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ツアーは北関東にある、こじんまりとしたホールから始まる。輝かしい黒のアルファードが四人を乗せ、ぐんぐんと平日の空いた高速道路をひた走っていた。事務所から派遣されてきた運転士は、中年のよく日に焼けた健康そうな男で、夏はサーフィン、冬はスノーボードをやり、全国どこへでも自ら車を運転していくのだと語った。
「……だから運転は仕事でもありますが、プライベートでも欠かせませんねえ。」
「ふうん。」ミリアは目をぱちくりさせる。「ミリアはねえ、運転免許ないの。いつもどこでもリョウのバイクの後ろに乗ってくから。」
「バイクもいいですよねえ!」男ははきはきと答える。「自分も大型二輪の免許は持っていますがね! 妻が子供も小さいのに今死なれたら困るって、乗るのを許してくれないんですよ! 自慢の愛車がもう何年もガレージにほったらかし! あはははは!」
「マジか。」リョウは深刻そうに頷く。「そりゃあ気の毒だな……。」
「バイク、乗ってると死ぬの?」ミリアが今更ながら心配そうにリョウを見上げる。
「まあ……事故率は高ぇんだろな。車よかタイヤの数、少ねえしな……。周りでも二、三人事故ってる奴、いるしな。」リョウは少々の罪悪感をもってぼそりと呟く。
ミリアはひしりとリョウの腕を抱き締め、「じゃあバイクなんてやめて、車にしたらいいわよう! これなんて素敵じゃないの、おっきくって何だって乗っけられる! ギターも! アンプも!」と叱咤するように言った。
「そうだよ。」寝惚け眼でシュンも答える。「バイクじゃあ機材一つ運ぶのも容易じゃねえ。なーんでいつまでもあんな不便なの乗ってんだよ、お前は。車買えよ、車。いい加減人の車当てにして毎回機材運ばせんのやめろや。」
「ふ、ふ、ふ、不便なんかじゃねえだろ!」リョウは図星を突かれて思わず咳込む。「百キロぐれえなら後ろ乗るし! 俺の機材だけならバイクで十分なんだよ! それにな! どうせ移動すんだったら鉄に囲まれた安全第一みてえな乗り物よか、自由きままに風を感じて行く方がいいじゃねえか! その方が曲も思い浮かぶし、……かっこいいじゃねえか!」
シュンは再び目を閉じる。アキも深々と溜め息を吐いた。
「そうですよねえ。バイクにはバイクの醍醐味がありますからねえ。車じゃあ味わえない。」運転士だけが応じた。
「だよな? だよな?」リョウは思わず運転席に身を乗り出した。
「別にバイク乗ってもいいけどよお、車あったら便利じゃん。夜中リハやって、帰りにミリア叩き起こして、寝たら死ぬぞっつって脅し脅し帰らなくてもいいし。車だったらそのまま寝せて帰れるぞ。」
リョウは驚いたような、感心したような顔でシュンを振り返った。
「ミリアはだいじょうぶだもん。バイクの後ろで寝ちゃったこと、ないよ。それにそんなにリョウがバイク乗りたいんじゃあしょうがないもん。……だからね、わかった。ミリアが車の免許取る。そうしたらリョウのこと乗っけてあげられるし。ミリアが、眠っててもいいようってリョウ寝さして、リハから帰ってきてあげんの。」
「そりゃいいな。」シュンが微笑んで言った。「それにな、こんな王様巨大ツアーができなくなったら、またどうせ俺らで順番にバンの運転しながら全国回るんだし、ミリアが戦力になれば楽になんな!」
「ミリアの運転なんか怖くて乗ってられっかよ。」リョウがケッと奇妙な音を出して言った。
ミリアはぶう、と唇を尖らせ、「大丈夫だわよう。教習所って所行けば、しっかり教えて貰えるんだわよう。大学の友達、エリちゃんも他にも、免許取ってる人いっぱいいるもの。」と答えた。
「そうだ、頑張れ頑張れ。」シュンが言った。「リョウに車持たすこと説得すんだったら、ミリアの方がだいぶ現実的だな。今度軽のかわいい車載ったパンフレット貰ってきてやるよ。お前の好きな水色の車もいっぱいあるしな。」
「みずいろ!」ミリアが歓喜して手を叩く。
「運転、楽しいっすよ! 道さえ続いてりゃあ、全国どこまでだって行けますしね!」運転士がちら、と鏡で後方を見遣り言った。
「ツアーも旅行も行ける。」ミリアはうっとりと呟く。「まだ日本の新婚旅行、行ってないわねえ。」
リョウはぎょっとしてミリアを見詰める。「何だ? 日本の新婚旅行って……。」
「台湾で新婚旅行したでしょう? フランスでもちょこっと、した。でもまだ日本ではしてないから。してもいいかなって。」
「お前、国ごとに新婚旅行する気なんか? それってもう、二度目以降は新婚じゃねえだろ。」
ミリアは少し首を傾げ考え込んだが、出てきた答えは全て都合が悪いのではっきりと無視し、「ツアー終わったら免許取ってもいいですかって、社長に相談してみよっと。」と声を弾ませた。
リョウはわざと窓の外に視線をやりながら、静かな溜め息を吐いた。
ミリアが自分の知らない世界を歩み出して行くのに、不穏な感情を抱かなくなったのはいつ頃であったろうと思いなして。ミリアがモデルを始めると言った時に自分は、とても平常心ではいられぬ程の焦燥と憤怒と、それから嫉妬にも似た庇護欲を甚く刺激されたものである。しかしいつしかミリアはモデルどころか、自分にとって全くの未知の領域である大学へも行き、何やら難しい資格さえ取得し、自分の知らない世界で知らない経験を得てきた。それが今となっては誇らしく嬉しくもあった。これからミリアはもっともっと自分の知らない世界を見、それを教えてくれるのだと思えば楽しみでならないのである。リョウの頬は自ずと緩んだ。




