Episode092 祝賀会
覚悟を決めろというフルーラの言葉。
やるしかないと一度心に決めた。
他の誰でもない、自分自身がやらなければならないのだと。
「──あぁ、セシリアとかいうエルフの小娘」
「っなんですか?」
何十もの魔獣を相手にしていたキスミルが、何気なく視線をセシリアに向ける。
「年増女はともかくとして、妾は主の命令でここにやってきた。伝言じゃ、すべてが終わったら二人きりで会おうということじゃ」
「すべてが終わったら……?」
キメラ計画の終止符が打たれ、片付いてからということだろう。
確かに会いたい。
会ってもっとたくさん話がしたい。
「伝言、預かってくれてありがとうございます。キスミルさんって意外に優しいですよね」
「ふんっ、まぁ褒め言葉として受け取っておく。それより、さっさとパグを楽にしてやれ。あれはもうパグであってパグではない。パグ自身もキメラなんていう生物の夢を食べてさぞ苦しかろう」
その証拠に、とキスミルが視線をパグに向ける。
パグは苦しそうにか細い鳴き声を発している。その周囲は濃い障気が立ち上っていて、うかつに近づくとセシリアでも昏倒しそうだ。
アレはもう、世界に毒をまき散らすだけの生物だ。
人間にとって害悪。
「せめて貴様の手で葬ってやれ。そのほうがパグも幸せだろう」
「……はい」
ツヴァリスの冰剣を握って、構える。
特に力を込めずに、まるで決闘する直前のような緊迫感。
「敬意を込めて、全力で殺します」
弱者は全力を賭して戦わないと強者には勝てない。
常に全力であれ。
セシリアの騎士道であり、育て親が口を酸っぱくして言っていた格言だ。
ゆえにセシリアは、全力で疾走して全力で剣を振るった。
パグの横腹に一筋の裂傷が走ると、内部の肉が奇妙な液体を押し出して破裂した。
耳を塞ぎたくなるようなパグの大絶叫。
象が倒れるよりも大きな轟音と立てて、パグが絶命した。
…………────誰かが来た。
右半身の凍傷に加えて、紫色に変色した首や肩。切り傷は数えきれないほどあって、どれだけ戦闘が激しかったのか物語っている。
少年の顔がぐしゃりと歪んだ。
「パグ君……っ!!」
ネネルが、パグの悲惨な姿を見てむせび泣いている。
離れたところで三大公爵家の軍団と戦っていたが、パグの異変に気付いてやってきたということだろうか。
「誰が……誰が………こんなことをっ!!」
「最初に……この事件を起こした原因は、ラドルシュという遺伝子工学者よ」
真っ先に答えたのは、フルーラの治療によって一命を取り留めたユナミル。
「あの男がその子を怒らせた。そのパグっていう子は、眠っていたキメラの夢をすべて食べちゃったの。それでパグ君はこんな姿に……」
「そんな…………っ!!」
彼にとっては、パグ君は大事な存在だったのだろう。
心に決めたことだとはいえ、引導を渡してしまったのはセシリア。自分が彼をこんな悲しませていると思うと、胸が張り裂けそうな思いになった。
「……キスミル」
「分かっておる年増女。ネネ坊が怒りに任せて襲い掛からないよう抑える役割じゃろ? 心配せずとも妾の棘はネネ坊の足を掴んでおる。でもまぁ、ネネ坊はもう暴れられるような体力も残っておらぬよ」
呆れたような、嬉しいようなキスミルの声音。
「こやつは三大公爵家の討伐隊に対し六千匹近くの魔獣に夢を与え、自分の支配下において戦い続けた。いくら主でも、千匹近いSランク魔獣を相手取るのは時間もかかるし体力を要す。ネネ坊は数で大賢者に勝とうとしたのじゃ」
「お兄ちゃん、大丈夫なんですか……!?」
「まぁ、アレは怪物じゃからな。確かに時間は要したが、それでも恐ろしい集中力でSランク魔獣を根こそぎ葬った。狼っこと猫も増援に駆け付けたしの」
キスミルだけでなく、ラミアナとローレンティアもここに来ている。
ラミアナはともかくローレンティアは、力の解放によって激痛が走る首輪をつけられているのではなかろうか。
「痛みを感じてもマスターのために戦い続ける。それが猫の真髄じゃよ」
──と。
向こうから巨大な金色の狼がやってきた。
その背に乗っているのは、ローレンティアとベルティス。
「お兄ちゃん」
「ネネルがいきなり逃げ出したから何事かと思ったら、千里眼で見るより悲惨な状況だな。200体のキメラはことごとく全滅で特異個体が出現、パグももう……」
「サクス、おまえッ!!」
近付いたベルティスにネネルが飛びかかり、胸倉をつかんだ。
「おまえが────」
「僕の名前はベルティスだ。もうその名前じゃない」
ネネルの腕を掴み、静かに引きはがす。
「君は怒りにまかせて冷静な判断ができなくなっている。一度落ち着いた方がいい」
「………」
少しずつネネルが落ち着きを取り戻していく。
