Episode087 246階層に棲むもの(3)
高台から見下ろしたその場所に、多くの獣が蠢いている。
獅子のように太い脚、引き締まった胴体、山羊のような頭部が特徴的だろうか。転移門の設置によってここへ連れてこられた、異形の生物。遺伝子工学者が発案し、エルマリア夫妻が完成させた生物兵器キメラ。
それがいま、一人の青年によって管理されている。
彼が片手に握っているのはクリフォトの杖。深部には最高級の冰石が埋め込まれており、キメラの統率を可能にした最新法具だ。
『時間となりました。それでは、実戦演習を開始してください』
イヤホン型の通信法具機から、司令部の声が響く。
ベルティスは小さく頷き、クリフォトの杖を掲げた。
杖から黒色の光が放たれる。光は螺旋状の渦をまき、複雑に絡み合いながら天高く昇っていく。やがて空中で弾けると、四方八方に散った。
「半径五百メートル圏内の魔獣、計27体の反応を確認。想定通り、魔獣がこちらに向かってきました」
『数が少ないので、魔獣をもっと集めてください』
「了解」
黒い光がさらに放たれ、半径三キロ圏内に存在するすべての魔獣を呼び寄せていく。
すべてはキメラとぶつけるため。
キメラの性能テスト、ドローンを媒体とした遠距離エネルギー調達テスト、皇宮会議に向けた最後のキメラ資料作成が、この実戦演習の目的である。
「突撃開始」
編隊具合を眺めるため、探知スキルを使用しながらベルティスは上空へ。
百体のキメラは特に問題もなく、進軍していく。やがて散会し、人間の部隊と同じように三体一組のかたちをとって魔獣と戦闘を始める。
キメラは冰力を使用する。
冰術ほど複雑なものは使用できないものの、獣ならではの筋力と掛け合わせれば、人間の比ではないパワーを生み出す。全身にあらかじめ冰術加工されているため、そう簡単に魔獣の攻撃がキメラの皮膚を貫通することはない。人間と違って死ぬまで戦うことができるという優れものだ。
「…………」
戦況は絶対的こちらの有利。
キメラの上空に浮遊する数十機の航空撮影機から送られる映像。それを司令部にいる総指揮官ジースリクト、遺伝子工学者ラドルシュ、その他天の使徒の研究者たちが満足げに眺めていることだろう。
状況は順調。
一日目の実戦演習は大成功だろう。あとは、問題点であるキメラの連続稼働と、夜のキメラ静養、一年半前は倒れてしまった冰力供給者シャロンの身の心配くらいだろうか。
ベルティスはしばらく、キメラが魔獣を屠っていく様子を眺めていた。
そして、向こうでこの状況を見ているはずの、騎士公爵当主とセシリアに視線を向ける。
────………。
『三時間経過しました。討伐された魔獣はAランク含めて194体、キメラの損傷具合は17パーセント、死滅数ゼロ体です。二日目に備えて、ただ今から仮想データと戦闘データの照合、誤差値の各項目チェックを行います。ベルティス様は、キメラの管理権限を遺伝子工学者ラドルシュ様に移譲したあと、司令部に帰還してください』
「……了解」
これにより、キメラの実戦演習一日目が無事終了。
◇
夜。
ベースキャンプ、宿泊施設にて。
「はぅあ……緊張したよー」
簡易ベットに倒れ込むセシリア。
キメラ演習をただ見るというだけのはずなのに、心臓はバクバク、肩から終始緊張の糸が切れなかった。キメラの冰力供給者がシャロンであること、キメラの副指揮官を務めるのがベルティスだったということも理由だろう。
とにもかくにも、やっと一日目が終わった。
──これがあと四日も続くなんて……!!
だめ、死ぬ。
お兄ちゃんと全然喋るチャンスがないし、そもそも怖くてルークス陣営に近付けない。またラドルシュっていう人に睨まれそうだし……。
──誰かわたしを癒してっ!!
