Episode075 魔獣狩り(6)
大樹の近くに、浮遊するフルーラの姿。
「フルーラ!!」
叫び、ベルティスも浮遊冰術で近づく。
「愚弟子かい。その様子だと、アンタもこの異常事態に気付いたみたいだね」
「紅桃の棘幼姫がきてるのか?」
「アタシも気付いたのは、ちょっと前だよ。さっきから大型の魔獣がこっちに向かって突進してきてる。おおかた、お得意の精神錯乱系の力で魔獣どもを操ってるんだろうよ」
この近くに魔獣の姿はない。フルーラがすでに物理結界を作ってくれている、しばらくは魔獣が入ってくることはない。
「あとでフルーラに言いたいことがある。今回の縁談の一件、魔獣狩りを邪魔をするためにユナミルとセシリアを巻き込んだことだ」
「いいよ、たっぷりなじっておくれ。それだけアタシが、アンタにかける想いが強かったってだけさ。例えセシリアとユナミルを巻き込んでも、アンタをルークスに取られたくなかったんだよ……」
「……。そのこともあとで話そう」
前世では、本当の母親のように育ててくれた。薬学歴史学考古学、文学や人間観察に至るまで、冰術とともに教えてくれたのが稀代の女賢者フルーラ。
ベルティスとして生まれ変わり、初めて会ったときは涙を流されたものだ。
「エルリアと連絡が取れないんだが、アンタ知ってるかい?」
「南側にエルリアらしい反応を見つけた。けど、動く様子がないから隠れてる可能性もある。無暗に近づいて、キスミルとの戦闘に巻き込むのもアレだから静観しようと思ってたんだけど……連絡が取れないって?」
「意識を失ってる可能性がある。探知スキルじゃ意識の有無まで分からんだろう? 千里眼を使っておくれ」
探知スキルと併用して千里眼を使用。
「いた。やっぱり意識を失っているのか……」
──ん? なんだ今の……エルリアの向こうに何かいる。
獅子に似た背中に山羊の頭部がくっついているようにみえる。大型で、見た目の雰囲気では魔獣と酷似しているものの、探知スキルでは魔獣ではない。つまり獣だが、あんなの見たことがない。
──なんだあれは……。
「いまエルリアと連絡がつながった」
左目で千里眼を使用しつつ、右目でフルーラを見やる。
彼女はちょうど連絡用法具を取り出していた。
『フルーラか…………悪いな、しくじった』
「どうしたんだい!?」
法具越しに響くエルリアの声が弱弱しい。息を求めて、喘ぐ声すらも聞こえる。さきほどまで気絶していたようだが、千里眼で見る限り大きな傷を負っている様子がない。
『大丈夫だ、フルーラ。見たことのない生き物に、冰力を持っていかれただけだ。しばらくすれば動ける……』
「冰力を持っていかれただって? この森にそんな高等魔獣がいるってのかい?」
『違う……と思う。少なくとも、私が見た感想ではあの生き物は魔獣ではないな。……あの生き物から、神聖な気配……魔獣が持つはずのない冰力を感じた』
つまり、さきほどベルティスが千里眼で見たアレ。
新種という一言で片付けられる話ではない。獅子と山羊の混合生物とでも言えるだろうか。こちらの勘が正しければ、あれは人間の手で作り上げられた人工生命体。キメラという名前が脳裏をよぎる。
『地竜もどこかに行ってしまったようだ。これでは、魔獣狩りどころではないな……』
「とりあえずアンタが無事ならそれでいい。いいさ、アタシが迎えに──」
──その瞬間、探知スキルにおいて。
エルリアの近くに、とてつもなく巨大な魔獣反応が湧出した。
『なにか来て…………アァアアアッ!!』
エルリアの悲鳴と法具が壊れる音。
同時に、ベルティス達の数キロ先で爆発音が響く。
木々が面白いように宙を舞い、土煙をあげる。
そのなかで蠢いていたのは、超巨大な棘だった。
「気を抜くんじゃないよ。結界はすぐ食い破られる!」
棘が大樹に向かって進行を開始。
結界にぶつかって一瞬怯んだものの、すぐに進行を再開。生き物のように棘の先端部分が仰け反り、先端部分が裂けて口のようになる。垂れた唾液が結界の表面を溶かし、鋭利な歯が結界をバリバリと食い破っていく。
わずかにできた結界のヒビに、女の手が添えられた。こじ開けるように、その女が己の体を結界内にねじ込んでくる。
「──けっこうな歓迎じゃないか。のぅ、主よ。わざわざ妾から出向いてきてやったというのに、つれないことをするの」
ウェーブのかかった驚くほど長い髪の、少女。
愛らしい顔とは裏腹に、大きな目玉をぎょろりと動かして辺りを見渡している。舌なめずりと悪魔的に吊り上がった笑みはチャームポイントであり、側頭部から生えた羊の巻き角は美の象徴である。
四皇帝魔獣、紅桃の棘幼姫。
性格は自由気ままかつ残虐。自分の好奇心のままに振る舞い、殺戮を繰り返す最凶魔獣。
大賢者の没後、人間に使役されることがなくなったキスミルは暴れに暴れ、のちの皇国軍に封印されたのだという。もちろん、キスミルの封印方法を教えたのは亡くなるまえの大賢者だ。
