Episode055 ウソつき人間の道化
冰結宮殿、エクスタリア王国、430階層。
モドリーヌ卿邸宅──
「結局、何も起こりませんでしたね、モドリーヌ卿。もう明日は、アミラーズお嬢様とジェームズ様の結婚式……」
「ヤヴェール盗賊団といえど所詮は腰抜け。モドリーヌ商会に喧嘩を売ることがどういうことか、あの男も分かったのだろうよ」
ややしわがれ始めた声の主は、モドリーヌ卿。
彼は葉巻の煙をたっぷりと口に含み、目の前にいる相手に吐き出す。対し、煙をかけられたセミロングヘアーの女性は、それに怒りを覚えることはない。
一週間前、昇降盤でヤヴェール盗賊団に恐れわれて以来、モドリーヌ卿は優秀な護衛を集めて自分の身を守らせていた。彼女もその一人である。
「私も含めた六人の強者がいれば、ヤヴェール盗賊団ごとき下賤な者どもも、簡単に蹴散らすことができましょう。……このルワンダ、モドリーヌ卿のために命を張らせていただきます」
ルワンダ・ベルクーリ。
モドリーヌ卿が新たに雇った護衛とは違い、古くから傍で仕える直属の部下である。
そんな二人のもとへ、赤髪の主が現れた。
「六人じゃない、七人よルワンダさん。あたしも一応、モドリーヌ卿の護衛の一人なんだけど」
「誰かと思えばモドリーヌ卿の恩人様ではありませんか。……ご機嫌麗しゅう、レベッカさん」
昇降盤の襲撃事件でヤヴェールを追い返したレベッカも、明日の結婚式まで身辺警護の任についている。結婚式当日、モドリーヌ卿を守った恩人として紹介される予定だ。
「七人の護衛のうち女性はあたしたちだけね、ルワンダさん」
「そういえばそうですね」
二人だけ女性。しかも二人とも同じような背格好、同じような体型、同じような年齢である。違いといえばモドリーヌ卿に仕えた年数だろうか。
「あぁ…………そういえば」
きゅいっと、ルワンダの唇がつり上がった。端正な顔をレベッカに近付け、耳もとで囁く。
「あなたからとてつもなく……いい匂いがするわね。竜の匂いかしら。……ねえ、どうしてあなたから、こんなにも竜の匂いがするの?」
「それは一体どういう意味かしらルワンダさん。こちらも言わせれば、あなたからも強烈に竜の匂いがするわよ。鼻がひん曲がりそうだわ」
互いから漂う竜の香りに、双方の女性は疑問に思う。鼻を近づけ相手が何者か探ろうとする。けれど、先にたじろいたのはレベッカのほうだった。
ルワンダは勝ち誇ったような蠱惑的な微笑を浮かべ、なぜ自分から竜の匂いがするのか、説明を始める。
「モドリーヌ卿と一緒に、何度も竜舎を訪れているからに決まってるじゃないですか。モドリーヌ卿が有名な竜の養殖家というのは知っているでしょう?」
「……そうね、当たり前だわ」
「だったら、どうしてわざわざ竜の匂いがするって言うんですか?」
「……。さあね、匂うんだから仕方ないでしょ」
「そういうレベッカさんのほうがもっと濃厚で……いい竜の匂いがしますよ? とてもいい匂いですね、まるでその服に…………竜の血が滲み込んだことがあるかのよう。ねえレベッカさん、あなた竜の死体を近くで見たことはありますか?」
レベッカの腕を、ルワンダが握りつぶす勢いで掴む。相手の目玉を舐めそうなほどに、ルワンダは自身の顔を近づけて喋っていた。
「竜は死ぬときが一番、強烈でくさい匂いを発するんです。養殖竜ですらこの凄まじい匂い。服につけばが匂いが消えることはありえません。野生の竜であればことさら……──もしかして、竜を殺したことがおありですの?」
