過ごしているし、冬になればそこにライダースジャケットが加わるだけである。
リョウは途方もない金額の記された通帳を喜びよりは呆れた顔して眺め、渋々ボディバッグに捻じ込むと、バイクに跨った。するとそこに尻ポケットに突っ込んだ携帯の鳴動があった。画面を覗くと、――ミリアである。
「もしもし?」
「もしもし、リョウなの? 何で帰って来ないの。もう時間になっちゃうわよう!」ミリアの焦れた声が電話越しに甲高く響く。
「ああ、わかったわかった。今金下ろした所だから。ほら、ツアー出んのにさすがに一文無しじゃ出れねえだろ? 今から、すぐ帰っから。」
「早く帰ってきてね。寄り道禁止!」
「わーかってるって。」
リョウはそうぞんざいに答えたものの、幾分緊張しながらエンジンを掛けた。今日は、ミリアの人生を決する重大な通知が舞い込む手筈となっていたのである。