Episode062 狼の遠吠え
レベッカとルワンダの戦いだが、一見するとルワンダが押しているようにみえる。野太刀を振り回すスピードは中々に速く、レベッカは防戦一方だ。
モドリーヌ卿を守らなければならないセシリアは、それを横目で眺めることしかできない。
「早く、そんな女殺してしまいなさい!!」
高みの見物。安全な場所から叫んでいるのは花嫁だった。ちょっぴり腹が立ってしまい、睨みつけてやる。「ひっ、ケダモノ!」って……どっちがケダモノだ。実際に戦っているルワンダもそうだが、そんな彼女に殺せと命令するアミラーズも中々にひどい。
ウエディング衣装には申し訳ないけど泥でもぶっかけてやろうかしら。自分が好きなのはウエディングドレスなのであって万が一でもあの性悪花嫁じゃない。大事な花婿が大怪我をして、一瞬でも彼女を可哀想などと思った自分がバカみたいだ……。
セシリアはかぶりを振り、再びレベッカとルワンダの戦いに注意を向ける。今しがた、垂直に振り下ろされた野太刀をレベッカが避けたところだ。レベッカの動きには余裕がある。防戦一方と表現したが、ある意味では主導権を握っているのは彼女だ。
「まさか、レベッカさんが逃げ続けてる理由って……」
ルワンダの野太刀が横殴りに振るわれる。腰を落としたレベッカは一歩踏み込み、ルワンダの右腕を掴んで足払いをかけた。そのまま見惚れるような格闘技を仕掛け、地面に叩き伏せる。
「調子に……乗るな小娘がァア!!」
なんとルワンダは握りしめていた野太刀を逆手に持ち替え、寝返りの要領で一薙ぎ。だが空を切る。いつの間に立ち位置を変えていたレベッカは、ドレスのスリットから伸びる美脚を伸ばし、これまた見事な足蹴をかました。
ルワンダが吹っ飛び、野太刀が手から離れる。
「なんで……この、私が……おまえなんかにッ!!」
「あら、竜殺しともあろう方が気付かなかったのかしら」
腹を押さえるルワンダの顔が、屈辱に歪む。
「なんですってッ!? 田舎者が……盗賊あがりがこの私にッ」
「あたしはあんたを殺すためだけにッ、この八日間モドリーヌ卿の近くにいたのよ。当然、殺す前に何か仕込みをするのは当然じゃなくて?」
「お、おまえ……ェエエ」
「教えてあげる。あんたが今日食べた料理に、冰力の流れを悪くする薬を仕込んだ」
「でもッ!! それだけじゃこんなことになるはずない!! こんな、おまえごときに私が後れを取るはずッ──」
ルワンダの長い髪をレベッカが掴み、持ち上げた。
「あんた、冰力量が多くないそうね。だから竜を殺す日は無駄な冰力を消費するようなことはしない。でも今日、あたしと戦う前にあんたは何をしてたの?」
「まさかおまえ、わざとッ!? 私が治癒冰術を使うことを見越して、モドリーヌ様に怪我を負わせたというの!?」
「そうよ」
人間には、冰力の絶対量というものが存在する。
スキル『武装』『身体強化』でも例外なく冰力を使用するが、おそらく武人のルワンダなら、そのあたりの調整くらいできるはずだろう。でも治癒冰術は? 慣れない治癒冰術に余計な冰力を使わせれば、あとは相手が冰力切れを起こしてくれるのを待つだけでいい。
「だからレベッカさんは逃げることに徹していたんだ……まともにやり合えば負けることが分かってたから」
すごい。
彼女は、自分のステータスを分かったうえで格上の相手に勝ったのだ。人によれば卑怯だなんだと言われるかもしれないが、それでもここまで考えが及ぶ彼女の執念がすごい。
「だからね────死んで」
死の宣告に、ルワンダの顔が恐怖に凍り付く。
いつのまにかレベッカは、ルワンダが取りこぼした野太刀を片手で持ち上げていた。あんなもので斬られたら、確実に死ぬ。セシリアはとっさに斬撃波を飛ばそうと剣を引き寄せるが……──
「アァアアアアアアアア!!」
どこからか、少女の叫び声。
断末魔のような声音にさしものレベッカも動きを止める。乱暴にルワンダの頭を投げ、その声の主に視線を送る。
「…………イタイ。イタイ」
少女は、呟きながら歩いていた。
