Episode084 わがまま大賢者
茶菓子と紅茶に舌鼓をうちながら、セシリアはベルティスと他愛のない話をした。
養成所の暮らしぶりや剣の成績、このあいだは屋敷でいきなりキスミルと鉢合わせして驚いた、ラミアナの様子はどうだった、などなど……。
──つい夢中になって話しちゃった。
しかし、セシリアにはやらねばならないことがある。
キメラの計画について聞き出すのだ。
そのためにここに来たのだから。
「セシリアちゃんは、お兄様のことをずっと気にかけていました」
なかなか本題に切り出せないセシリアに、ユナミルが背中を押してくれる。
いざベルティスを目の前にすれば、きっとセシリアはどもってしまう。その場合、頃合いをみてユナミルに核心に触れてもらうよう、事前に決めていた。
「単調直入にお伺いしますわ。お兄様は、シャロンさんのスキルとキメラ計画が密接に関わっていること、ご存知でしょうか?」
「ああ。僕はシャロンさんとスキル『無限増幅炉』そしてキメラにまつわる計画のことを当然知っている。キメラの実験にシャロンさんのスキルが利用されていることもね。とっくの昔に気付いてたさ」
「どんなふうに無限増幅炉を使った実験が行われるのか、聞いてもよろしいですか。その内容によって私は、それを知りながらあえて研究をやめないお兄様を心の底から軽蔑いたします。なによりシャロンさんが可哀想です」
「ユナミルはやっぱり手厳しいな。……逃げも隠れもする気はないけど、君の逆鱗に触れると騎士公爵さんがしゃしゃり出てきそうだから、言葉遣いに気をつけるとしよう」
はぐらかす気はないみたい……。
この内容は、あとでグリさんにも伝えないといけないから、しっかり聞いておこう。
「冰結宮殿100階層以下浄化及び攻略計画。これについては知っているか? まずは五年かけて101階層から200階層すべての汚染を浄化し、100階層以下へ進むための基地を作る。このとき、二千体のキメラが投入される予定だ」
「二千体なんてどうやって管理しようっていうんです? ルークス本家にはそんな広大な土地なんてないはずでは?」
「キメラの生産場所は国外にある。具体的な階層は言えないが、300から400の間に五か所ほど。そこで九割五分のキメラを生産中だ。本家には百体くらいか……あぁ、キメラは特別な水槽のなかで養殖中だよ。他に質問は?」
「キメラにどうやって冰力を与え続けるんですか? そしてこれは、シャロンさんでなければ成り立たないのですか?」
ここだ……。
キメラの計画でもっとも問題のある部分だ。
「無限増幅炉にもレベルがあってね、シャロンさんはそのなかでもトップクラスの生産力を持っている。そして、シャロンさん一人だけが供給者じゃない、他にも六人いる。ただしこの六人はただの『増幅炉』であり、『無限増幅炉』の補助として活用される予定だね」
「では、100階層分の浄化に五年かかるとして、このあいだ冰力の供給者は際限なくキメラに冰力を送り続けることになりますよね。保守派の見解を述べさせていただきますと、非人道的だと思われます」
「やっぱ竜卿公爵家の回し者か……。セシリアとユナミルを送り付ければ、僕が必ず答えると踏んできたな……」
「どうなんですか」
「七人の供給者には最大限の配慮を、というのがルークスの当主ジースリクトさんの考えだ。もちろん休憩を挟まないわけでもないし、この計画が成功した暁には相応の報酬と名声が与えられる」
「………っ」
ユナミルが詰まった。
このままでは言い負かされる。
計画の参入を諦めさせるという目的が達成できない。
「お兄ちゃんは、どう思ってますか?」
「僕かい?」
「シャロンさんがたいへんな目に遭う。これについて、お兄ちゃんの意見が知りたいです」
「半々かな。シャロンさんが無理だと言わない限り尊重してあげたい。彼女は、自分が家の役に立てないことをコンプレックスに感じていたようだからね」
「もう半分は?」
「危険としか言えない。キメラ計画は冰力を絞り出すことになるからね」
彼も、ルークスの外からやってきた人間だ。
内部事情について、とやかく口を出せる立場にないのかもしれない。
あとは。
キメラ計画を破滅に追い込むような『欠陥要素』を見つけること。……そんな都合よく見つかるとは思えないが。
「魔獣狩りのときの失敗もあるから、キメラ計画は確度をあげにかかってる。姪っ子が計画の柱となっているラドルシュさんはかなり焦ってるしな……」
え……?
