Episode052 竜の里──エピリオン──
「では、そろそろ帰りますね」
「あらそう? でもそうよね、残念だけど仕方ないわ」
あびるほどの説明と、途中から相槌と愛想笑いだけが存在する会話をした。
彼女、アミラーズから受けた印象はあまりいいものではない。成功した父親のことを鼻にかけ、男に私物を見せつけ褒めさせることを至福の喜びとする。
意外だったのは、彼女が夫一筋の健気な女性だということくらいだろうか。九日後の別荘で行われる結婚式を心待ちにし、左手薬指にはめられた婚約指輪をうっとりと眺めている。夫のことが好きで好きでたまらないのだ。
『お兄ちゃん!』
思考しながら歩いていると、セシリアの声が脳髄へと浸透する。セシリアは疲れるからと言って滅多に使用してこないが念話だ。
ついで、察するにセシリアは少しばかり怒である。
「いまからそっちに帰るよ」
『ラミーが待ちくたびれてるんですよ』
『ますたー……早く帰ってきて……』
「すまないね、すぐ帰るよ」
『ほら、またラミーが公共物をかみ砕いちゃいます』
『ますたーくらいの丈夫な、男……いない。わたしが甘噛みすると、みんな、耐えられない。血、流して死んじゃう……』
『流血&殺人事件になっちゃいますよお兄ちゃん』
「笑えない冗談が上手になったなリア。ところでレベッカは見つかった?」
『全然見つからないんです』
「そっか。じゃあ店の外で待ってて」
彼女の財布がすっからかんになってしまう。こちらの目的──工房の奪取と竜の密売組織の内部調査は終了したので、早いところこの店から出てしまおうというのがベルティスの思いだ。
内部調査といっても、竜の品の確認である。
モドリーヌ卿が密かに天然竜の取引をしているのは《赤竜の遠吠え》といわれる財団の一部関係者。その筆頭と竜卿公爵家から名指しされていたのが、この店のオーナーであるジェームズという男。
ガラス張りのショウケースには差し押さえるべき天然竜の品があった。ただ、あのタイミングで無理やり竜の品を奪うことはできない。必ず警戒され、フィネアネス皇国にモドリーヌ卿を連行できなくなる。
さらにいえば、こちらが重要な証拠として押さえるべき物品が二つある。
一つ目、アミラーズが所有していたあの骨細工の首飾り。所有者と製造者の名前が完璧に記され、かつ80パーセント以上が天然竜の骨を使用している。あれを押さえれば、少なからずアミラーズとジェームズに竜密猟の嫌疑がかかる。当然、親であるモドリーヌ卿自身にも。
二つ目──これはまだ見つかっていないが──モドリーヌ卿とルーペシオン財団の交易記録、あるいは密書。これは押さえておきたいが、おそらくソレはモドリーヌ卿が大切に隠し持っているだろう。
まあとりあえずは、
──次に向かうべきは竜の里……か。
『竜卿公爵家は、エクスタリア王国の竜の里・エピリオンに援助している。竜に関する知識、さらに子竜を譲ってもらったりして、飛竜にまで育てているからな。エクスタリア王国に行った際は、ぜひ421階層にある竜の里に寄ってくれ』
竜卿公爵家にはそう言われている。いま腕に嵌めている金色の腕輪も、竜の里に行って『竜卿公爵家から遣わされた人間』だと示すために必要なものだ。──純金なので少々重いのが玉に瑕だが。
──そういえば……ヤヴェール盗賊団には竜の里出身の人間がいるってレベッカが言っていたよな。昇降盤を襲った時も、何頭もの飛竜を使って逃亡していたし……。
『り、リーダー!? 逃げるんですか!? ま、まだモドリーヌから【竜の鱗】も取り返してないんですよ!?』
『ハズレだ、この昇降盤に竜の鱗は積まれていない、俺達は襲撃する日を間違えたんだ!』
ヤヴェール盗賊団が狙っていた竜の鱗。
『養殖竜の鱗は加工しなければ商品にできん、色味が悪いうえに強度に問題があってあってな。じゃから言うたじゃろ、【竜の鱗】という名前の商品はない。鱗を使ったもんならあるが』
『鱗を使ってる商品を、名前が分からないから【竜の鱗】って呼んでたのね。ヤヴェール盗賊団が狙うものよ、きっとかなり手のこんだモノに違いないわね』
例えば、モドリーヌ卿が竜密売に関係していることを、ヤヴェール盗賊団が知っていたとしよう。そうなれば、彼らが狙っていた【竜の鱗】は、レベッカの言うような養殖竜の鱗を使った装飾品ではなく……。
──天然竜の鱗……か?
