Episode053 竜の里──エピリオン──②
「大丈夫かあんたら!!」
竜飼いだろうか、首に笛のようなものが垂れ下がっている。
意外にも身軽な動きでやってきた男は、こちらの顔を見て不審げに眉根を寄せた。
「だ、誰だ!? 見かけない人間だな…………まさか、また竜を殺しに来たのか!?」
「ち、違いますよ!? 絶対に誰かと勘違いしてますって!?」
とっさにセシリアがぶんぶんと首を振る。あまり効果はなさそうだ。男は腰帯から短刀を抜いて構えていた。
「なにもせず竜を気絶させるなんて、フツウじゃ考えられないことだ!! 俺は、俺はもう騙されないぞ!!」
「落ち着いてください、僕達は竜の里に危害を加えようと思ってここに来たわけではありません」
「そんな優しい面した人間にこの前だって騙されたんだ!! もう騙されるもんか! ベリィドラゴン、起きろ!!」
音の鳴らない笛が、男によって吹かれた。
ぴくんっと震えたのは、気絶していたはずの竜の体。脚がゆっくりと動き、上体を起き上がらせる。一つ、耳を塞ぎたくなるような遠吠え。己を奮い立たせた竜の目には、強い闘争本能が宿っている。竜騎士たちが竜に命令を出すために使用する法具と、同じような作用だ。おそらく彼らのは、古くから伝わる伝統ものだろう。
竜たちは警戒心を剥き出しにしている。それに対し、牙を剥き出して唸り始めたのはラミアナだった。
「ぐぅるる……っ!」
「耳が……痛い……ッ──ラミー!?」
耳をおさえていたセシリアが、異変に気付く。魔獣の本能が触発されているのだ。ラミアナの心を開くことには成功しているが、ローレンティアと違って完全な理性はない。このような事態になれば、本能に引きずられてこちらの命令を聞かなくなる。
──思ったよりこれは酷いな。竜がいるせいだけじゃない……まさか、あの笛のせいか?
「ラミー、ダメ落ち着いてッ!」
前傾姿勢。両手を地面に着いて、ラミアナから『獣』に似た圧力が放たれる。よもやこのまま暴走してしまうか。そんなところですっと、一切の躊躇なくベルティスがラミアナの後ろ首を掴んだ。
「お兄ちゃんッ!?」
「痛くはしないよ、軽い封印を施すだけだ」
この封印の冰術は一時的なものしか施せないが、本能の爆発を鎮静化させることくらい可能だ。力を無理やり抑え込まれたラミアナは、膝から崩れ落ち、それをベルティスが受けとめる。
「お、おい…………なんだ、その子は……」
ラミアナの気迫に押されて、尻ごみになっていく男。「なんでもありません」と小さく首をふっておく。腕の中にいる少女が落ちないよう抱え直してから、できるだけ屈託のない笑みを心掛けた。
「これを見てください。僕は、グリ様の紹介で立ち寄らせていただきました」
「これは……」
竜卿公爵家の家紋が刻まれた腕輪を見せると、男の顔が徐々に青ざめていく。誤解が解けたみたいで、彼はペコペコと平謝りを始めてしまった。
「も、申し訳ない!! ま、まさか公爵様のご友人様だとは露知らず……!! てっきり俺は、また竜殺しでも出たのかと……」
「いえお構いなく。僕も、竜の里に来たのは初めてなので戸惑っていたんです。……よかった、これでその『竜殺し』とやらの疑いもかけられずに済みそうですね」
「……あ。……あぁ、そうか。ま、まあとりあえず、里長のもとに案内いたしますので、どうぞこちらへ…………えーと……」
「ベルティスです。……この子はラミアナ、こっちの彼女はセシリア、そして……」
「マスターのすべてをお世話しておりますローレンティアと申します。このたびは里への歓迎を、深く御礼申し上げます」
「さ、さようで。……で、では、ベルティス様どうぞこちらへ」
