Episode059 動き出す事態
レベッカがビーチェに想いを寄せていることなど、セシリアにはお見通しだ。むしろレベッカは分かりやすいほうだと思う。
「アイツ、ヘタレなのよね……」
「そんな顔してます」
「あたしが告白してあげたら、アイツ、俺には借金があるからって頑なに受け入れてくれなかったの。俺と一緒にいたらビンボーになるから、おまえは自分の家業を継げって」
彼らしいといえばそうなる。
半年前に大損して、職人の命である工房を奪われた。仕事もなくお金のない惨めな自分と一緒にいれば、レベッカに迷惑がかかると思ったのだろう。彼は気弱だからこそ優しいのだ。
「アイツ、弱腰男にすごく感謝してるわ。工房を取り返してくれただけじゃなく、稼いだお金までアイツにやってくれた。おかげで……アイツは自分の夢を叶えるために、一歩前進できる」
「お金をためて高等教育を受ける。そしてレベッカさんそれって、ビーチェさんが皇国に戻るってことなんじゃあ……」
「そうなるわ」
「でも、ビーチェさんは借金があるからレベッカさんの告白を断ったんですよね? これで借金がなくなったら、レベッカさんがビーチェさんのあとを追いかければいいんですよ!」
レベッカは、あまり嬉しそうな表情をしなかった。
「ムリなのよセシリアちゃん」
「どうしてですか? レベッカさんはビーチェさんのことが好きなんですよね? 離れたくないんですよね? だったら──」
「事情があるの」
レベッカは骨細工の首飾りをそっと撫でた。物思いにふけった表情であるが、なにを考えているのだろう。セシリアに想像できるのは、それが何か彼女の中で重要なことである、ということだった。
◇
そして、結婚式は厳かに執り行われた。
ウエディングドレスに包まれた新婦アミラーズと父親モドリーヌ卿の登場。厳かな雰囲気の音楽が鳴り響き、二人はゆっくりゆっくりと進み出る。向こうで待ち構える新郎ジェームズが、やや緊張の面持ちでアミラーズを見守る。
結婚式は最後まで問題なく進んだ。新婦はお色直しで一度引っ込み、そのあいだ招待客は教会から中庭へと移動する。中庭にはモドリーヌ卿に仕えるシェフたちが料理を用意してくれている。
とんでもなく美味しそう……!
「ラミー、お肉だよお肉!!」
「おにく……!!」
静かな声で興奮しきるラミアナ。
巨大な肉を焼くショウを見せてくれたのは長身の男性シェフ。余興さながら、パフォーマンス仕込みのステーキショー。鉄板に肉を置き、リズミカルに塩コショウを数振り、可燃性のある液を流してファイヤー。
観客が拍手を送り、セシリアも自分の周りに人が集まっていたことに気付く。
シェフは全く無駄のない仕草で、肉を裏返す。回数は少なく、手際よく。あっという間に肉ができあがり、セシリアとラミアナは喜んでお肉にかぶりついた。
テーブルマナー? そんなの願い下げだ。
「美味しいねーラミー」
「うん……っ」
お腹も満たされたところで、ハッとする。そういえば自分は、モドリーヌ卿を守るように言われていたのだ。のんきに肉など食べている場合ではない。
「こうしちゃいられないわ、すぐモドリーヌさんを探さないと!! ラミー行くよ!!」
「あむあむむむ……」
「いつまで食べてるの!?」
「あむむ!? の、のどにつま……っ!」
「狼なんだから噛みちぎれるでしょ!?」
「うん。……ごっくん。べりーでりしゃす」
セシリアに引きずられながら焼いてれたシェフにそう言うと、シェフはにっこり笑って手を振ってくれる。ラミアナもぎこちないながらも手を振り返す。
ついにセシリアは、見知った女性と談笑するモドリーヌ卿を発見した。その向こうには七頭もの養殖竜がお行儀よく座っている。いつのまにこんな大きな竜が運ばれてきたのだろう!
