Episode041 《壁面調査》 他の者はいかに
冰結宮殿、682階層。
レスミーの指揮下におけるルチエール殲滅作戦のなかで。
「蛹化が進み過ぎですね……」
二千四百匹は討伐が完了した。問題なのは蛹になってしまった残り六百匹。殻が硬く、用意した火炎放射器では死滅させることができない。
仕方ないと割り切ったレスミーは、後ろ腰から肉厚のバスターソードを抜きさる。落下防止ベルトを外し、飛竜を操縦する竜騎士に向かって、七秒後に回収するよう伝えた。
躊躇なく真下の暗闇に向かって飛び降りるレスミー。彼女の体が蛹の先頭群に直撃しそうになると、大振りな動作で剣が振るわれる。その先でつむじ状の炎が発生し、みるみるうちにルチエールの蛹を焼いていく。
「総員、攻撃開始っ!!」
落下しながら剣を振り続けたレスミーは、七秒後、滑空してきた飛竜に回収されて次の指示を出していた。応じた竜騎士たちが各々に冰術、あるいは火炎放射を発射する。
かなりの労力と燃料を使用して、682階層におけるルチエール掃討は完了した。
──と。
猫の姿でそれを眺めていたのはローレンティアだ。
この結果を愛しのマスターに伝えたあと、ふわふわと上昇を始める。
すぐに682階層の地上に到着し、猫の姿でお目当ての人間を探す。ギリギリまで冰石を集めていたはずだから、すぐ見つけられるだろうと踏んでいた。
──見つけた。
昇降機が使用できる建物の奥に、三人の研究者とあの男がいる。理由はやはり、冰石の回収のためだ。
昇降盤は使用停止になっているものの、点検やその他さまざまな理由で昇降機は使用可能だ。あの昇降機でシャフトにある横穴──備品置き場兼中間休憩所まで一気に下ることができるはず。
おそらくそこに、冰石を回収するための特別な冰術を施していたのだろう。
『証拠隠滅は終わりましたか?』
「だ、誰だ!?」
振り返ったエブゼーンは、目の前にいるのが黒猫で驚いたことだろう。
ローレンティアは猫から女性の姿をとり、粛々と頭をさげる。
「お初にお目にかかります、エルマリア様のお世話をしておりますローレンティアという者です」
「貴様もあの男の虚言に騙されている。あの男は、俺がルチエールの女王を運び込んだとうそぶき、陥れようとしているのだ。そんな最低な男に俺は屈しない、俺はいまでもロザーギミック家のためを思っているのだからな!」
「自らの罪を逃れるだけでなく、わたくしの大切なマスターまで侮辱する発言……聞き捨てなりませんね」
「俺がやったという証拠などない。なんなら身体検査でもしてみればいい、冰石など出やしないから」
その余裕たっぷりな笑顔に、ローレンティアもにっこりと満面の笑みを返す。ゆっくりとエブゼーンに近付くと、次の瞬間、目にも留まらぬ早さで首を掴んだ。
うら若い女性の手が男の首を締め上げ、ゆっくりと体を地から離す。尋常ではない筋力だ。それを見ていた研究者たちが加勢に入ろうとするが。
「動かない方がいいですよ。わたくし、手加減が苦手ですので」
微笑で封殺。
ローレンティアはエブゼーンを掴みあげたまま昇降機まで近づく。経費削減のためなのか、業務用の昇降機には落下防止の柵があるだけで壁がない。それをいいことに、その柵の向こう側までエブゼーンの体を持っていく。
いま、ローレンティアが手を離せば、エブゼーンは奈落の底に落下する。
「ひ、ひぃぃいいい」
「知ってますか? ルチエールの女王は体内に溜めておける冰石の量で決定するんです」
孵化すればすぐ成虫となるはずのルチエールのなかで、一匹だけ幼虫の姿を取り続ける個体。それが次代の女王だ。
「じゃあ仮に、人間がルチエールの冰石を大量に飲み込んだとしましょう。ルチエールたちは、その冰石の匂いで『女王』だと錯覚を起こすんです。新たな女王の誕生を喜び、糸を吐いて繭を作り、女王が成長していくまで待ちます。人間だと分からないまま」
ローレンティアはひどく楽しそうな声で。
「証拠隠滅のためとはいえ貴重な冰石を捨てることが出来ず、とりあえず飲み込んで胃の中にルチエールの冰石を隠し持ったエブゼーンさん、さぞルチエールたちに気に入られるでしょうね?」