天然竜の鱗を奪い返したい、というのがヤヴェール盗賊団の本意。
しかし、昇降盤を襲ってまで取り返したいものなのだろうか?
「まぁ、行けば分かるか」
「どこに行くの?」
そこで、ひょっこり現れたのはレベッカだった。手にはすでにすっからかんになったコインバケツがある。……おそらく、スロットを回して空になったのだろう。もっと早く工房を取り返したことを言っておけば良かったかもしれない。
「このあとの予定だよ。竜の里に行く予定なんだ」
「え……里に?」
「どうした? そんな暗い顔をしてさ」
「う、ううん別になんでもないわ! ……えと、それよりありがとう。あたしのかわりに工房を取り返してくれたんでしょ?」
「半分はゲームがしたかったっていう理由だけどね。それに、僕だってビーチェさんには自分の工房で法具を作ってもらいたいから。……ってか知ってたんだ」
「……。本当に……ありがとう……」
レベッカの笑いに、覇気がなくなっていく。その理由は少しばかり気になったが、深く聞くのもどうかと思ったので流しておく。
「レベッカは明日からモドリーヌ卿のところで護衛だろ? 頑張ってね」
「まぁね、あたしにかかればヤヴェールの一人や二人、返り討ちにしてやるわ」
どや顔で答えるあたり、逆に心配だ。
付与冰術をもう一度かけておこうか……。いや、彼女は弱いわけではないのだから、大丈夫だろう。
◇
再び昇降盤を使って421階層まで移動する。
ビーチェから頼まれた法具の素材集めと、竜の里への訪問だ。
竜の里に移動するだけで丸一日を費やした。どうにも、昇降盤から竜の里まで馬車で移動するには不便だ。飛竜ならもっと時間を短縮できるみたいだが……。
「ここが竜の里か……」
自然環境の厳しい場所で人間が暮らす場所。王国内には複数個所存在するといわれ、彼らは唯一、野生の竜との触れ合いを全面的に許されている。
この竜の里は切り立った崖近くに作られていた。崖にはいくつかの洞穴があり、おそらく竜の寝床になっている。美しく装飾がなされた門の向こうにある大穴は、人間が暮らすためのものだろうか。あの奥から人の気配がする。
「お兄ちゃん入らないの?」
「待ってください。不用意に入ると、ここにいる竜が襲い掛かってきます」
「竜?」
「おそらく侵入者を撃退する役割を持つのでしょう。ほら、三段目の右から二番目、中央の四段目、左側から竜の視線を感じるでしょう?」
ローレンティアに諭され、セシリアが目を瞑る。
「うん。……でも、まえ乗せてもらった飛竜となんか違う気がするよ?」
「それはそうだろうね、公爵様に乗せてもらった竜は養殖竜で飛ぶことに特化した『飛竜』だ。対して、そこにいるのは小柄ですばしっこく番犬代わりになる竜かな。たぶん火を吹ける」
「わぁ…………絵本で出てきた竜みたい!」
「絵本に出てきた竜なら可愛い姫様を攫いに来ちゃうな──」
「ベリィドラゴンを止めろ!!」
洞穴から響いた声。さらにその洞穴から、三頭もの竜が飛び出してくる。翼が退化してとても小さい、あれは地を走る竜だ。
混乱しているのか、三頭が一直線に走ってくる。
下手な攻撃をすると竜に怪我を負わせてしまうし、なによりラミアナを刺激したくない……。
「リア、ラミアナから目を離さないで」
「了解です!」
「マスター、ここはわたくしが」
ローレンティアが手を組んで口早に何かを唱える。いわゆる言霊といわれる類で、言葉に強いイメージを乗せて相手にぶつけるものだ。手を出さずに気絶させられる方法として便利だ。
「大丈夫か、あんたら!!」
倒れた竜を見ていると、洞穴から誰かがやってくる。
おそらく、この三頭を止められなかった男だ。