竜殺しをしたことがあるか、と。
聞かれたレベッカは、是も非も言わずにルワンダの肩を軽く押し、密着していた体を離れさせた。
「あんたの言葉はウソだらけ。……顔に性格の悪さが出てるわよ」
「あらご冗談を、それはお互い様でしょうレベッカさん。より多くのウソをついているのは、私ではない」
双方の女性はそれぞれウソを吐いている。
ただし、より多くのウソを吐いているのはレベッカのほうだとルワンダは言う。
「フンッ。……あたし、やっぱあんたのこと嫌いだわ」
「私はあなたのことが好きですよ。なぜならば、あなたは私がだぁーいすきな竜の匂いを、たっぷりとその身に纏わせているんですから」
「じゃあ、明日はさぞ楽しみだろうね」
明日。その言葉に、ルワンダは可愛らしく小首をかしげる。
「確かに、アミラーズお嬢様が挙式される日ですので、楽しみなのは当たり前ですが」
「明日の結婚式で、モドリーヌ卿ご自慢の養殖竜がお披露目されることくらい、あたしの耳には届いてるわよ。あんたの大好きな竜の匂いで、この屋敷全体は満たされる」
見栄えの良い養殖竜が、結婚式のためだけに別荘まで運ばれてくる。しかも七頭も。七頭もの竜が、新郎新婦の聖なる儀式を祝福するのだ。
「明日が楽しみね、ルワンダさん」
「ええ、とっても。レベッカさん」
ウソつき二人は、美しく微笑んでいた。
◇
「いよいよだ、野郎ども」
某所にて結婚式当日を迎えたヤヴェール盗賊団。
岩のうえに立ち上がった頭領・ヤヴェールは拳を握り、同志に呼びかけた。
「俺達より先に、単身モドリーヌの懐に潜り込んだ仲間からの連絡を、いま伝えよう。やっぱり俺達の予想通り結婚式当日には、俺達が抹殺すべき《竜殺し》の女が出席する!! 忘れたとは言わせない、あの日愛おしい竜が殺されたときのことを! 涙を流して兄弟たちと悲しんだ!!」
盗賊団のなかには、ヤヴェールと同じく様々な階層の竜の里出身の人間、竜との触れ合いがある人間がいる。彼らはヤヴェールの声に耳を傾け、歯を食いしばって憎しみの表情を浮かべていた。
「奴らは、俺達の家族同然の存在を殺し、それで得た利益で贅沢三昧!! おまえら、それをいいと思えるか!!」
「いや、そんなことがあっていいはずがない!」「家族を殺された痛みは、俺もよく分かる!」「最低な奴らだぜ、金持ちの野郎どもはよォ!!」「不正な利益で肥え太った貴族共も、俺がぶっ殺してやる」
雄々しい雄たけびをあげる盗賊団。
もちろん、43人全員が竜の里出身の人間ではない。けれどヤヴェールの思いに共感し、同じく貴族や金持ちを恨む貧民層の人間が盗賊をやっている。
「そうだ!! 俺達は汚い貴族、商人、金持ちが集めた不正な金品を徴収し、クソみたいな毎日を送っている人々に分け与える義賊ッ!! 野郎ども、武器をとれ! 竜に跨れ! モドリーヌに、そこに集まった金持ちどもに目にもの見せてくれるッ!!」
盗賊団を乗せた14頭もの飛竜が、緩慢な動きで岩穴から顔を出す。太い脚が地面を踏みしめるたびに大地が恨みに震える。巨大な翼が上下するたびに男達の士気は上昇する。飛竜が咆哮すれば、戦いの火蓋は切られたのと同じ。
「俺が……俺が、リフティの仇を取る!! そして、鱗を取り戻してみせる!!」
「オオオッ!!」
「モドリーヌとルーペシオンの結婚式を、ぶち壊せェエエッ!!!」
朝焼けの大空を、黒い鳥たちの唸り声が支配していた。