「……のう主よ、なぜ応えてくれぬのか」
「さあ。なんのことかな」
「あの《ふよふよと浮かぶ金属》のことがそんなに気になるんか?」
「………」
事実、キスミルがここにやってきてからというもの、急にドローンが数を増やした。
おそらく偵察のためにこっちに来たのだろう。映像は確実に本部テントに送られている。これを見た公爵当主は、はたしてどのような反応を示すだろうか。
「……答える気はないか。まあよい、あの金属の目の前で話したくないのなら、妾が消し去ってやろう。ちょうど、あの存在が面倒だと思っていたところじゃよ」
細長い土の棘が、宙に浮かぶ航空映写機を貫いて破壊。
キスミルは土を操ることができる。
土という土であのような棘を作り上げ、大津波を作って一個師団を全滅させたこともある。残虐な性格なので、敵に回ると非常に厄介な存在だ。
「エルリアを返してもらおう。連れてきてくれたんだろう?」
「この娘のことか」
そう言って、血だらけのエルリアを見せびらかすキスミル。
棘によって真上に持ち上げられた両腕からは、おびただしい量の血液が流れている。千里眼で見たときにはなかった傷だ、彼女の攻撃を受けてしまったからだろう。
「よかろう。向こうで見つけた、……獅子と山羊がくっついたような奇妙な生物について何か知っておるかと思ったが、こやつは知らんの一点張りで何も言わなんだ。いたぶるのはもう飽きたしのぉ」
「おまえも見たのか、あの混合生物を」
「ああ。近くにいた魔獣どもがいとも容易く屠られていたのでのぉ、少々腹が立って、前脚をちぎり捨てて投げてやったわい」
愉悦に染まりきった笑みが、ふと疑念の色に変わる。
「貴様は何か知っておるのか」
「さあ……でも、これから調べるつもりだ。どうだ、もう一度こちらの軍配にくだらないか? キスミルの知的好奇心を満たせるだけの話題を用意するつもりさ。昔みたいに」
「あっはははははっ!! その面白い発言に免じて、とりあえずこの娘の体は返してやろう」
放り投げられたエルリアを、ベルティスがキャッチ。
そこに「じゃが──」と、棘が伸びる。
「これから殺す予定じゃがな」
「──重力波」
練り続けていた冰術を解放。
一ヶ所集中型の重力波がキスミルの背中を潰し、ボールのように地面に叩きつけられて跳ねる。骨が折れたが、近くの土をより集めて再生した。
間髪いれずにベルティスの氷槍が急襲。肉の飛ぶ音と再生するスピードは互角、重力で潰しても地面に逃げ込まれればキリがない。
「フルーラ、エルリアを頼む」
「分かってるよ。アタシはもう引退済みの賢者だ、後方支援と回復役に努めるさ」
フルーラが下がり、ベルティスが前へ。
少女の笑い声とともに土色の棘が先端をもたげる。生き物のようにうごめき、大口を開けて大樹根元を襲う。近くにいたセシリアとユナミルが、互いを抱き締めているのが確認できた。
「戦うのなら僕だけに絞れ。本気で消すぞ」
「消す? 主よ、なにをバカなことを言っておる。いまの貴様に妾を殺せる力はない」
地面のなかを移動していた影が、土煙からゆらりと這い上がってくる。そこから大量の棘と精神汚染系の障気が溢れ出ていた。
「このキスミルと互角以上に戦えるのは千年前に実在していた大賢者だけ。いまの貴様はただの賢者ほどの力しか感じぬわ。しごく滑稽、そして不愉快。──妾より弱い存在に指図される覚えはない」
「ならば力ずくで従わせるまで。千年前から魔獣の調教には心得がある。まずは痛みで分からせる」
「面白いことを──」
声音が途切れる。
彼女を中心に、計八個の冰術が発動。彼女を取り囲むように光が走り、特大の八芒星を作り上げていく。フルーラの設置型冰術は賢者界ナンバーワン、一度起動してしまえばキスミルも地面に逃げ込めない。
「あの女、初めから用意してッ!!」
続いて氷の蔓が襲う。
四肢に絡み付きながら、じゅうぅ……と肉体を溶かしていく。
「よそ見しない。まずは腕を一本」
「この体がどれほど傷付こうが、妾には虫に刺されたほどにしか感じぬ、あ────ッ!!」
声にならない絶叫。
キスミルの腕から力が抜ける。
さもありなん、あのフルーラの冰術は対キスミル用に作り上げられたものだ。人間よりも鈍い彼女の痛覚を抉り調教できるように設定されてある。
「エルリアはセシリアの唯一の血縁者だ。セシリアに悲しい想いをさせるな」
「……ずい……ぶんと…………人間……くさいことを言うようになったの…………人間風情が、調子に乗りよってッ!!」
設置型冰術による紫の鎖が、キスミルの体を縛り付けていく。
続けて、上空で作り上げられた極大の八芒星型冰術印。
ぞっ……とするほどの、氷の匂い。
「堕ちろ」
世界最強と謳われた大賢者の術が、千の槍とともにキスミルを凍てつかせた。
「今さらもう遅いが、一応言っておく。
忘れるな、僕がおまえの主様だ」