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BLOOD STAIN CHILD Ⅴ  作者: maria
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 「お前、どうだったんだ。社長ん所の赤ちゃんはよお。」レッスンから帰るや否や、台所で鍋を洗っていたミリアにリョウはそう問いかけた。

 「ちーっちゃいの。もんのすっごく、ちーっちゃいの。」ミリアは台所からやたら顔を顰めてその小ささを強調してみせる。

 「そりゃそうだろ。だってまだ生まれて三週間? 一か月も経ってねえだろ。」

 「でもさあ、とっても見たことないぐらいちーっちゃいんだから。」ミリアは今度は包丁片手に全身竦めて言った。

 「ふうん。そっか……。たしか一人目産まれたって聞いた時には、ヨーロッパ遠征中ですぐには見に行けなかったもんなあ……。」

 「そんで、アサミさんに似てた。目とか鼻とか。アサミさんの赤ちゃんの頃とそっくりなんだって。写真見たら、本当にね、おんなしだった。」

 「良かったじゃねえか。女の子でアサミさんに似てちゃあ、将来安泰だ。」

 「将来安泰かあ。」ミリアは暫く考えて、そして何やら包丁で刻み始める。「ママに似るかパパに似るか……。」

 「まあ、普通に考えて見たくれのいい方に似た方がいいだろ。社長も悪くねえ顔はしてっけど、女の子だったらアサミさんのが絶対ぇ無難だろ。」

 ミリアはそれを聞きながら、水の張った鍋の中に自分の顔を映し出した。自分の顔はあの母親に酷似している。それはとても我慢できるものではないが、でもこれを元手にモデルの仕事を貰い、リョウの入院費の足しにもできたのだと思えば、決して否定的なことばかりではないのかもしれない、と理屈では思いつつ、でも感情的にはあの母親と瓜二つであるというのは、そう思い出すたびに明らかな不快感が呼び覚まされるのであった。

 リョウは何やら思い悩んだミリアを見て、大方ミリアの考えていることを察知し、慌てて「お前はさ、ジュンヤさんの血を引いてるからこそこうやってギタリストとして世界を股にかけられてんだからよお、感謝しねえとな!」と言った。

 ミリアは自身に言い聞かせるように「……ジュンヤパパに、似てる。」と呟き、大きく肯く。しかしどう考えてもそれとは懸隔する血が自分を、自分の容貌を、作り上げている、それがミリアにとっては考えれば考える程胸をざわつかせる、というよりは我慢のならぬものとなった。でもジュンヤはあの母親を愛し、だからこそ自分という存在が誕生したのは抗いようのない事実である。それを思ってミリアは泥沼に沈み込むような重苦しい気分を味わった。


 ミリアはそんな思考を振り払うように沸騰し始めた鍋に、野菜を放り込む。

もし自分に子が生まれたら、リョウに似ていたらいいなと思わずにはいられない。自分の、つまりは自分の母親の血なんぞ一滴もいらない。自分や母親と同じ顔をしていたとしたら、自分はどうしたって愛することはできないであろう。リョウに似ていれば、幾らだって愛することができる。そのぐらい当然にできる自信が、ある。それからリョウのように何者にも屈しない強さを持っていたら、どんな人生の艱難辛苦が向かいこようとも打ち克つことができるであろう。それは人間にとっての一番の幸福なことだ。

 ミリアは鍋を掻き回しながら、冷蔵庫に発泡酒を取りに来たリョウに、ふと「リョウはどうしてミリアのこと、可愛がれたの?」と問うた。

「はあ?」頓狂な声が出る。

「……リョウ、小さかったミリアの気持ちもようくわかってくれて、……そんで、可愛がってくれた。ミリアはあっという間にリョウのことが大好きになった。なんでそういうこと、できたの?」

 リョウは首を傾げる。「……そうかあ?」

 ミリアは深々と溜め息を吐き、「リョウはパパにもママにも愛されてないのに、どうやってミリアを愛せたの。なんで、いつ、愛を知ったの。」

 リョウは更に考え込む。「お前、何言ってんだ?」

 「リョウは、子育て、上手。」

 リョウは噴き出す。「俺にガキはいねえぞ! しかもデスメタラーだ! 何で子育て褒めらんなきゃなんねえんだ!」

 「そうなの! なのに、何でミリアのこと育てられたの?」そう問いかけるミリアの眼差しはしかし真剣そのものであった。「リョウなら愛情たっぷりに子育てできる。でもミリアは、……できないかもしんない。リョウに似てるんならいいの。でも、ミリアに似てたら……。」そう消え入るように言ったミリアの声色がさすがに気になり、リョウはそっと台所に立った。

