Episode082 100階層以下浄化及び攻略計画
「会うのは二回目か。あのときは壁面調査のときだったな」
本人は当主の座を兄弟に譲ったらしく、元老院の出席と竜騎士育成に精を出しているという男。精悍な顔つきをしたなかなかの美青年。隣りにいる秘書官ラムベットは、セシリアとは面識がないが、デザート好きということがよく分かる。
──ってかクレープ何個持ってるんですか……!?
「ん? ああ、ラムベットは甘党でな。気にしないでくれ」
「いつもグリ様にストレスを抱えさせられていますので、こういう日くらい甘いものを胃のなかに詰め込んでおかないと死にます。ええ、グリ様は私の仕事を増やすのがお好きなので」
……ひ、秘書官ってたいへんなんだね。
グリさんはすごく真顔でスルーしてるけど。
「っとそれより、ここで会えたのも何かの縁だ。本当は一筆したためようと思っていたんだが、会えたのならちょうどいい。ちょうどここにはフルーラもいることだしな」
グリさんが会って話がしたいって、どんな話だろう。
あまりいい予感はしないけれど。
「一年半前、魔獣狩りのときです。私はかの大賢者ベルティスと接触し、ある話を持ちかけました。ルークスの娘シャロンと結婚することを交換条件に、壁面調査のときの事件を門外不出にしてやる、と」
「壁面調査ってもしかして、ラミーのことですか?」
あの日、屋敷を飛び出したラミアナは昇降路へ向かった。
あのときのラミアナは暴走状態だった。ルチエールの女王の匂いにつられて昇降路に向かったのだが、理性がなく、いつ人間に襲い掛かってもおかしくなかった。未然に防いだのがベルティスだ。ただ竜卿公爵家に昇降路でのことを見られてしまい、不信感を抱かせてしまっていた。
「どうしてシャロンさんと結婚することが、ラミーの正体をばらさないようにするための交換条件なんですか? ……それにもう、ラミーが四皇帝魔獣ってことバレちゃいましたし」
「ここからは俺が話そう。ベルティスが四皇帝魔獣を飼いならしている、このことは確かに大問題だ。なにせ、ベルティスに《黄金喰らいの王》の心臓を渡し、復活させる手助けをしてしまったのは騎士公爵であり、それを了承したのも俺達三大公爵家だ。もしベルティスが魔獣を使った国家転覆を狙っていたとすれば、それを見逃した責任が三大公爵家に降りかかる。非難されるだろう」
──やっぱり貴族のひとたちからすれば、魔獣って得体のしれない恐ろしい生き物で、それを管理しようっていうお兄ちゃんも悪い人って思われちゃうんだろうな……。
冰術の研究者であり、同時に魔獣生理学者だったエルマリア夫妻には、内外問わず狂人というレッテルが張られている。その息子であるベルティスも、よく思われることはないだろう。
「だからあの場で彼女が、ベルティスが大賢者であることを皆に宣言してくれたことはとてもいい判断だった。おかげで、ベルティスが四皇帝魔獣を管理している正当な理由が出来た」
千年前、四皇帝魔獣と死闘を繰り広げ、自らの支配下に置いたといわれる大賢者。
その魂を受け継ぎ、冰力使いの頂点に立つ大賢者ならば、四皇帝魔獣を管理している正当な理由となる。あの宣言を行ったのが四皇帝魔獣のキスミルだったから、あの場にいた多数の冰力使いが信じた。それを見て、多くの人間も膝を折った。魔貴公爵家が、ベルティスを大賢者と認めざるを得ない状況を作り出したのだ。
「それで、お兄ちゃんがシャロンさんと結婚することで、グリさんにはどんな得があったんですか?」
ラミアナの正体を隠しておくことは、竜卿公爵家には利点がないように感じる。
四皇帝魔獣復活は国の一大事だ。グリがあえて隠しておく理由が見つからない。むしろ、早く抹殺すべきだと結論を出すはずだ。
「アンタらもキメラ情報欲しさだろう?」
「さすが生きる歴史だな。稀代の女賢者だったか。魔女フルーラ」
「伊達に何百年も生きちゃいないよ。これでも大賢者の師匠なんだ」
だからお兄ちゃんとシャロンさんを結婚させたがった?
キメラの情報が欲しいから?
「竜卿公爵家は竜とともに生きている一族だ。その関係で竜の里関係者も多い。彼らは、生き物を人間の手で兵器化する今案件に大反対の立場をとっている。何度か《天の使徒》と衝突事件を起こした」
「三大公爵家は分かりやすいんもんだよ。魔貴公爵は人間第一主義、冰力第一主義の極右、竜卿公爵は自然と世界と人間の調和、いわゆる保守派、騎士公爵は人間の血と汗と涙を大事にする実力社会でやや右翼寄りかな」
「そうだ。俺達はキメラ計画、いや、この場合はキメラもだな。キメラを主軸としている、冰結宮殿100階層以下浄化及び攻略計画を阻止したい。そのために皇宮会議でキメラ計画が通過しないよう、キメラの欠陥要素を見つけたいんだ」
「はぁ!? ルークスのやつら、大昔に大失敗した計画をもう一回やろうってのかい?」
なんだろう、冰結宮殿100階層以下浄化及び攻略計画?