セシリアは声を挙げて竜に近づこうとしたが、ラミアナにぎゅっと腕を掴まれて止められる。金髪の少女はふるふると首を振っていた。
「あの女がいる……!」
そういえば、さっきもそんなことを言っていた。
あそこにいるのはルワンダ。さきほどルワンダからイヤな匂いがするとラミアナは言っていた。女の勘……いや獣の本能だろうか? しかしセシリアには、そのイヤな匂いとやらをまるで感じなかった。
「イヤな匂いってなに?」
「……。竜の匂い……」
竜の? この屋敷の中庭には、モドリーヌ卿が連れてきた七頭もの巨大な竜がいる。その匂いではないのか。ラミアナは是とも非とも言わず、鋭い犬歯を見せながら小さく唸った。
「……血……」
「血? ルワンダさんは怪我してるの?」
「違う。……竜の血、血の匂いがあの女からする。だから、危険」
いまいち要領をえない回答である。
そうこうしているうちに、ルワンダとモドリーヌが養殖竜から離れた。入れ替わりにピエロのような恰好をした男が壇上に立ち、笛を構える。竜の里でも見かけた竜を操る笛だろうか? 竜の里でみたような《二つの口がある》笛ではなく、ふつうの細長い笛だ。
竜飼いが笛を吹く。竜がパフォーマンスを始めた。
「お兄ちゃんの言う通り、アミラーズさんを探そう。チャンスを窺うのよ」
みんなの視線が養殖竜のパフォーマンスに集中している。
今ならば、ベルティスから頼まれたもう一つを決行できるかもしれない。
「私たちもお兄ちゃんの役に立つ。アミラーズさんが持ってる首飾りを奪うの!」
天然竜の骨を使った首飾りも、ベルティスが是が非でも押さえたいと言っていた竜の品。製造者の名前、所有者の名前、密猟した証拠である天然竜の骨が使用されている首飾りだ。これを、騒ぎを起こすことなく奪うのも自分たちに与えられた任務だ。
「ルワンダさんはモドリーヌさんを守る側の人なのよ。盗賊団みたいな危ないヒトじゃない。竜の血……リアには全く分かんないけど、養殖竜を育ててる人の近くに暮らしてるんだったら、怪我した竜の血が服に滲み込んだのかも」
とにかく、ルワンダのことを見ている場合ではない。モドリーヌ卿の近くに武人のルワンダがいるのだから、今ばかりは目を離しても大丈夫。
セシリアはラミアナの頭をルワンダのいる方角から離し、アミラーズを見つけさせようとした。
「ウエディング衣装を着ているのよ、すぐに見つかるはず」
お色直しが終わったアミラーズは、すぐ見つかった。さすがにこの人混みでも、挙式の主役である新婦の存在感は強い。人ごみのなか、純白のウエディング衣装が映えている。
直後、屋敷の裏手にある森の方角で、鳥たちが一斉に飛び立った。つられて視線を上げてみれば、青空のなかジワジワと大きくなっていく黒いシミ。鳥の大群? 違う、鳥の大群などでラミアナが唸り声を挙げるものか。
「竜……!」
セシリアよりも数秒遅れて、とある場所から女性の悲鳴が場に轟いた。直後、披露宴会場は混乱の渦に陥る。空を見上げ始めた客人の多くが、それと反対方向に逃げ始める。指示を出している男の怒声はモドリーヌ卿。それに続いてルワンダが冷静に客人を屋敷へと避難させ始めるが……──
「……新婦から人がはなれた」
場の混乱によって、人々の視線が新婦から大空へとうつる。すぐさま行動を開始したのは、意外にもラミアナだった。マスターに命令された「アミラーズから首飾りを奪え」という命令を従順に決行し、すばやく新婦から首飾りを奪い去る。盗品はラミアナが首からかけ、服の中にしまった。
「わ、私とジェームズの愛の結晶!! 待って……待って、それはッ!!」
「アミラーズ!! 俺達も逃げるぞ、ここは危ないッ!!」
新郎のジェームズは、そのままアミラーズの腕を掴んで逃げようとする。けれど直後、ジェームズの背中に矢が突き刺さった。
上だ。
竜の背に乗った男たちが、舌なめずりしながら矢を放っている。
セシリアはさっとモドリーヌ卿の姿を探した。きっと彼らはヤヴェール盗賊団だ。狙いはきっとモドリーヌ卿! 今こそ自分が、言いつけ通りあの人を守って……──
視界の端で、赤いドレスを着た少女が動いていた。一拍出遅れて、セシリアも駆け出す。
その一拍のせいで、間に合わなかった。
モドリーヌ卿が首から血を流して倒れ込む。けれど彼女の動きは止まらない。すんでのところで冰剣を抜き、セシリアが彼女のナイフを弾き飛ばした。
「レベッカさん、なんで────ッ!!」
直後、レベッカが躊躇なく裏拳を放ってきた。彼女がベルティスを助けたという格闘術。速い。セシリアは虚を突かれ、とっさに反応が遅れる。軽く押されるが、踏みとどまれた。
「答えてください!!」
一度後退して距離をとったレベッカは、自分の首からさげていた、あの『笛のかたちをしていた骨細工』を掴み、口をつけた。もしかしたらあれは首飾りではなく、本当に《笛》だったのかもしれない。
ただここからが、ありえない現象だった。
「痛……っ!?」
レベッカが吹いた笛から、あの《音色》が鳴り響く。
誰にも聞こえない、けれどセシリアには聞こえる悲鳴のような甲高い音。ラミアナに牙を剝かせ、気絶していたはずの竜を起き上がらせたもの。
「なんで……っ!?」
里長に認められた人間しか教えられない裏笛の音色だった。
戸惑いの鳴き声をあげていた七頭の養殖竜たちが、その瞬間、大きな翼を広げて暴れ始める。
まさしく本能に引きずられるままに──




