Episode076 魔獣の調教
キスミルの体に穴を開けたあと、鎖で両腕を縛り空中に持ち上げる。
気高く自尊心の強いキスミルならば嫌がる体勢だろう。千年前、大賢者とキスミルが交わした契約は休戦協定に等しいものだ。キスミルの知的好奇心を満たすために話題を提供し、そのあいだ人間には一切の危害を加えないというのが内容。四皇帝魔獣の中で唯一、大賢者への絶対服従をよしとしなかったのが紅桃の棘幼姫たる彼女である。
『妾は人間風情に従う器ではない。はき違えるな、妾は妾の意思で動いている、決して貴様の意思ではない』
これがキスミルの口癖だ。
「封印を破った直後ということで、自分の力量を間違えたなキスミル」
唇をかみしめて、キスミルはベルティスを睨んでいる。
「本調子でなかったこと、運が良かったと思え。……あの女賢者といまの貴様が二人、束になってかかってきたところで妾の敵ではない」
「でもいま、君は僕の目の前で無防備な格好だ。ここはまだフルーラの冰術の範囲内だということ、忘れていないだろうね」
「貴様……ッ!」
破れた服の隙間から見える白い肌。ベルティスが横腹にそっと触れて、そのまま指の腹で少女のラインをなぞる。
キスミルはすでに、なにをされるのか悟ったようだ。
「妾にこのような、ことを……して……タダで済むと思うなよッ!! 人間風情がッ!!」
「じゃあ逆に言っておく。君は僕の琴線に触れた。エルリアを傷つける、これはそのまま妹セシリアの悲しみにつながる。僕にとってセシリアは世界で一番大切な存在。……魔獣風情がセシリアに涙を流させるな」
指の腹が、へその上あたりで停止する。
そこから斜め上は、さきほどの攻撃によって穴が開いてしまっている。おかげで、人間という体を構成していた彼女の浅黒い肉が見える。ぴくぴくと動いているが、フルーラの冰術により肉体の再生が止まってしまったようだ。
「そういえば、四皇帝魔獣でも君にだけは躾を施したことがなかったね」
「くぅ…………っ……ん……っ」
下種を見るような目をするキスミル。開きかけた口が真一文字に引き結ばれ、そして余裕のない笑みを浮かべる。
「ふん……屈すると思うか、妾が貴様ごときに」
「じゃあ、自分より下等な生物に痛覚を抉られる感触。脳髄まで刻んで、誰が主人で誰が下僕なのか知るといい」
キスミルの体に出来た空洞に、ベルティスの手が侵入──
内側から、キスミルの肉が撫でられた。
「ぁ────────ッ!!」
絶叫。
本来彼女は痛みを感じないが、痛覚がないわけではない。
冰術によって心臓付近にある痛覚を強く刺激する。肉と手の接触が痛覚への刺激とリンクして『痛い』と感じる仕組みだ。
「違う、妾は痛みなど感じておらん!! 妾は……っあうぅっ!?」
人の姿をとると人間臭い行動が条件反射で出るとは耳にするが、キスミルにもそれが当てはまるらしい。
目から涙が出ている。
「僕の両親は魔獣生理学の研究をしてたんだけど……」
手をキスミルの下半身に向けて進める。
手首がキスミルのなかに埋没し、少しずつ奥へ。つぷつぷつぷ……と肉が裂けていく音が響く。
「家の書斎に、魔獣を飼いならす方法についての論文が山ほどあった。魔獣にも集団行動の理論があってね、自分より強い存在に自然と従うっていう習性がある」
「……っくうぅ………………っ」
「証明もされてるよ。……まぁ、魔獣は痛覚が鈍いからね、傍からみるととても残虐な行為に見えるんだ。…………そういえば両親も、これをやって狂人とか言われてたような気がするな……」
「貴、さま……っは、妾が欲しいのか」
「僕が求めるのは絶対服従だよ。服従させないと人類滅亡の危機だからね。君は話のタネを用意すれば基本的に大人しいけど、僕が死ねばすぐ人間を殺すだろう。それはダメだ、だから今度は完全支配を目指す」
そうなれば、じゃじゃ馬であるラミアナはどうなるのかとツッコまれそうだが、なにせセシリアがラミアナを気に入ってしまっている。手酷く扱うと心優しいセシリアが泣いてしまうため、手出しできない。
それに、人を殺すことで泣いてしまうラミアナのほうが将来的に人を殺さなくなる見込みがある。殺戮を快楽に置き換えるキスミルとは大違いだ。
「………っうぅ」
「でも、この続きはあとにしよう」
ベルティスはキスミルの体内から手を抜いた。
反動で、はらはらとキスミルの目尻から涙がこぼれる。よくもまぁ、他人の同情を誘えるような人体構造をしているものだ。思わず感心しつつ、キスミルにきつめの戒めを施してから拘束を解く。
抱きかかえて、血と肉で汚れた手を冰術で落としながら、向こうで様子を窺っていたフルーラに近付いた。
「ひと段落済んだかい、愚弟子」
フルーラがやれやれといった表情で見ている。
「とりあえずは。でも思ったより時間がかかりそうだ。躾に一カ月くらいかかるかもしれない」
「ふぅん。……いやしかしローレンティア、ラミアナと続いて次はキスミルか。これでネネルが揃えば千年前と似たような光景になるねェ」
「確かにね。ところでエルリアは?」
「ちゃあんとアタシが手当てしたよ。毒素に汚染された部分があったけど、そこもアタシが治しておいた。ユナミル、そしてセシリアももちろん無事だよ」
みんな無事のようでとりあえず一安心。
セシリアが心配そうに見つめている。じゃっかん怯えているのは、キスミルがいるからか、それとも遠目から自分がキスミルに何をしていたのか見ていたせいか。
どちらにせよ、いまは微笑みだけを見せる。セシリアは安堵した様子で近づいてきた。
「お兄ちゃん……」
「怖い思いをさせたな、リア」
「ううん。お兄ちゃんなら大丈夫だって信じてたよ。でも──」
ちらっとキスミルを見るセシリア。
懇願するように瞳が揺れている。
「魔獣も、話せば分かってくれると思うんです。その子も、きっと話せば人を殺さなくなると思うんです。だから……だから、あんまり酷いことしないであげて……?」
「君は本当に優しい子だね。大丈夫、そんなに酷いことはしないよ」
いい子だ、と言ってセシリアの頭を撫でる。それと同時に、ベルティスは思った。
セシリアが見ている前でこの続きはできない、と。
『マスター、申し訳ございません』
ローレンティアからの念話。
「どうした」
『シャロン様が、さきほど突然倒れられました。意識がなく、かなり衰弱しておられます。申し訳ありません、わたくしではどうすることもできず……』
──意識不明?
しかし、探知スキルでシャロンの近くに魔獣の姿はない。キスミルと出会うまえに倒れていたエルリアと同じ状況だ。
「分かった、すぐ向かう。ローレンティアは念のため、近くに妙な動物がいないか見てくれ」