竜飼いの不安を感じ取ってか、洞穴から見つめてくる竜の視線を感じる。とりあえず里に入る許可は下りたが、まだまだ警戒されている。この緊張感漂うピリピリとした雰囲気は、彼が言っていた『竜殺し』に関係あるのだろう。
「……うむ」
竜の里長は、どっしりとした体格のいい男だった。丸々とした上腕二頭筋なんか、思わずセシリアが「おおー」と感嘆の声をあげるほど。さすがに「さ、触ってもいいですか!?」と言い出したときは、さすがに止めたが。
それでも里長は気分を良くしたらしく、ベルティスの話を聞きながら、ときおりセシリアにマッスルポーズを決めて見せていた。
「そして、これがグリ様から預かった手紙になります。お納めください」
内容はおそらく、最近の竜乱獲騒ぎだろう。竜の里の監視が行き届かない範囲において、狩人たちが秘密裏に竜を密猟している。生け捕りは難しいので、その場で殺しているのだ。
竜が棲んでいた森や渓谷には、竜と争ったと思われる戦場痕が確認されている。
「……ひどいことだな」
「まったくその通りだと思います。さきほど話した通り、僕は竜の密売組織を壊滅してくれとグリさんから頼まれてこの王国に入りました」
「それは、竜の里の者みなが考えていることだ。あんたは……この感じだと冰力使いだとお見受けするが、本当にそんなことができるのか? 竜を殺している連中だ、なかには恐ろしいほど強い人間がいると聞く」
「僕はそれなりに冰術を扱えますし、ローレンティアも優秀な武闘家です。ここにいるセシリアだって」
「お兄ちゃんのお役に立ちたいです! 足はひっぱりませんっ!」
やる気満々のセシリアの髪を撫で「と、いうわけです」と、里長に目配せ。里長は顎に手を当てて、深く息を吐いた。
「里の者はみんな竜卿公爵様に感謝と尊敬の念を抱いている。他国なのに遠路はるばるここまで出向いてくださったり、下階層の人間だといって下に見てくるようなことはしてこない。だから、公爵様の推薦人を疑っているわけじゃないんだ」
「まぁ人数が人数ですし、そのうち二人は子どもですからね……」
組織壊滅を目論むにしては、明らかに戦力不足。特にセシリアとラミアナは、彼からすれば赤子同然に頼りなく見えてしまうだろう。こればかりは致し方ない。
「里の者が協力……というわけにはいかないんだろうな」
「余計な人員は被害の拡大を招きますから。……それに、今回の一件にはヤヴェール盗賊団という第三組織も絡んでいますしね」
「なに、ヤヴェール盗賊団……!?」
目を見開いた里長。
さて、ここからどれだけ情報を引き出せるかが勝負だ。
「やっぱり、里長はご存知なんですよね」
「……。あぁ、まあ……飛竜を使った盗賊を得意とする一味だからな。有名な話だから知ってるさ。でも、彼らとこの竜の話になんの関係が?」
「実は、さる商人の積み荷が盗賊団に狙われたんです。盗賊団はどうやら【竜の鱗】と呼ばれるものを奪いに来たらしいのですが、まぁ、ある勇敢な女性が撃退しました」
「……竜の、鱗……」
「僕もその場にいたんですが、その商人は【竜の鱗】なんて名前の商品はないと言ったんです。さすがに、ないものをヤヴェール盗賊団が狙うわけありませんから、僕はその鱗は何だろうと考えましてね」
「…………」
「もしかして、殺された竜の鱗では? どこの、とまでは分からなかったんですけど」
「……。そこまで分かっておられるなら、わざわざ年老いたジジイに聞くこともないでしょう」
もし、ベルティスが竜卿公爵家の使いでなければ、こんな危険な聞き方はできなかっただろう。なぜなら、これを肯定するということは、
「あなたのご想像通り、ヤヴェール盗賊団は、この421階層の竜の里から生まれた。盗賊団のボスであるヤヴェールは儂の息子だ。さらに狙っている【竜の鱗】というのも、この里で育てていた竜のものだ」
竜の里が犯罪に加担している、ということになってしまうのだから。




