Episode068 病弱体質
「もう元の姿に戻ってくださいませんか。こちらのベル様も、私にとっては新鮮で嬉しいことなのですが、七年ぶりにベル様のお姿を見てみたいのです」
シャロンの言葉に、冗談は感じられない。
彼女はこちらの正体を見破ったうえで、元の姿に戻ってくれと言っているのだ。
「一つ、聞きたい。ボクが本当は女じゃないってどうして分かったのかな。この見た目で騙されなかった人間はいないんだ」
「女性を完璧に真似るのであれば、一つだけダメだった部分がありますね。ベル様、イスに座るときスカートの裾を気にしませんでしたね? そのような短いスカートで裾を気にしないレディなどいないんですよ」
あぁ……確かに気にしていなかったかもしれない。
「それに、姿はどうであっても冰力の『形』は人によって様々。一人たりとも同じ形を持つ人間はおりませんから」
「それってまさか……スキル『花心眼』?」
冰力には、形があるということが分かっている。いわゆる遺伝子と似たようなもので、一人として同じ形がない。専用の法具以外では、鑑定スキルの上位互換スキルや花心眼と呼ばれるスキルで発見することができる。
ただ、花心眼は不必要な固有スキルといわれる。
このスキルは、『花心象』と呼ばれる精神系スキルと併発しやすいためだ。
「相手の感情を無意識に感じ取ってしまう厄介なスキル、花心象。操ることができれば交渉術の一種として使用できるけど、心の弱い人間は鬱や対人恐怖症といった厄介な精神病も生み出す」
「さすがです、ベル様」
シャロンが対人恐怖症なのは、その感受性の強さにあるのだろう。
「こちらが答えてばかりですね。どうか、ベル様も」
「そうだね……」
元の姿に戻る。
ベルからベルティスへ。
身長も見た目も声すらも男だ。男が怖いと言っていた彼女に、泣かれてしまうも覚悟のうえだった。けれども、シャロンは口もとに扇を当てただけで飛び上がることはしない。愛おしい人に再会したかのように、大粒の涙をこぼしていた。
「この時をどれほど、どれほど待ちわびたことでしょう。こうして再びベル様にお会いできたことを、たいへん光栄に思います」
感極まった声だった。
「ベル様、もう一つお願いを聞いてください。少しだけ、屈んでいただけますか」
「こうか……?」
ぐいっと首に腕を回される。
シャロンの顔が一気に近づいて、なにか柔らかいものが口に触れた。
ただ、自分からキスしたことが恥ずかしかったのか、彼女はすぐ離れて、耳まで真っ赤にしている。正直、こちらもどう反応を返せばいいのか分からない。
「あぁ……やってしまいました」
扇に顔を隠して悶絶するシャロン。
でもそのあと、扇から顔を上げてこっちを見つめてきた彼女は、少しだけ愛らしくみえた。
「ベル様は、私みたいな病弱で気の弱い女など興味ないかもしれません。だから、忘れてしまったのかもしれない。……そうですね、恋人だと思っていたのは私だけだったのでしょう。優しいベル様が、私のわがままに付き合ってくれただけですから」
「悪い、シャロンさん……ちょっと思い出せない」
こんなによく泣いてしまう女性、会っていれば必ず印象に残っているはずだ。
でもいま、申し訳ないくらい思い出せない。
怒られる、あるいは呆れられると思ったが、シャロンは笑っただけで追及の手は伸ばさなかった。
「……。ここは、他の人の目が気になります。人気のない場所に行ってもよろしいですか」
震えてる……?
