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「いいわねえ。」ミリアは係の青年たちの後ろについて歩きながら、遠目にアスレチックや芝生で遊ぶ人々を眺め、うっとりとして言った。「こんな所でライブやるなんて。今日のお客さん、ここでたっくさん遊べるわねえ。」
「俺らのTシャツ着て、デスメタルのライブ前に、あそこらでうんていやって、ターザンごっこでもすんのか。何か、……凄ぇシュールだな。」シュンが眠気眼を瞬かせながら言った。
「おっし、ツアー開始だ。おい、とっとと歩けよ。リハやるぞ、リハ!」いつの間にやら先頭を切っていたリョウが両の拳を握りしめ、振り返って言った。
「そうねえ、これからあっちこっち北へ南へ、東へ西へ行くのねえ。おばあちゃんちの方にもいつか行けたらよいのにな……。ああ!」ミリアが突如遠くを指さしながら叫んだ。「あすこに! あすこに! ミリアたちの顔がある! Last Rebellionって書いてある!」
三人ははっとなって顔を上げ、そして総じて固まった。ホールの壁には四人の姿が大写しになったいつぞやのアーティスト写真が、でかでかと掲げられていたのである。
係員の一人がにこやかに答える。「ええ。昨夜の内に、広告を貼らせて頂きました。」
「うわあ……。随分でけえ、な。」
「あんな、でかくする必要、あるか……?」
「信じらんねえ。」
三人の男たちとは打って変わって、くすくすと笑い始めたのはミリアである。
「ライブハウスだと、黒板に文字書いてお終いなのにねえ。まるで単独のフェスだわねえ。すんごいの。」
リョウは後人が追いついても、茫然と家一軒分は軽くありそうな巨大なポスターを見上げたまま、固まっていた。自分たちが突然有名人になってしまったような気がする。
リョウは昨日もスーパーで半額になった夕飯用のトマトと豚肉、それからこれも同じく半額になっていた朝食用の鮭を買い込んだことを、何とはなしに罪悪感のようなものを以て思い出していた。
ぶるりと身を震わし、「……これも今だけだ。今だけ。海外で認められたっつうから見てやろうっつう、野次馬根性が集まろうとしてるだけ。それだけ。」リョウはぶつぶつと呟きながら再びとぼとぼと歩き出し、会場へと入った。
「凄いのねえ。これ見たら、精鋭たちも腰抜かしちゃうわ。」ミリアはくすくすと笑いながらリョウの後に続いていった。
「あ、精鋭たちは来てくれんのかな?」シュンが問う。
「来る来る。だって、リョウん所にメール来てたもの。まっちゃんなんて、お仕事休むのに会社に泊まり切りになってお仕事してたって言うんだもの。リョウ心配してた。」
「あいつらに会えるのは楽しみだな。」シュンはそう言ってリョウの後に続いて会場へと入った。
果たして準備は整えられていた。
ステージ上にはマイクもギターもベースも、ドラムも、全てセッティングされ、音響チェックさえも済んでいるようである。メンバー自身が行うそれを、スタッフが最終チェックと言っているのを耳にした。それにLast Rebellionと書かれた巨大なバックドロップがステージを飾っている。
「どうもありがとうございます。」いつも言葉足らずなミリアが、ギターのセッティングを担当してくれたローディーにやたら丁寧な言葉遣いになってしまうのも無理はない。
「ミリアさんはステージ中のお飲み物は水と伺っていますが、ミネラルウオーターのご指定はございますか。」
「あ、ありません。」ミリアは慌てて手を振り、顔を赤くして答える。
「では、こちらで勝手にご用意させて頂きますね。」
「……はい。」
ちら、と助けを求めるようにステージ中央にたたずむリョウも、おそらくは同じような問答を強いられているようであった。
「……水なんざ飲めりゃあいいんだよ、飲めりゃあ! そっから出て来る水道水だって構いやしねえし! ……はあ? ビールだあ? 俺はいつも家じゃ発泡酒ばっかだっつうの!」遠く聴こえて来る言葉は情けないものばかりであった。
ミリアは溜め息を吐きながら、ギターを肩から提げた。
ライブの準備一つとっても海外遠征をする以前とこれだけ打って変わってしまったことに、嬉しさよりも困惑が先んじる。馴染みのライブハウスで、お互い熟知し合ったスタッフやPAとやりとりをしていたのが酷く懐かしく思われた。
「よし、じゃあ、とりあえず音順番に出してくか。」リョウがほとんど無意味と知りながら一応そう言い、アキに合図を出していく。
案の定音質は極上であった。ライブハウスではライブハウス、野外は野外特有の音作りがあるが、ここでは音がどこまでも広がりつつ包み込んでいくような、上質の音が作られていった。
リョウもリハを熟しながら素晴らしい音質に次第に笑顔になっていく。ミリアはそれを見て心底嬉しかった。この顔とプレイを観るために、どうにか客を繋ぎ止めておく術がないものであろうかとさえ思った程であった。
そうして四人ともが上機嫌のままリハを終えると、「はあ、凄ぇいい音。俺の返しの音がとてつもなく巧く聴こえる。世界的ベーシストになった気がする。」シュンはうっとりと言った。「しかもここには、椅子があんのな。」と今更ながらステージから客席を眺め下ろす。
「脚の痛い人でも観られるわねえ。」ミリアも膝を抱え込み、客席を見下ろした。
リョウは一瞬口を噤み、「……したら、園城さんも、楽に観れたかもしんねえな。」と呟いた。
「園城さん、きっとその辺の椅子に座ってね、リョウのこと見てる。」ミリアは客席の一つを指さして言った。
「そうか。」半信半疑ぐらいの顔つきでリョウは首を傾げた。
「パパはその辺。きっといい音ねって思ってる。……あのねえ、パパはいっつも近くにいてくれんの。ミリアがちゃあんとギターを弾けるように。ミリアにはわかんの。リョウん所だって、じっと園城さん観てるよ。『今日もメタルで飯が巧い、頭を振って元気にいこう』って言ってるから。」そう言うとミリアは満足げにすっくと立ち上がり、すぐ隣で微笑んでいたローディーにギターを手渡した。
リョウの脳裏には昔病院の中庭で自分のギターを、至上のメロディとでもいった風に耳を傾けていた園城の姿が蘇った。それは自分が決して間違ってはいないのだと、無上の力を与えてくれる一つの確固たるイメージであった。
リョウも微笑を浮かべるとギターをローディーに預け、楽屋へと歩んだ。




