Episode070 魔獣狩り(1)
「──《狩り》?」
「狩りは狩りでも、ルークスに代々伝わる魔獣狩りです。公爵の一員として認められる正式な儀式で、本来であれば16歳で執り行うものなのですが……なにせ私は引きこもりでしたので、狩りの練習にも参加したことがないのです」
あれから、シャロンはたびたび702階層の屋敷に来るようになった。特別に凝った話をするわけでもなく、ただ一緒に過ごして会話を楽しむ程度。六回目の本日は、シャロンがベルティスに狩りの参加を提言してきた。
「話はだいたい分かったけど、僕はまだシャロンさんと結婚するとは言っていない。部外者が大切な行事に参加できないよ」
「当主様直々のお願いです。どうか」
「ジースリクト様、か」
脳裏に浮かぶのは、大地を割るような派手で豪快な冰術を使う御年60超えの男だ。今回、彼女との縁談を強引に推し進めている一人であるとベルティスは聞いている。
「もちろんベル様の意思を尊重したいのですが、実は私、昔から魔獣というものがどうも……」
「だから僕も参加してくれっていう話か……。シャロンさんと僕を結婚させたい人は、よほど根回しが上手いとみえるな。断りにくくなった」
「ごめんなさい、こんな……ベル様の温情にすがるようなやり口で……」
「シャロンさんが謝ることじゃないよ。……でもそうだな、とりあえず内容を聞こう。公爵家の伝統行事というものに興味がある」
狩りは510階層にある大森林地帯で行われる。フィネアネス皇国では珍しい大型の魔獣が自然発生する場所で、そこに生息する白鹿、あるいは白狼を冰術で狩るというもの。白鹿なら三匹、白狼なら一匹狩れればいいそうだ。
この通過儀礼を行わないと、一人前と認められず結婚もできないのだという。
「参加といっても、僕がシャロンさんの代わりに狩るわけじゃないだろう?」
「もちろん! ベル様は私の隣で見てくださればいいんです!!」
「冰術が使えるのか?」
「銃で撃ち抜きます! 狙撃が得意なんです!」
狙撃のポーズをするシャロンに、臆する様子はない。よもや魔獣相手でも扇を手放せないのかと思っていたが、そうでもないらしい。
断る理由もないため、その狩りに参加しよう。短くそれを伝えると、シャロンは恥ずかしそうに扇で顔を隠しながら微笑んだ。
「ありがとうございます。ところで話は変わるのですが、悪夢を見なくなる方法ってありませんか? ここ最近、変な夢を見るようになってしまって……」
「夢? 専門外だからあんまり分からないけど、どんな夢なの?」
「夢の中で魔女が出てくるんです。その恐ろしい魔女が、うらみがましい声で『いま必死にやっていることを止めないと三日以内に死ぬ』とか『そのうち不幸なことが身内に起こる』とか言ってきて……私、怖くて仕方なくて」
──なんかインチキくさいな……。
夢の内容をしっかり覚えていること、毎日のようにその夢を見てしまうこと。そこから導き出せるのは──
「シャロンさんって寝るときにアロマか何か焚いてる?」
「最近は人前に出る機会が多いので、安眠を促すアロマを…………。そういえば今使ってるアロマは、目新しいものでした。まさかソレが……?」
「そのアロマを嗅ぐことで悪夢を見るようになったんだ。ちなみに聞くけど、その魔女の特徴は覚えてるか?」
「ええと……シルエットですが、かなり胸の大きい方でしたね。顔は黒い靄のようなものがかかっていましたが、髪の毛が長くて……あと、自分のことを麗しの師匠とかアタシって呼んでました」
「悪い、それフルーラだ」
「え?」
「ちょっと今から行ってくる。シャロンさんはここにいてくれ」
シャロンを部屋に残し、さっそく麗しの師匠のもとへ。