乾いた心に潤いを。
枕に顔をうずめてジタバタしていると、腰に誰かの腕が巻き付いて来た。
「せーしーりーあちゃーん」
「わっ、ユナミルちゃんどうしたの!?」
「ふふっ。セシリアちゃんが構って構ってーっていう感じでジタバタしてたから、思わずね」
寝間着に身を包んだユナミルが、身を摺り寄せてくる。
「ね、このままだと興奮して眠れなさそうだから、ちょっとエルリアさんのところへ行ってみない?」
「お姉ちゃんのところ?」
「今日、二部隊の連絡が途絶えた事件があったじゃない? エルリアさんが帰ってきたあと、すぐキメラの演習時間になっちゃったから、聞きそびれたし、話を聞きに行きましょうよ」
「うーん……そうだね、いまは目が冴えてて眠れそうにないしね」
四皇帝魔獣ネネルは未だ行方不明だ。
知性があるがゆえに、高位の魔獣は隠れるのが得意なのだという。魔獣の力を解放しなければ、まず探知機に引っかからない。
──今日の事件はネネルのせいだったのかな。
知りたい。
セシリアはエルリアの実妹という特権を保持している、問い詰めれば必ず答えてくれるだろう。
さっそく寝間着のうえに上着を羽織って、セシリアはエルリアの部屋へ突撃した。
「お姉ちゃん、お願いがあります!」
「分かった、聞こう」
「早っ!?」
思わず感心してしまうスピード。
エルリアは、騎士団の上着を脱いだ格好をしていた。まだ寝るつもりはないらしく、剣の手入れをしている。
「どうせ来るだろうと思っていたぞ。今日、私が救助に向かった二部隊のことだろう? 話してやるから中に入ってきなさい」
促されるまま中へ。
対面式のソファに向かう途中、窓の外で何かが動いた。
こんな時間なら夜間警備隊だろうか? あるいは、女の園へ無防備にも侵入してこようとする愚か者だろうか。思わず夜目を駆使して遠方を見つめる。
青白く生気のない人の顔が、ぼんやりと見えてきた。
「どうした?」
「窓の外に人が!」
「なに!?」
窓から身を乗り出して再び見つめる。
間違いない人だ。こんな時間にこんな寒いなか、薄いシャツ一枚の男性。目は開いているが生気がなく、とてもゆっくりと歩いてくる。しかも、よくよく見れば同じような人間があと三人もいるではないか。
「とにかく回収だ。魔獣にやられて、精神を犯されているかもしれない」
「は、はい」
「寝間着の見習いは近づくな! (高位魔獣の)精神汚染の対処法はまだ習ってないはずだ」
窓の外へ飛び出していくエルリア。
走りながら聖剣を構え、そのまま鮮やかに一振り。
剣から放たれた空気の刃が、四人の男を後方へ吹き飛ばす。転倒した男たちは、しばらく起き上がれず四肢をジタバタさせていた。
「攻撃する素振りはなし。一番厄介な精神錯乱、仲間同士を同士討ちに陥れるものではなかったか……」
呟き、四人のもとへ聖剣を掲げる。
そして一薙ぎ。
剣から放たれた冰素の燐光が、四人の男達に正気を取り戻させていく。
「お姉ちゃん、今のは……!?」
「治癒冰術の一つだ。精神回復は高等治癒冰術だが、エルフ族なら使いこなせる者が多いらしい。セシリアも騎士団に入団できれば教えてもらえるぞ」
近付くセシリア。
「あと近づくなと言っただろう。お姉ちゃんが何とかしてくれたから安心だとでも思ったか? だからって、この近くに魔獣が潜んでいる可能性は否定できない。可愛い寝間着姿の丸腰騎士見習いが、私の役に立つと思ったか?」
「ぎく……っ。ご、ごめんなさ~い」
──…………反省してます。はい。
「まあいい。それよりも、この四人は騎士団の面子だ」
「え、騎士なんですか? でも、なんで身ぐるみ剥がされて……」
「分からん。そもそも精神汚染を受けたのなら、どこかに噛み傷なりひっかき傷なり、毒が入る隙間があるはずだ。でも見たところ、この男たちには傷らしい傷もない」
そこで、セシリアのあとに遅れてやってきたユナミル。
「そこで質問なのですが、今日の、二部隊の連絡が途絶えたという話はどうなりました?」
「……。幸か不幸か、二部隊とも傷のない状態で転がっていた」
「あぁ、よかった…………ん? じゃあどうして連絡が途絶えてたんですかね」
「連絡がつかなかったのは磁場の影響だ。ただ、身ぐるみこそ剥がされていなかったが、二部隊とも眠っていた。その部隊全員が一斉に眠り始めるなんて、ありえると思うか?」
「でも傷はなかったんですよね? ……246階層に村落があるわけないですし、やっぱり魔獣の仕業?」
「もし、こちらに救援要請する暇もなく眠らされたんだとすれば、恐ろしい話だ。Sランクどころの話ではなくなるな……」
茂みから誰かが出てくる音。
「誰だ!」
エルリアの鋭い声が飛ぶと、意外にも相手は、すぐ顔が見える場所まで移動してきてくれた。
身長は、セシリアより少し高いくらいだろうか。
一本一本がきつめのクセが入った、短く色素の薄い蒼色の髪。
凛々しい目。
肩幅はさほど広くない。
「……ねえユナミルちゃん、あの人って男か女かどっちだと思う?」
「男だと思うわ」
「え、私は女だと思ったぞ? セシリアは?」
「うーん、どちらかというと男のひとに見える……」
少年か、あるいは少女か。
どっちともつかない不思議な雰囲気を纏った人間。
「よかった。やっと人のいるところに案内してくれたよ」
──喋った。でも声は男の子っぽい?
こちらを警戒している素振りは全くない。
彼はゆっくりとこちらに近付いて来た。
「うん、キミがいい。キミにしよう。そこにいる銀髪のエルフさん」
「え? わたし?」
──キミがいいって、いったいどういう意味?
少年が、腕を掴んでくる。
「じゃ12時間後、この場所に返しにくるよ」
セシリアの体から力が抜け、意識が途切れた。