 「お前どうしたんだよ。何かつまんねえこと、勝手に思い悩んでねえ?」

 ミリアは落胆というよりは自身に呆れ果てたような溜め息を吐く。「……アサミさんの赤ちゃん見て、ミリアもいつか赤ちゃん欲しいなって、ちょっと、思った。」

 「ほお。」リョウは発泡酒のタブを開けて、ごくりと一口飲み干す。

 「でも、リョウに似てたらミリアは可愛がれる。だってリョウに似てるんだもん。でもミリアに似てたら、ママに似てるから、……可愛がれない、きっと。」

 「……そうか。」

 ミリアは俯いたまま固くなった。

 「でも、……小っちゃいお前、そりゃあ可愛かったぞ。そりゃあ痩せっぽちで、あんま喋りもできねえで、大丈夫かよっつう心配は常にあったけど、でも笑い始めたり、ちょっとづつ喋り始めたら、可愛いっていう方が圧倒的にでかくなったな。それにほら、いつかお前の母親から貰って来た、お前の赤ちゃんだった頃の写真が入ったアルバム、見ただろ? あんなのどう考えたって滅茶苦茶可愛いじゃねえか。」

 ミリアは俯いたまま目を瞬いた。たしかに赤茶けた座布団の上に寝そべった赤子の自分は、どうして捨てられたろうと思われる程にか弱く、小さく、儚い存在であった。あんなのに暴力を振るうなんぞ、自分には絶対にできやしない。

 「俺はお前に似てるガキとか、もう一回お前との人生やり直すみてえで悪くねえと思うけどな。……絶対ぇ可愛いし。つうか俺に似てんのは、勘弁だな。だって生意気だろう、絶対。」

 「生意気?」

 「そうだよ! 俺は、悪いが俺みてえな人間と付き合うのは超絶ゴメンだ。口は悪ぃし、態度はでけえし。気分屋で自己中だ。だったら可愛いお前みてえなのが絶対いい。」

 ミリアは潤んだ瞳でリョウを見上げる。いつもだったらリョウに「可愛い」などと言われたら天にも昇る気持ちになるのに、なぜだか少しも喜びは湧いてこない。

 「ミリアの血の半分は、ママだから。ミリアの中には、赤ちゃんを捨てたくなる気持ちがあるかもしんない。特にミリアに似てる子だったら、ママがそうしたみたいに……。」その言葉は明らかな震えを帯びていた。

 「お前……、そんな風に自分のツラを見てたのか。」リョウは耐え難いような声で尋ねる。

 「普段は、そんなこと、ないの。ギター弾いてる時、リョウといる時、ミリアの顔がママに似てるなんてちっとも、ちっとも、思いもしないの。……でも、たまに気づいちゃうの。ミリアの顔、ママだって。お化粧して撮影して、チェックする時とか、『ああ』ってなって、とても見てらんなくなるの。」

 リョウはミリアの頭を掻き抱く。

 「お前はお前だろが。血なんざいつまで構うもんかよ。」

 ミリアはふと手を裏返し、か細い手首を見詰めるようにして、顔に近づけそのまま目を覆う。

 「……俺なんか母親の顔さえ知らねえ。誰のどんな血が入ってんのかなんて、あのクソ野郎以外には何一つ知らねえわけだ。顔もお前と一緒だ。イラつくぐれえあいつに似てた。でも俺は俺だしな。あいつにはどう転んだって世界のステージに立って音楽聴かせるなんて真似はできやしねえだろ。別人なんだよ、親子っつうもんは。生まれ落ちた瞬間、別個の人格なんだよ。」

 ミリアは肩を震わせた。リョウは煮立った鍋の火を消す。

 「お前だってそうだろう。あの女に、絶望から這い上がるギターが弾けるか? 人種、国籍、宗教全部超えて音楽で魅せることができるか?」

 ミリアは小さく首を横に振る。

 「自信持て。くだらねえ血なんかに負けんな。」

 ミリアは目から拳を外すと、か細い腕をリョウの背に回した。

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