この屋敷においてフルーラは、もっとも日当たりの悪い北側の部屋を陣取っている。いつもなら部屋の中で自分の延命措置と若作りの研究をしている彼女だが、今日だけはなぜか、扉を開けた目の前に立っていた。
「やあベルティス。アンタからアタシのところへ来るなんて珍しいじゃないか」
「なぜこんなことをしている」
「うん? アタシも歳だね、全然聞こえないや」
「この縁談の決定権はすべて僕にある。あなたが妙なやり方で邪魔をする権利も筋もないはずだ」
フルーラの茶化したような笑みが、魔女らしい三日月型の笑みに変わった。
「あるさ、大いにあるね。アタシは今も昔も、それこそ千年前からアンタの師匠だよ。弟子の面倒をみない師匠がどこにいるっていうのさ」
「あなたは一人前の《賢者》として僕を認めてくれたはずだ。もう子ども扱いしないでくれ」
「ならば今すぐルークスの縁談をばっさり切りな。今ならまだ間に合う、いま断れば何も、誰も傷つかずに終わるってもんだよ」
ベルティスはまだ、シャロンと結婚するかどうか決めていない。確かにこの縁談は魔貴公爵当主からお願いされたもので、断り辛い一面がある。だが拒否できないわけでない。
拒否するだけの正当な理由がないってだけだ。
「傷つくっていうのはどういうわけか、教えてくれないか。結婚反対派の動きのことか?」
「アンタ、千年前死んだこと覚えてるかい?」
「なんだ急に……千年前? 前世の記憶ならあるさ、当たり前だろう」
「アンタが早死にした理由はなんだって聞いてるんだよ」
フルーラは苛立ちにまかせて、ベルティスの胸倉をつかんでいた。
しばしの沈黙のあと──
ぽつりと申し訳なさそうに、かつての大賢者は呟いていた。
「……力の使い過ぎ」
「そうさ、覚えてるだろう? アタシは見てたよ、アンタが力の酷使で灰になるサマを! アタシの一番弟子が黒炭にみたいに干からびて死んでいく様子を、目の前で眺めてたさッ!」
誰しも、平等に死は訪れる。
ただ、大いなる存在は意外にもあっけなく死ぬことがある。力の酷使による自滅。そう、意外にもそうなのだ。世界の大賢者の最期は、伝説の魔獣と死闘の末の戦死でもなければ寿命による衰弱死でもない、単なる自滅だ。
大賢者は偉大だった。
偉大過ぎたが故に、世界中の人間に頼られて力を酷使し続けた。
そんなものだ。
「アンタはそれで学んだはずだね、貴族や皇族と関わると寿命を縮める。いいかい、アンタの冰力量は人間という種族に収まる量じゃないんだ。使い過ぎれば身が持たないよ」
「でもそれは、動乱の時代だった千年前の話だよね。師匠、今はそんなことにはならないよ」
「……保障なんてないさ」
掴んでいた服から手を離し、フルーラは疲れたようにうなだれる。イスに腰かけて、麗しの師匠は自嘲げな笑みを浮かべた。
「アタシはね、もう二度と弟子に先立たれたくないんだよ。分かるかい、自分が息子同然に愛情込めて育ててきた弟子が、アタシより先に干からびてくのさ。耐えられないよ、正直……」
「フルーラ……」
その気持ちは、セシリアを育ててきた今だからこそ理解することができた。
フルーラはただ、魔貴公爵家との付き合いで弟子を失うことを恐れている。
「稀代の女賢者も、歳をとると弱くなるもんだね。心配性は度を越すと病気だよ?」
「……愚弟子が。分かってるならアタシの言う事を聞きやがれ」
「ムリだよ、だってまだどうするか決めてないから」
でも、フルーラの心配は分かったつもりだ。それを踏まえたうえで、自分のなかでしっかりと決断しようと思っている。
「でも、これで諦める師匠じゃないでしょ?」
「よく分かってるじゃないか。そうだよ、少なくともアタシはルークスの《天の使徒》が妙なことを画策してる限り、この縁談には反対さ」
「……。肝に銘じておくよ」




