Episode086 246階層に棲むもの(2)
レスミーに連れられて、部屋のなかへ。
普段のきっちりとした姿に見慣れているためか、シャワー後のレスミーは艶やかだ。起伏の富んだ体に、ぴったりとフィットするレース調の薄着をあつらえている。
塗れた髪から覗く女性らしいきめ細やかな肌を見ると、そのままその視線はふっくらとした胸へ。
──むぬぅ。やっぱ牛乳を飲むべき???
思わず自分の貧相な胸に手をあててしまう。
羨ましい……。
「ふふ……奇異な視線を感じますね」
「あ、すみません」
己の胸にそっと手をあてるレスミー。
それだけでも、世の男性は即倒するのではなかろうか。
同性のセシリアでも見惚れてしまうほど。
「見れば見るほどエルリアに似ていますね」
──レスミーさんって、こんな表情するんだ。
先陣をきってに魔獣の大群へ突撃し、バスターソードを振り回して敵を屠る。勇猛果敢とはまさに彼女のことだ。
そんないつもの彼女とは180度違い、いまはとても穏やかな表情を浮かべている。
「こんな風におまえと話すのは初めてですね、セシリア」
「はい。今回の無理を聞き届けてくださり、ありがとうございます」
エルリアの仲介もあって、セシリア達はレスミーの従者として今回の遠征に参加することができた。
と。
「魔獣について、おまえたちはどう考えますか?」
「「魔獣?」」
魔獣について、どう思うか。
そんなの深く考えたことはなかった。彼らは敵。人類をおびやかし、世界を破滅へと誘う脅威。全滅させることをいつの日にか叶えるため、騎士公爵家の騎士団は剣を取って戦い続けている。それがフィネアネス皇国のため、皇国民のためとなる。
しかし。
──ラミーも魔獣……。
ラミアナだけではなく、ローレンティア、キスミルだってそう。
でもこれを考えると、自分がいざ魔獣と戦う時に躊躇してしまうから、考えないようにしていた。
「私は、どんな魔獣も人類の脅威だと考えています。そのため、討伐すべき敵であると考えます」
「ほう。……ユナミル・ロール・イスペルト、おまえはそう考えますか。養成所の口頭試験なら、はなまる満点をあげたいところです。二年ほど前の私なら、ユナミルと同じような回答をしていたでしょう」
「四皇帝魔獣ですか?」
「ええ。人間が竜と共存できたように、魔獣も人間と共存できるのではないか、と。特に、ベルティスとローレンティアという四皇帝魔獣を見て思いました」
知性のない魔獣と、知性のある四皇帝魔獣。
「例えば四皇帝魔獣が、知性のない魔獣を統括することができれば……魔獣はただの討伐されるべき存在ではなくなります」
「でも魔獣の存在は環境に悪影響を及ぼします。土地を腐食させ、空気を汚し、真水を泥水に変える。ここ数千年間で、冰結宮殿100階層分が魔獣たちの手に落ちました。彼らはやはり、世界の敵だと考えます」
「さすがユナミルね。自分の意見を持っている、そういう信念は騎士として大事ですよ。大切になさい」
「はい」
レスミーの目が、こちらに向く。
「おまえはどう思う? セシリア」
「わたしは、敵とまでは思いません。事実、四皇帝魔獣には知性があり、人と会話することができます。彼女たちのように知性のある魔獣が、きっとまだまだたくさんいると思います。見つけ出して話すことが出来れば、何か変わるかもしれません」
「それは果てしない夢だ、セシリア。その願望を叶えるために、いったい何人の冰力使いと騎士を腐った大地へ送り込まないといけないのか、分かりますね」
「…………」
「でも、セシリアのそれも大切な自分の意見です。私は、その考えが聞けて良かった。大賢者の近くにその考えを持った人間がいるのなら、最後の四皇帝魔獣の処遇も変わることでしょう」
最後の四皇帝魔獣。
すなわち《蒼涙の夢繰り師》の、処遇。
どういう意味なのだろう。
ネネルはルークスが封印する、決定は覆らないはずだ。
「もうよいです。髪も乾いてきましたし、入ってきなさいベルティス」
カーテンを引いて部屋に入って来たのはベルティス。
見慣れない黒い軍服姿だ。
本日のキメラ演習に備えた調度品だろう。
「おまえは、今回のキメラ演習で副指揮官役に抜擢されたのでしょう? キメラを率いて魔獣と戦闘する大役のはず。いいのですか、本番数時間前にこんなところへ来て」
「レスミーさんこそ、こんな時間からシャワーなんて随分と落ち着いてるね。それに、そんな無防備な恰好でいていいの? ここ、一応魔獣群生地のど真ん中だよ」
「私のこのような恰好を見てピクリとも眉を動かさない…………全くおまえもグリと一緒で可愛げのない男です。少しはセシリアを見習って、赤面するなり顔を背けるなり、あるいはエルリアのように私に上着をかけるなどの配慮をいたしなさい」
「これは手厳しい……今度からそうするよ」
──え、お姉ちゃんいつの間に!?