ただ見た目が異質。左半身に黒い影のようなものが纏わりつき、動くと空気のようにユラユラ揺れている。
「イヤだ。みんな嫌い。みんな大嫌い。みんな、わたしのこと……そんな目で見る…………そんな目で見ないでよ。イヤ、イヤイヤイヤイヤぁあ!!」
泣く少女の近くで、百近い影がフッと湧き出た。地面から芽を伸ばすように現れたソレは、狼になり損ねた黒い獣。目と思われる部分には穴がある。口を開けば、ヘドロのような嫌な匂いがあふれ出す。
「なに、モドリーヌ卿は竜以外にあんな化け物まで飼ってたの? ルワンダ、あんたの仕業!?」
「し、らないわよ……私だって」
「じゃああれはなに!?」
レベッカはそこで、上空で待機させていた飛竜四頭に指示を出した。あれはまずい、やられるまえに飛びかかれ、と。しかし四頭中三頭は怯えきって動かない。勇気を振り絞って突撃した一頭も、黒い影獣に噛みつかれて地に落ちた。
「うわぁああああ!?」
飛竜を操縦していた盗賊団の情けない声。飛竜は再び飛び上がろうともがくが、そこへワラワラとニ十匹近い獣が群がる。ぶちぶち……ッと肉が裂かれる音は、飛竜なのか盗賊のほうなのか。
あまりの突然のことで、とっさにセシリアも行動を起こせない。
「ラミー、まさか首輪を外したの!?」
泣き叫ぶラミアナの首に、ビーチェが作ってくれた法具がない。自分で外してしまったのだ。近くにあるのだろうか? さっと周りを見て、首輪を発見する。
──ラミーはまた、裏笛のせいでおかしくなっちゃったんだ。あの首輪をつけてあげれば。
「レベッカさん! ここにいるモドリーヌさんをお願いします、リアがこの子を止めます!!」
「せ、セシリアちゃん!? ってかそれ、敵のあたしに頼むことなの!? いちおー、あたしモドリーヌ卿のことも殺したいくらい憎んでるんだけど!?」
「レベッカさんが優しくていい人だってことくらい知ってます!! 今この状況なら大丈夫だと信じてます!! だから!!」
わき目も振らずセシリアが駆け、首輪を拾う。
そのままラミアナのもとへ。周りにいる獣がこちらに気付き、襲い掛かって来た。ツヴァリスの冰剣を抜き、振るう。スキル『武装』を施した剣ならこの獣を倒せる。ならばこのまま!
「ラミー、目を覚まして!!」
ラミアナの胸に飛び込むと、勢い余って地面に倒れる。かなり暴れん坊のじゃじゃ馬だ。噛みついてくるわ引っ掻いてくるわ、とにかく本気で嫌がっている。でも、彼女には抑えてもらわないといけない。
「お兄ちゃんは厳しい人なの!! もし、もしもよ、ラミーが自分のことも分からなくなって、周りの人を傷つけるようになったら、閉じ込められちゃうかもしれないんだよ!? そんなの、リアはゼッタイにイヤ!!」
こんなに暴れられたら首輪をつけられない!
「がぅるるる……!!」
「だからリア、大人しくして!! 一緒にお肉食べよう、一緒に走りまわろう、一緒にお兄ちゃんにお説教されよっ? どんな厳しいお仕置きをもらっても、リアも一緒に受けるよ! だからラミーっ!!」
「……イヤ……っ」
頭を振り、ラミアナがセシリアを突き飛ばそうとする。でも、セシリアはラミアナにしがみついた。意地でも離れてやるもんか!! そんな気合でぎゅうぅと抱きしめる。
その途端、ラミアナの周りに囲っていた百匹の影が、一か所に寄り集まった。
巨大なヘドロ狼だ。
遠吠えのような鈍い雄たけびをあげた狼が、セシリアに向かって爪を伸ばす。
来るはずの衝撃に、セシリアがぎゅっと目を瞑る。
「────解放」
どこかで、腕輪が粉々に砕ける音が鳴った。
男の声音に反応し、空気中に存在するありとあらゆる水が氷結。みるみるうちに二本の巨大な氷柱と化す。
「心象は槍。条件は任意。硬度を万年冰力層同等のものと規定する。
《巨 神 の 双 神 槍》」
巨大な狼に向けて。
「──穿て」
直後、鼓膜を突き破るような爆音と零下の爆風が吹いた。巨大な狼はヘドロを吐きながら消滅し、それにつられたのか、ラミアナの体から力が抜ける。
「その子は、本当に世話の焼ける猛獣だよ」
セシリアの目の前に──
砕け散った金の腕輪を握りしめ、苦笑いをするベルティスがいた。