聞き覚えのない言葉だが、隣のユナミルは何のことか分かっているようだった。
「魔獣によって汚染された大地に、神によって作られたのが冰結宮殿。でも魔獣が宮殿のなかに入ってくるから、地上にもっとも近い1階層から100階層は汚染濃度が高いと言われているわ。101階層から200階層も準汚染警戒区域で、とても人間が住める場所じゃないけど……」
「でも人間は、魔獣から領土を奪い返したいと常に思っている。それが下階層の浄化計画だ」
「でもこの計画、何百年かまえに失敗したって聞いたわ。下階層には強い魔獣がうじゃうじゃいるし、なにより空気が汚染されてる。何千人もの死者が出たのよ」
「だから生物兵器の大量生産で埋め合わせする気なんだろう。生物兵器なら、どれだけ死んでも代わりが利くし、冰力使いを戦場に送るより人道的だ」
「でもそんなの……」
「できると思ってるのは当主ジースリクトだ。なにせ今は、大賢者がキメラ研究に携わってるからな」
「「っ!!」」
だから、お兄ちゃんはキメラの研究に没頭しているの……?
いったい、なにがそんなにお兄ちゃんを研究に向かわせているのだろう。
「ベルティスは研究者だ。あんまりこんなことは思いたくないが、あいつもキメラという存在に何らかの興味があるんだろう。両親がそうだったように、作ってみたいと思っているのかもしれない」
「その可能性が否定できないね。愚弟子はそういう男だ、アイツに人情を求めない方がいいよセシリア」
「でも……生物兵器って……」
「たくさんの冰力使いが死ぬのとどっちがいい? そう聞かれたら、セシリアは答えられないだろう? 愚弟子なら、間違いなく人間を守るために生物兵器を作るし、その研究に没頭するさ。そっちのほうが効率がいいと思ってるからだよ」
セシリアとて、分かっているつもりだ。
自分とお兄ちゃんとの違い。
キスミルを始めとする四皇帝魔獣への接し方から分かるように、その価値観がまるで違うことに。
──お兄ちゃんは、人間以外には優しくない。
自分やユナミル、フルーラにだってそうだ。いつも優しく接してくれている。
しかしラミアナやキスミルといった四皇帝魔獣には、まったく手加減しない。キスミルと戦っているのを見たとき、それがよく分かった。
「だからもしセシリア、君がベルティスに人間性を求めるのならば、俺達に協力してほしい。俺達竜卿公爵家は保守派、今回の計画はうまくいかないと思っている」
グリさんと協力して、キメラ計画を止める……。
「理由をぜひお聞かせ願いたいね。上手くいかないと思う根拠はなんだい? ジースリクトは、上手くいくと思ってるからキメラ計画を進めてるんだろう?」
「いまのところキメラが冰力を作る動力機関が確保できていない。冰力を与えて冰力使いと同じような戦闘力を生物に求める方が無茶なんだ」
「腑に落ちないね。魔獣狩りのとき、エルリアはキメラに冰力を奪われたんだよ? あれはキメラだったろう? なのに冰力生成機関が確保できていないってどういうことさ」
「これはあくまで推測、ラムベットの推測であると思って聞いてほしい。エルマリア夫妻が開発したプロトタイプキメラ、研究を引き継いだ天の使徒が作ってるテストタイプキメラは両方とも、誰かが冰力を与えることによって動く設計だ」
え……どういうこと……?
難しい話で、セシリアの理解力がついていかない。
「ムリだ、人間の冰力量はたかが知れてる、せいぜい数体のキメラを数十分動かして枯渇するよ」
「そうだ。この場合、ベルティスのような莫大な冰力量を持つ人間か、冰力を溜めこんだ大量の冰石を使用する二種類しかキメラを動かす手段がない。……ラムベットがシャロンという娘を間近で見るまでは、俺達もそれしかないと思っていたよ」
「シャロン……あの娘のスキルって確か……」
「『無限増幅炉』だ。通常の人間より冰力を作るスピードが十倍や二十倍ともいわれる超稀少スキル。俺達の推測が正しいならば、シャロンという娘はキメラ計画の要を担っている。それこそ、キメラを動かすための動力炉としてな」
「そんなことにお兄ちゃんがなんで協力してるんですか!?」
衝動的に立ち上がってしまい、フルーラに座りなと促された。
落ち着いて話を聞け、そういうことなのだろう。
「セシリア、聞いてきてくれないか。なぜベルティスが天の使徒と一緒にキメラを研究しているのか。それでもし可能ならば、彼にキメラ計画の参入をやめさせてほしい」
「…………聞いてきます。わたしなら、きっと何か答えてくれると思いますから」
「よし、これで決まりだな。俺はキメラの欠陥について証拠を集める。皇宮会議でキメラの欠陥の証拠を提示できれば、この計画は発動できない。皇族の許可がおりないからな」
こうして、やることは決まった。
竜卿公爵家と協力して、皇宮会議までにこの計画を破断させるようなキメラの欠陥を集める。セシリアは主に、ベルティスと話をして研究をやめさせる。
「ま、セシリアちゃんがお兄様を止めたいのなら協力するわ。フルーラもそうでしょ?」
「まあね、もともとこういうイヤな予感がしてたから、縁談に反対してたわけだしさ」
フルーラも協力してくれるらしい。
グリは、調べ物があると言って行ってしまった。
そのあとセシリアとユナミルはベルティスと会う日を定め、少し長めの休みを養成所に申請した。