全然気付かなかったが、いつの間にかエルリアが、レスミーに分厚い上着をかけようとしている。
「──レスミー様、お身体が冷えます。殿方のまえでこのような恰好は……」
「あとにします」
断られると、エルリアの視線はベルティスへ。
──お姉ちゃんピリピリしてるなぁ。
女の園に土足で入って来た敵陣営の男に、警戒しているのだろう。彼がルークスの一員になってしまってから、彼を見る目に険しさが増えた気がする。
──お兄ちゃんが女のひとの姿になってるときは、すごく仲良しなんだけどなぁ。
「エルマリア、おまえはここに何しに来た?」
「……。今日はルークスの使いとして来た。だから用件を話したらすぐ帰るさ」
「聞こう」
「レスミー様……」
「おまえの気持ちも分かりますが、縁談の決定権はあくまでベルティスのものでした。今さら過去の話を掘り起こすのも騎士らしくないでしょう。おまえは、ベルティスのこととなると感情的になっている気がしますよ」
「申し訳ありません……」
エルリアがすっと引き下がる。
「じゃあ言うよ。すでにルークス全体にも知らせてあるが、遺跡深部に四皇帝魔獣ネネルがいないことが、ついさっき判明した。現在、勢力をあげてネネルの居場所を捜索中だ」
「遺跡にネネルがいない? それは、封印を破っていたということですか?」
「ああ。ただし、ネネルの姿がなくなっていたのが数時間前ということを踏まえ、まだこの近くに潜伏している可能性がある。僕はその忠告のためにここへ来た」
「では、本日のキメラ演習は中止ですね。演習よりもネネルの捜索、及び封印の掛け直しが先決です。私もすぐ皆にこのことを知らせ、陣営を整えます」
「いや、キメラの実戦演習は予定通り行う」
誰かの、唾を飲み込む音が響いた。
「キメラの実戦演習中にネネルに襲われたらどうするのです? まさか、キメラと会敵させる気ですか」
「どうやらそのつもりらしい。もしキメラと四皇帝魔獣が戦闘になった場合、机上戦略に則って僕は最前線に立つ。そしてキメラの全面的バックアップに専念する。……予想外の事態だけど、ラドルシュさんはやる気満々だよ」
百体のキメラの実戦演習と、そして四皇帝魔獣ネネルの不在。
大賢者は最前線に立ち、キメラのパフォーマンスを調整する。
事態は確実に動きつつある。
「それで、我々はそのあいだ何をしろと言うのです?」
「二大公爵家は観察者の立場を保持しろ、というのが当主ジースリクトさんのお考えだ」
「……なるほど、手柄はすべてルークスのものということですね。まぁ、いいでしょう。ルークスだけで場を切り抜けられるのならお好きになさい。でももし、四皇帝魔獣が騎士公爵の一員に接近してきたら、そのときはこちらの自由にさせてもらいます」
「けっこうだ。さて、僕はもう帰るとするよ」
帰ってしまう。
何か声をかけようと思ったが、結局何の言葉も出てこなかった。いつもより緊張感を漂わせているからだろう。
「レスミー様、入室をお許しください」
忙しいもので、ベルティスと入れ替わりにやってきたのは、騎士団の正装に身を包んだ男。ただ、レスミーの薄い恰好を見て慌てて顔を背けている。
「も、申し訳ありません。お着替えの途中でしたか……」
「構いません。話しなさい」
「は、はい! 現在、森にて巡回調査中の一隊が、突如消息不明に。救出部隊を編成し、救助に向かわせました」
下階層の遠征にて、部隊の連絡が途絶えることはよくあることだ。
例えば、下階層は上階層よりも磁場が不安定のため、司令官との連絡が途切れてしまうことがある。それだけならば、わざわざレスミーに報告するほどのことではない。
「救助に向かわせた一部隊も、同じ場所で連絡が途絶えました。Sランク超えの魔獣の可能性もありますので、レスミー様にご報告をと」
「では、私の部隊が参ります」
前へ進み出たのはエルリアだ。
今や騎士団長候補筆頭と呼ばれ、騎士団屈指の実力を誇る。
「ではエルリアの部隊に任せます。お願いしますね」
……お姉ちゃんだから大丈夫だろうけど、気になる。
なにがあったんだろう……。
ネネルっていう四皇帝魔獣も出てきてるし……。
しかし、セシリアは待つしかないのだ。
大人しくしていることが、今回レスミーの従者として連れてきてもらう条件なのだから。




