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大きくなるSEに合わせて歓声が渦巻くように湧き起こるのは、千五百という観客数は勿論、ライブハウスとは段違いの天井の高さによるのかもしれない。
ミリアはその歓声を聴きながらギターのネックを握り締め、ステージ袖で深呼吸を繰り返していた。聴き慣れた、どこか物悲しいギターインストによるSEが最大限に大きくなっていく。
「ツアー初日……。」すぐ隣でステージを見据えていたリョウが、ぼそりと呟くように言った。「客の多くは海外での俺らの評判しか知らねえ連中だ。それを自分の耳で判断してやろうと思って来た。まあ、その評論家めいた態度は全部ぶちのめしてやる。額づく程の後悔を覚えさせてやる。」リョウはほとんど怒気を含んだ口調で言った。
「だな。」シュンが相変わらず飄々と言い、その隣で硬直しているミリアを軽く小突く。「ほうら、見てみろ。お前の真似っこみてえな女の子たちを。あいつらみーんなお前を観に来てんだ。ゴリッゴリのギターぶちかまして目ん玉飛び出さしてやれ。」
「うん。」ミリアは緊張に満身を固めながらどうにか頷く。
SEは次第に観客の体を揺らしていく。
アキがスティックと共に肩を回しながら、「そろそろだろ。よし、行くか。」と独り言つ。「行け。」言下にリョウは発した。シュンは返事もせずにすたすたとステージに歩んでいく。歓声が一層大きくなった。次いでシュンがミリアの肩をぽんと叩いて、ステージに軽々と躍り出る。
そしてミリアは一歩を踏み出そうとし、一瞬躊躇してリョウの顔をちらと見上げた。
リョウの瞳は明るくなったステージを一心に見据えていた。「いつも通りにやればいい。そこいらにジュンヤさんも園城さんもいるんだろ?」
ミリアはそれで一気に破顔すると、勢いよく駆け出して行った。歓声が更に高まる。
そして満を持してリョウがステージ中央に進み出る。突き上げるような歓声を浴びながら、リョウは気持ちよさそうに観客を不敵な笑みして見下ろした。と同時にアキのスティックが落ちる。三人の轟音が一つに重なる。落雷の如き轟音がホール全体を覆った。それで半分の客が尻込みし、残り半分の客が前へ出ようとするのをステージ上からはっきりと四人は感じ取った。
ミリアは世界中で何度も弾いて来て身に染んだ『Endless Despair』のリフを、怒涛の勢いで弾いていく。この直後に死んでも構わない、そういう気概がこの曲を奏でるには必須であった。だからミリアは切に己が憤怒を具現化することを願った。理不尽なる絶望、それを齎す者への尽きることない怒り。生も死も関係なく、それさえも貫こうとする己の感情をただただ滾らす。その時に、かつて父親から与えられた耐え難き屈辱と痛苦の経験は、リョウのいうように、必然であった。
それに惹きつけられる視線を、興味を超えた食い入るような眼差しを、ミリアは痛い程に感じた。―-そうだ、これが自分の存在の在り方。そしてリョウの音楽。リョウの世界。これを具現化できるのは世界広しと言えど自分しかいない。そのために自分はリョウと同じ経験を与えられてきたのだ。だから自分はリョウの元へと来ることができた。だから自分が自分として生きることができるようになった。そういう自負がミリアの熱情をますます焚き付けていく。
リョウはリョウで自分の世界に没頭していた。世界の創造主たるべく、躊躇なく、一音一音全て必然によって創り上げていく。自分たちの音が生み出された瞬間、そこが世界のどこであろうとも自分の世界が生じていく。形作られていく。それは度重なる海外遠征によって確信されたことでもある。どんな場所であろうとも、客が何色の膚を有し、どんな思想信条を有そうとも、己の世界は不変に築き上げられ受け入れられた。この世に生まれし者が誰しも覚える絶望を、悲嘆を、痛苦を、音によって具現化して観客が胸を揺さぶられるのはやはり普遍であった。だからリョウはそこに自分の使命があるのだと信じた。疑う余地なぞ、まるでなかった。
リョウは観客たちにひたと瞳を向け、しかし実際には己の築き上げた血塗れの帝国を凝視していた。リョウは雄叫びを上げ、そしてかなぐり捨てるような勢いを持つリフを刻んだ。ミリアの音とは微少だにもずれることなく、それは世界の土台を構築する。揺るぎない確固たる土台を。
観客はその世界観に一気に引き込まれていった。冷やかし半分、ミリアの容貌にのみ関心を有していた客は予想を遥かに超えた展開にただただ息を潜め、引きずり込まれるようにその絶望の世界に没入した。
リョウは、四人は、己が内面に巣食った絶望を、悲嘆を、全て音に籠めた。そしてそこからの脱却を見せ付ける。そのために自分は、ミリアは、痛苦に満ちたあの経験を得たのだと確信した。これを音にし、誰しもが脱却できるのだと、その強固さを、勇猛さを見せ付けるために。
観客の多くは心臓を握り潰されるような苦悩と、そこからの脱却によるカタルシスを覚え、いつしか夢幻のままにライブは終わった。
――何も、変わらないのだ。リョウは最後の音を一身に浴びながらふとそんなことを思った。どの場であれ、それこそ空気が音を媒介してくれる限りにおいては、どこでだって自分の世界を構築できる。そしてそれを聴き、感動を得てくれる人間があれば、この世に存在すべきだと確信することができる。
リョウは今までさほどの価値を見出していなかった全国ツアーに、今更ながら熱烈なる期待と興奮を覚え始めていた。




