17
リョウとミリアはリビングに降り立ったお互いを、不思議そうに見つめ合う。全国ツアーへの出立、と思われぬ程の軽装であった。既に機材は運ばれ、着替えだのなんだのを詰め込んだトランクさえも先に初日に使うホテルへと発送されていったのである。
「らっくちん。」ミリアはリビングで小さなポシェット一つ下げ、言った。
「こんな王様待遇でいいのかよ、マジで。俺らはデスメタルだぞ?」リョウも先日バイクを買った時に貰った、ハーレー・ダビッドソンのボディバッグを引っ提げただけの軽装である。
「にゃあん。」と何かを察したのであろうか、白がリョウを見上げ大きな口を開けて鳴いた。リョウは早速、昨今ミリアの仲介によりとみに親密な関係を築きつつある飼い猫を抱き上げ、「なあ? 行ってくるかんなあ。白よ。いい子にしてろよ。」と顔を近づけた。
「なーう。」白は光彩をほとんどなくした昼間特有の顔で答える。
ミリアはくすりと微笑んで白に顔を近づけた。「すぐにおばあちゃん来るからねえ。一緒にお泊りだわよう。そしたらペットホテルに連れてってもらえるからねえ。ミリアたちとおんなじように、ホテルにお泊りするのよ。いいわねえ。」
「わざわざおばあちゃん、白のこと見に来てくれるたあありがてえけど、やっぱ申し訳ねえよな。」
わざわざ東北地方より新幹線を使って上京をしてくるのである。
「おばあちゃんはねえ、ミリアとリョウを見にも来てくれんのよう。後はね、こっちで劇観たりとか、美味しいお店行ったりとか。こっちで出来たお友達にも会いたいんだって。」
「ほう。」いつの間にやらそんなに東京に縁が出来たのか。
「ジュンヤパパがいた時には東京なんてほっとんど来たことなかったのに、ミリアたちがお引っ越ししてお手伝いしてる内に、東京の楽しさを知っちゃったって、こないだ電話で言っていたわよう。」
「そんな楽しいもんかねえ。金のある人は違うな。」
そこにインターフォンが鳴り響く。
「おばあちゃん、来た!」
リョウの腕の中から飛び跳ねた白猫が一斉に玄関に向かって走り出した。
「ごめんなさいねえ、遅くなっちゃって。」そう言った老婆は見慣れた白髪を紫色になんぞ染めていたので、リョウは瞠目した。
「ど、どうしたんすか、それ……。」
「厭ですわ。リョウさんだって赤いじゃあありませんか。」と言って掌で叩くふりをする。
「え、ええ。まあ、たしかに、そうですが。うん。」リョウは玄関先に置かれた鏡に自分の赤い髪を映し出した。
「せっかく東京に行くのですから、お洒落しようと思って、昨日美容院で染めて貰ったんですよ。だって今回はまず歌舞伎でしょう? ホテルで東京の日舞の方々とのランチ会でしょう? それから日展見て、お着物の販売会にも行くんですもの。」
「……はあ。」リョウは溜め息を吐いた。
「今回の置物の販売会はとっても大規模なの。ミリアちゃんにも似合いそうなのがあったら、買って来てあげましょうねえ。水色の。」
「い、いいです、いいです。」慌ててリョウが制し、「この前貰ったあれ、卒業式に袴で来たやつ。あれがとっても気に入ってやがるから、あれで、十分。」
「ねえ、おばあちゃんに袴のお写真送ったでしょう? 見てくれた?」
「ええ、ええ。もう本当に綺麗で、美人で。さすがねえ、モデルっていう職業の人は違いますよ。思わずご近所さんにも自慢しちゃった。」
「どうもありがとう。」ミリアは素直に微笑んだ。
「じゃあ、そろそろ迎え来るんで。白のこと、宜しくお願いします。四、五日はこちらにいるんですよね?」
「ええ。勝手に居座って申し訳ないですけれど。白ちゃんと一緒にこちらでお留守番させて頂きますわ。帰る時には、ちゃんと戸締りして、白ちゃんをペットホテルにお連れして帰りますから。」
「宜しくお願いします。」リョウは聊か腑に落ちないとばかりにぎこちなく頭を下げた。
「おばあちゃん、またね。今度はミリアたちがこっちにいる時に、来てね。」
老婆は感極まったようにミリアの肩を抱き締める。
「ありがとうねえ、ミリアちゃん。こんないい孫がいるなんて、とてもとても嬉しくて。ジュンヤは早くに亡くなりましたけれど、でも、こんなにいい子を残せたんだもの。短い人生でしたがあの子はあの子なりに幸せだったんだろうって、ミリアちゃんのお陰で思えますよ。……どうぞお元気で、行ってらっしゃいましね。」そしてこっそりと、「お着物素敵なのあったら、買ってきますからね。」と付言した。
ミリアは思わず目を丸くする。
その時リョウが「おい、シュンたちが来たぞ。」と庭先を眺めて言った。「じゃあ、すいませんね。白のこと、宜しく頼みます。」
「おばあちゃん、いってきます。白ちゃんのご飯はいつものお台所の下ん所にあるから、朝晩あげて下さい。まだ寒いから夜お布団に上がってくると思うけど、そしたら一緒に寝てあげて。」
「大丈夫ですよ、うちにも猫三匹もいるんですから。慣れたものです。」そう言ってその発言に信憑性を持たせるべく、足元で三人を見上げていた白をそっと抱き上げ、喉を撫でた。すぐに白は気持ちよさげにコロコロと喉の音を鳴らす。
「うん、ありがとう。いってきます。なんかあったらお電話してね。」
ミリアは軽やかに手を振る。老婆は潤んだ瞳でミリアに手を振り返した。うちの孫はなんと愛らしいのだろうと、心底感嘆しながら。