Episode066 臆病娘は21歳独身
扇をそっと外し、彼女の顔を確認する。
金髪というより栗色に近い。顔立ちは美しく、まさしく貴族の娘という風貌だ。彼女を案内したローレンティアに聞くところによれば、彼女は21歳なのだという。
シャロン・フリーゼ・ルークス。
さきほど壁に向かって平謝りを繰り返していた彼女が、エルリアとの話で登場した縁談の相手。さきほど気絶してしまった。うなされているのか、しきりにごめんなさいを繰り返している。
……誰に謝ってるんだろう。夢の中まで謝るとは、なかなかすごい恐怖症だ。
「……うぅん」
シャロンが目を開ける。もちろん、真上にいるのはベルだ。
「起きたかい? 後頭部を打ち付けたんじゃないかと思って心配したよ」
「はい、さきほどはどうも失礼しました……ぁああ!? ど、どどどどどうして私、ひ、膝枕なんてされてるんでしょう!?」
「……そんな脊髄反射的に離れないでよ」
「ご、ごめんなさいついっ!」
彼女、かなり他人にペコペコしている。
いくら分家とはいえ家はあのルークスだ。使用人にまで敬語とへりくだった態度というのは、貴族の淑女としてどうなのだろう。
さらにこちらは女、つまりシャロンと同性だ。同性でもこの臆病ぶりなら、結婚など到底無理だろう。彼女はよく、ベルティスなどという知りもしない男との結婚を了承したものだ。
「申し遅れました」
そこで、まずはこちらから挨拶。
当家の使用人として完璧なふるまいをしなければならない。
「エルマリア家に仕えております、ベルと申します。こちらは同じく使用人のローレンティア。さきほどは、こちらこそ不相応な振る舞いをしてしまい、申し訳ありませんでした」
対応をみたシャロンは、少しだけ冷静さを取り戻したようだ。
扇から目だけ覗かせて、
「こちらこそ、ご挨拶が遅れてしまい申し訳あ、ありませんっ。私はシャロン・フリーゼ・ルークス。このたびはエルマリア家の当主様に、ちょ、直接ご挨拶に伺うべく参上いたしましたっ!」
よく言えました。
思わず褒めて頭を撫でたくなる。子犬オーラ満載、尻尾があったら全力で振ってるだろう。
カチコチに緊張しているが、要領の掴めた返答の仕方だ。ただの引きこもり娘かと思っていたが、いかんせん普通に貴族としての振る舞いはできるらしい。
……なぜか、シャロンが泣きだした。
「ぐすん…………やっぱりその様子では、縁談の話は貴家には伝わっていないのですね」
「うん、まったくそういう話は来ていないよ」
ずるずるずるっ、ずぴー。
「私の無能さゆえの過ちです。私が、丹精込め、三日三晩かけて親書をしたためましたのに…………きっとまた、私の結婚を良しとしない悪しき人々の図らいなのですねっ!!」
出るわ出るわ大量の涙。すする音はおそらく鼻水。
ちょっと可愛そうになってくる悲惨さ。捨てられた子犬オーラをものすごく感じる。
「どうしましょ、また叔父様に怒られてしまいます!」
泣くな。
「やっぱり私は、嫁にもいけず家の偉業を盾にしても誰にも見向きもされない無能な女……いえ、女にも扱われない豚同然の存在なのですっ」
だから泣くな!
「えと……とりあえずハンカチ。ローレンティアのだけど」
「ありがとうございます……。私のような卑しく醜い雌豚のような存在にこのような純白の布地を貸してくださるなんて…………女神は誠に存在致しました」
ただのハンカチだよ?
「ああ……白い布が汚れていく。ごめんなさい、私のせいで……私の涙のせいで」
「うんそろそろ本題に入ろうかシャロンさんさすがのボクでも我慢の限界だよ」
その瞬間、止まりかけていたシャロンの涙がじわーっと発生。……泣くな、お願いだから泣いてくれるな。
結局、シャロンの涙が止まるまで三十分以上かかった。
「なんだろ、どっと疲れが…………」
「ベルお嬢様、ファイトでございます」
「できれば10秒以内にボクの代わりを務めてくれると助かる」
「無理です」
「一秒返答ありがとう。──よし、気合入れよう」
顔をパチンと叩き、気合を入れ直す。ローレンティアの助けが借りられないことくらい分かっていたことだ。どのみち、この縁談の話は自分が決断しなければならない重要案件。いまはベルとして、彼女に接するべきだろう。
場を応接室に移した。
ローレンティアにはリラックス効果のある紅茶を淹れてもらい、シャロンにそれを飲ませる。涙も鼻水も収まったところで、本題に入った。
「まずは、当主と魔貴公爵家……すなわちシャロンさんとの縁談、これについては本当なのかい? 正直、ボクは今でも根も葉もない噂だと思ってる」
「これは、公爵家当主様のお考えを汲んだ結果です。ベルティス・レオルト・エルマリア様と、私、シャロン・フリーゼ・ルークスの結婚。このお話はあくまでも、ベルティス様の婿入りを前提に進んでいます」
「エルマリアの名前を捨てろ、と?」
やばい、きつく言い過ぎたか。シャロンがまたウルルンしている。
「ですから、相応の対価も存在しますっ。と、特に魔貴公爵家直轄の研究機関《天の使徒》の研究室の視察や、それ相応の役職に就ける可能性がある話です。フリーの研究者であらせられるベル様には、悪くない話だと思っております…………あれ、ベル様が二人?」
そこでシャロンも、ようやくベルという名前の人物が二人いることに気付いたようだ。一人は目の前にいるベル、もう一人はシャロンが思い描いている結婚相手のベルティス。
ちょっとややこしかったかもしれない。
「ボクはベル。名前は似てるけど、当主とは何ら関わりのない使用人だよ、気にしないで」
「……──ああ、やっぱりベル様でしたか」
「いまなんて?」
「いえ。そ、そうなんですね、名前が似ているとちょっとややこしいですねっ!」
なんだろう、彼女……。
……もやもやする。
「今日は簡単な挨拶だけで帰ります。出直してきますね」
「本当に今日は当主と会わないの?」
唾を呑み込む。当主と会う、すなわち元の姿に戻って彼女に会うということ。彼女を引き留めるためにとっさに出た言葉だ。深い意味はない。
「ベル様には会えましたので、本日は帰ります」
それ、どっちのことを指しているのだろう。
あぁダメだ、考えてもなにも分からない。
行動を起こそう。
「いま、ひま? いや、今すぐじゃなくてもいいけど、暇な時間ある?」
「今すぐはムリですが……一週間後くらいなら……」
「ならボクと付き合ってくれない? 結婚を最終的に決めるのは当主だけど、使用人の立場から君のことをもっとよく知っておきたい。ついでに君のその対人恐怖症、少しはマシになるかもしれないよ?」
どうだ? 理由としては充分だと思うが、彼女が本心から怖がっているのなら断ってくるだろうか。
「ベル様の申し出とあれば、よ、喜んでお伺いしますっ!」
……ああ、最高にいい笑顔だ。