それでもまだ、ベルティスに言いたいことはたくさんようでずっと睨みつけていた。
「後始末は僕に任せてくれ。フルーラはユナミルを始めとした周囲の人間の手当てに尽力してほしい。セシリア、君は一足早く帰ってなさい」
「お兄ちゃん。ネネルのこと、お願いします」
四皇帝魔獣ネネルの処遇。
抹殺する方向で話は進んでいた。ここでベルティスが改めてネネルの処遇について話を切り出せば、何かが変わるかもしれない。
そういう願いを込めて、セシリアはベルティスに頼んだ。
「ああ」
◇◇
キメラ演習、及び四皇帝魔獣の抹殺及び封印の失敗。
特にキメラ演習はルークスにとって痛手だった。キメラの欠陥があそこまで明るみにされたうえに、ラドルシュがキメラに襲われて病床生活を余儀なくされている。キメラショックで天の使徒の研究者も数名臥せっており、計画の意義について問いただされている状態だ。
冰力供給者の状態も芳しくない。
こんな成功性が限りなく低い計画を、皇宮会議で提言できるはずがない。
キメラを主軸をとした冰結宮殿100階層以下攻略計画は、会議を待たずして頓挫した。
「方法は違ったが、なにはともあれ保守派の勝利だ。セシリアもお疲れさん」
竜卿公爵家の目的はキメラ計画を阻止すること。
達成したいま、セシリア達は祝賀会を執り行っているところだ。
「いや、しかし俺は驚いたぞ。まさかあの場で、ネネルの身柄を引き取りたいとベルティスが言うとはな」
あのあと、三大公爵家ではネネルをどう扱うか議論がすすめられた。
皇族に反抗したくない魔貴公爵家は当然ネネルの抹殺を提唱したが、ここではセシリアの願いを聞き入れたベルティスが奮闘。言葉巧みにジースリクトを言い負かし、ネネルの身柄を勝ち取った。
「オレは別に、パグ君がいないこの世界に未練はない。マスターに殺されてもよかったよ」
恐れ多くも竜卿公爵家の本家の、まさにグリの応接室で不遜な態度をとるネネル。
こうやって胡坐をかいていると男の子っぽい。
けれど、不思議と女性のような雰囲気もある。
やっぱりネネルは不思議だ。
「しかしまぁ、俺の部屋に四皇帝魔獣が二人もいるとは……なかなか肝が冷えるな」
ネネルの隣に座っているのは、ラミアナ。
ブツブツと独り言をつぶやくネネルに、ラミアナがずっと相槌を打っている。
どうやらグリは、この光景がとても珍しいものに感じるらしい。
「まぁそんなことより、ユナミルちゃんの完全復活とキメラ計画阻止の大成功を祝そうよ!!」
「……あぁあ、ここにパグ君がいればな」
「ギクッ…………こ、心の傷がっ!?」
「ネネル、ダメ。また新しくパグ君を作るってわたしと約束したよね? 昔の因縁はすべて断ち切るってますたーにも言ったよね」
ラミアナがネネルの顔を両手で押さえ、諭す。
意外や意外、あれだけギクシャクしていたネネルもラミアナの手にかかれば子犬のようだ。
「……あれ……そういえば、ラミーって狼だよね。ローレンティアさんは猫、キスミルさんは羊でしょ、ネネルって何の動物になるの?」
「────ワンコ」
「ええええ犬なの!? なんかラミーより弱そう!?」
「うるさい一言余計!!」
ネネルがむむむと唸れば、すかさずラミアナがネネルの首を掴む。
「ますたーの代わりにわたしがネネルをちょうきょーしてあげる」
「怖い!?」
「おいおいおい、肝心の主役であるユナミルが置いてけぼりを喰らわされてるぞ」
ネネルとラミアナとセシリアが勝手に盛り上がっていると、冷静にグリのツッコミが入る。
確かに、今日の主役は元気になったユナミルだ。
「うん、じゃあみんなで美味しいごはんを食べよう!! 今日は全部グリさんの驕りです!!」
「おう、たらふく食え」
グリが用意してくれた食事はとても豪勢だった。
テーブルの中央に香ばしい匂いを漂わせるローストビーフ、色鮮やかな野菜、スープなどなど。
すべてが食欲をかきたてるものばかり。
「そういえば二人とも、あと三か月もすれば騎士団の入団試験だろう?」
夢中になって食べていると、グリからの質問。
答えはもちろんイエスだ。
「頑張れよ二人とも。同年代では敵なしの二人でも、騎士団に入ればそうもいかない。強敵がうじゃうじゃいるだろうし、見習い時代よりも魔獣生息地への遠征が増える」
「今度は倒れないわ」
障気にやられて倒れてしまったユナミルは、あれからずっと障気の抵抗力を上げる鍛錬メニューを考えている。すべてはイスペルト家を盛り立てるために、彼女は強くあろうとしている。
セシリアだって負けていられない。
「……──またお兄ちゃんと会い損なってるなぁ」
そして三カ月後。
セシリアとユナミルは養成所を卒業し、そのままの流れで騎士団の入団試験に合格した。
次回Episode093で本作完結となります。




