12
「リョウは赤ちゃん抱っこしたことある?」結局リョウが完成させることとなったチキン入りのシチューを食べながら、ミリアは幾分機嫌を戻して尋ねた。
リョウは眉根を寄せて、「ある訳ねえ。」と呟く。
「あーったかいのよう。やーわらかくって。」
「ああ。」そのぐらいはいくらデスメタラーといえど、リョウでも想像がつくのである。
「人間誰もあんなちーっちゃくって、やーわらかいのに、いつの間にこんな固くなるのかしらねえ。」ミリアはくすり、と微笑むとリョウの腹を拳で軽く殴り付けた。
思わずスプーンを取り落しそうになる。「何すんだてめえ。」ミリアがすっかり機嫌を良くしたことに安堵しつつ、リョウは顔を顰めてみせる。
「だってリョウ固いんだもの。いつこんなに固くなったのかしらねえ。ああ、赤ちゃんのリョウってどんなだったのかしら。せめて、せめてリョウの赤ちゃんの写真見てみたいなあ。どっかに落っこちてないかしら。」
「何で俺のガキの写真が落っこちてんだよ……。」リョウは黙ってシチューを啜り上げた。「……でも、俺みてえなんでも、樹の股から生まれたわけじゃあねえんだよなあ。」
「なあにそれ! 樹の股って! あははは! おっかしいわよう!」ミリアは腹を抱えて笑い出す。
「お前知んねえのか、よく言うじゃねえか。」ケッという奇妙な声を出して、リョウは荒々しく飯を食らう。「俺だって人の子なんだよなあ。なーんか気持ち悪ぃがしょうがねえ。」
ミリアはふと思い至り、ちらとリョウの顔を見上げて呟くように尋ねた。
「リョウは……、リョウは、リョウのママがどんな人か考えたこと、ある?」
「そりゃあな。」シチューを口に入れたまま、心底どうでもよさそうにリョウは答える。「少年のガラスのような心だった時には、なんで俺は母親に捨てられたんかなあとか、なんか嫌われるような真似しちまったんかなあとか、そもそも母親はどんな人だったろうかとかなあ、あのクソ野郎に俺を擦り付けて逃亡した理由はあったんかなあとか、色々考えたもんだ。まあ、考えたところで答えが出る訳もねえんだが……。」
「リョウは、……ママのこと、本当になんも知らないの?」ミリアは恐る恐る尋ねた。
「知らねえ。」リョウは即答する。
「施設に入ってた時、何か教えて貰わなかったの?」
リョウは首を捻り考え込む。「そう言われりゃあ、そうだよなあ。……ああ。」思い当たって言った。「あん時はあれだ。俺は人生最大の反抗期を迎えてて、施設の人とは一切口利かねえキャンペーンをやってたんだ。」
ミリアは目を瞬かせる。「惜しいことしたなあ、ちったあ愛想よくしてりゃあ、母親っつう人のことも教えてくれたかもしんねえのにな。人見りゃあ大暴れしてたかんなあ。」
ミリアは急に神妙な顔立ちとなり、肩を落とした。「リョウ、そんだけ傷ついてたのね……。」
「でもよお、施設でも俺の母親のことなんざ知らなかったのかもしれねえしな。虐待する父親から引き剥がすために入れられたようなもんだし。」
ミリアは辛そうに目を閉じた。
「まあ、そういうありとあらゆる負の感情みてえなモンを生かすべく、俺はデスメタラーになった訳だから、その経験も最大限に生かされてる訳だけどな。これで、両親揃って幸せな子ども時代なんつうものを送ってたら、今の俺は完璧に、ねえ。」
ミリアはふっと小さく微笑んだ。
「リョウのママは、リョウを手放したくなかったよ、絶対。ミリアならそうだもん。」
「あっははは、なんでお前が俺の母親の気持ちなんざわかんだよ。」
ミリアは鼻梁に怒りを籠めて、「わかるもん! だってリョウ、絶対可愛かったはずだもの! ミリアにはわかんの! 絶対ダントツ可愛い赤ちゃんだったもの!」と口調も激しく言い切った。
「じゃあ、そう思っておくか。」リョウはすぐさま折れて、微笑みながら勢いよく白身魚のフライを食べ始めた。
リョウはその時、自分の胸中の凝りが軽くなっているのを感じていた。思えば顔も知らぬ母親に対する思いなどは、今まで誰にも言ったことがなかった。そんなことを成人してなお胸中で引き摺っているのは、この上なく女々しくも、情けなくも思われたし、デスメタルを生業とするにあたって不適格でしかなかったからである。しかしだからといって母の存在が完全に自分の胸中から払拭された訳でもないということを、リョウは今、実感していた。なぜなら、母への思いを思いがけなく吐露できたことで、今まで凝って泥んでいた思いがふと軽くなり、そればかりかどこか浮き立つような思いさえ感じさせられたのである。
しかしその一方で、ミリアが己が身に通う母親の血を憎んでいることは、無論想像はしていたことにせよ、その深刻さに気付かされたのは今日が初めてであった。母親の血が流れているからこそ、子どもを欲してはいてもそれに歯止めをかけていたとは――。リョウは自分に子どもが欲しいなどと思ったことはないが、ミリアの苦しみだけはどうしても取り除いてやりたかった。