扇で顔を隠しているものの、肩が微かに震えている。また泣きだしてしまうかもと思ったが、彼女は辛抱強く耐えている様子だった。
「……ごめんなさいベル様、少しだけ寄りかかってもいい……ですか?」
「いいよ」
ひどく憔悴している。人酔い、あるいは極度の緊張の反動か。
彼女を人の少ない場所に移動させよう。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
「その状態で話せるのかい? 確かに聞きたいことはたくさんある、でもその前に君に倒れられたらシャレにならない」
このまま家に帰るか。
簡潔にそれを伝えてもシャロンは首を横に振った。
「いいえ、話させてください。……お願いですから、もう少しだけベル様とデートを続ける理由が欲しいんです」
ここまで言うのであれば、強くは言えない。
満足するまで話してもらおう。
「七年前のことです。まだ14歳だった私は、花心象の影響で今よりもひどい対人恐怖症を抱えていました。五本の指に入る程度の人としか接することができず、万が一にでも、知らない人に出会ってしまった場合、恐ろしいことに……」
「気絶していたのか」
「はい。当時はたんこぶ姫と蔑まれていたほどに、たんこぶの絶えない毎日でした」
たんこぶ姫……。
「穀潰しの無能娘……私のもう一つの異名です。たんこぶ姫のほうが幾分か幼稚で可愛らしさがあるでしょう? 人との接触を極度に嫌ったが故に、公爵の娘としての誇りを忘れた娘、そういうレッテルを張られてしまいました」
魔貴公爵家は、他の公爵家よりも血を重んじる。強い冰力使いは遺伝しやすいといわれるため、血統を守っているのだ。分家であれルークスと名乗る人間には相応の能力が求められる。
ただ、この遺伝は絶対的なものではない。
シャロンのように、ロクなスキルに恵まれない人間もいる。
せめて政略結婚に使えるかといえばそうでもない。シャロンは対人恐怖症だ。家中での立ち位置は落ちるばかりだろう。当然、イヤな噂などもあったはずだ。
「両親からも疎まれ始めた私を……闇の底から救い出してくださいましたのは、他でもなくベル様です」
少しずつ、思い出してきたような気がする。
七年前といえば、まだ15歳のときだ。
「もしかして、あのときか? 僕の両親が出席した法具の制作発表会。確かにあのとき、僕は親と一緒にルークスの研究室に行った」
「そうです。……私はそこで、ベル様に出会い……優しくしていただきました。私はすぐ泣きだして気絶したというのに、ベル様は見捨てず介抱してくださいました……」
「いや……ふつう、目の前で気絶されたら放っておかないだろ?」
「ベル様の常識ではそうかもしれませんが、我が家では違います!! 私がどこで気絶していようが、家の者は一切気にしないんです!! ええそう、なんたってたんこぶ姫なんですから!!」
お、おう……そうか。
「私はそのとき、ベル様の優しさとベル様の冰力に触れました。大輪の花の形をしたベル様の冰力に、一目惚れしてしまいした。気高い氷の花。誰にも靡かず折れない尊き一輪。……この人は、私が憧れたお伽噺の賢者様のようだと、当時は思っていました」
「ずいぶんと買いかぶられたものだね。僕はそんな大層な男じゃないし、言われるほど優しくした覚えはないよ」
「いいえ。だってベル様、そのあと何回か私のもとに通ってくださいましたもの。……この思い出は、私の宝物です」
「でも、それで恋人っていうのは違うんじゃないか?」
「恋人です。少なくとも、私にとってベル様は最高の恋人です。夢見がちだった乙女の夢、一度でもいいから恋をしてみたい。そんな私のわがままを、フリでもいいから恋人役をしてほしいわがままを、ベル様は受け入れてくださいました」
つまるところ、恋の疑似体験だ。可憐な乙女の夢。男のひとは怖いけれど、恋をしてみたいという憧れ。
「ベル様だけが、隣にいてほしいと思えた男のひとなんです。だから、…………私にとって、ベル様は恋人だったのです。……たとえベル様が、私のことを……何とも思って、いなくても……」
シャロンの体が大きく揺らいだので、そっと受け止める。
気絶している。
さきほど震えていたから、もう限界だっていうことだ。
「……今になって思い出した……」
虚弱体質のルークス家ご令嬢。
確かに自分は、七年前にシャロンに会っている。