耳の良いセシリアには聞こえた、彼が言った小さな言葉。
魔獣狩りでは失敗した。失敗したとはつまり、キメラの稼働実験だ。思い当たることといえば、姉が冰力を奪われて倒れたということくらいだろうか。
──もしかしてそれが失敗なのかな。
あえて教えてくれた……?
「お兄ちゃん……もしかして……」
「一つだけ言っておきたいことがある。僕は、両親が完成させたキメラという人工生命体にとても興味がある。冰力使いを消費することなく下階層へ版図を広げるには、生物兵器に頼るしかないからね。これが、僕がキメラ計画に参加している最大限の理由だ」
「え……?」
「そして僕は見てみたい。ここ数千年間、誰の目にも触れることのなかった100階層以下の光景をね」
根っから研究者なのだ。
彼のこの部分は、きっと否定できない。否定してはいけない。この本音が、ベルティスという名の大賢者のすべてを表している。
優しいお兄ちゃんも、厳しいお兄ちゃんも、両方とも自分にとっては大好きなお兄ちゃんなのだと。これは否定してはいけないのだと。
──お兄ちゃんってもしかして、他人に自分の気持ちを伝えるのが苦手なのかな。不器用?
「なんで笑ってるんだい?」
「なんでもないです。さ、ユナミルちゃんお菓子食べよっ! まだ残ってるよ!」
「え? でも、まだお兄様をこっち側に引きずりこむ作戦が終わってないわ」
「いいのいいの」
彼がキメラ計画の参入を諦めることはない。知的好奇心がキメラに向いているから、何を言っても無駄だろう。でもそれはいいのだ。だって彼は研究者であり、大賢者なのだから。
──でも、シャロンさんの負担をできるだけ減らしたいと思ってるんだよねお兄ちゃん。
それだけ確認できたから、今日はもういい。
①ベルティスがキメラ計画に参加している理由を聞く。
②計画の参入をやめさせる。
③できればキメラの欠陥要素を探す。
②はできなかったが、①と③は達成できた。
セシリアは本日のことを、グリにすべて話した。
◇
そして、セシリアが帰ったあとのこと──
『あんな分かりやすいヒントを提示していいんですか? あれじゃあ、この計画を潰してくれと言っているようなものじゃないですか』
「いいんだよ。この計画には希望的観測が含まれてる。シャロンさんの叔父さんが自分の名声欲しさに突っ走ってる部分があるから、むしろ潰れてくれた方がいいんだ」
『100階層以下、見たかったんじゃないんですか? 計画が保守派に潰されれば、またマスターの夢がついえますよ』
「……ああ。その夢はまた今度にする」
人類が捨てた場所、1階層から100階層。
ここ数千年間、誰の目にも触れられていない汚染された大地。
大賢者の夢は、自分の目でその場所を見ること。
そして知ること。
冰結宮殿が建設される以前に広がっていた世界大陸の手がかり。100階層以下の地質調査に乗り出せば、きっと有史以前の歴史的大発見をもたらすだろう。
「この大望を叶えるためにかけがえのないものを失うのなら、今回は諦めるさ」
『かっこいいですよ、マスター』
膝の上に乗った黒猫が言う。
ベルティスは黒猫を撫でた。
「ただのわがまま大賢者だよ」