「た、助けて………ぐれぇ…………俺は、俺はまだ死にたくないんだァ!! 俺には家族が、俺の帰りを待っている家内がッ!!」
「ふふふ……イイ声ですね…………」
「ひぐっ…………っあ、あ、アア!!」
少しだけ緩ませる。まだこの男から聞きたい言葉を聞き出せていない。
「じゃあどうぞ、俺がやりましたと仰ってください。俺がすべての首謀者です、俺が悪かったです。──そして、我がマスターへの侮辱発言を取り消し、誠心誠意謝罪するとここで誓いなさい」
「します……しますします! なんでもしますから!! だから、だからこの手を離さないでくれ!!!」
そこから、呂律の回らない男の自白と、愛しのマスターへの謝罪が始まった。
この場に彼はいない。例え自分がこの男を屋敷に連れていっても、彼は喜ばないだろう。おそらく彼はこう言うはずだ。──僕への謝罪はどうでもいい。それよりセシリアにこんな汚いものは見せたくない、と。
「我がマスターは崇高なるおかた…………そしてとても優しいのです」
「な、……にを、言って…………それよりも早く、下ろしてくれッ!」
「あら、忘れておりました。それではちょいちょいと術をかけて……」
「な、なにをして……!?」
「闇の底で味わう恐怖を貴様に刻み付けてやらねば、私の怒りが収まりません。なので十分間だけ、虫になる体験をと…………。心配いりません、十分耐えれば終わりですから。……あぁほら、お迎えが来ましたよ」
エブゼーンの眼前に、一匹のルチエールが飛んできた。
幼虫ではない、完全な成虫のルチエールだ。見た目は蜂に似ている。
「や、やめ……──あぁああああああああああ!!」
ルチエールの吐き出した糸が、エブゼーンの体にまとわりつく。一重、二重、三重とその回数はどんどん増えていき、丸い繭のように包まれていく。
「いってらっしゃいませ」
手を離すと、エブゼーンは昇降路の闇へと消えていった。仲間がいないのは寂しいだろうか? ちょうどここには三人の研究者がいるので、殴って気絶させ、昇降路に投げ捨てる。
ちゃんと十分後には、あのニセモノのルチエールがここまで運んできてくれる。そのときには、涙を流して自らの罪を公にするだろう。
「あぁ今日もこのローレンティア、マスターのために善い行動をいたしました。帰ったら、ぜひ頭を撫でて褒めてくださいね」
愛しのマスターに撫でられる。
それを考えただけで、表情筋が緩んで自然と笑顔になってしまう。あとはノリと勢いで彼を寝室に連行して、ベットでイチャイチャと……。
「飼い猫にも愛撫の手をくださいませ、マスター」
乙女のように頬を赤らめながら、ローレンティアは702階層に向かった。
◇◇
「てへっ…………。あ、あの愚弟子め念話を切りやがった! 緊急事態の報告をしてるってのに、可愛げのない男だねェまったく!」
屋敷からラミアナが飛び出したことを伝えると、何も言わず念話を切られた。
まったく失礼な男だとフルーラは思う。
「これ、お兄様に怒られないかしら」
ユナミルの声音。
これ、というのはラミアナがやらかした屋敷の惨状だ。散らかった本、破れた絨毯、割れた窓ガラスなどなど。穴が開いて夜空のお星さまが見えている天井部分は特にいかんともしがたい。この惨状をベルティス……いや彼の絶対信者である女主人に知れたらどうなってしまうだろう。
「大丈夫さ、アイツがやらかしたいかなる不祥事にも対応できませんって忠告しといたからね」
「ならいいけど。……ねえフルーラ。あの石がさっき突然光って、中から女の子が出てきたわよね。あれってどういう原理なの?」
「ユナミルは知らないのかい。実はあの石はね、四皇帝魔獣《黄金喰らいの王》の心臓なんだよ。ここ三か月ほどアイツが引きこもってたのは、ラミアナを蘇らせようとしていたからさ」
「そうなの」
普通のリアクションだ。
「驚かないのかい?」
「千年前の賢者が今も生きてる時点で、驚きの沸点が急上昇したわよ。もうこれくらいで驚かないわ」
「ついでにいうと、あの愚弟子もその賢者の一人だったよ。アタシと違って輪廻転生ってやつだけどね」
人間離れしたベルティスの力を知っているためか、これにもユナミルが驚く様子はない。それよりユナミルが心配しているのは、さっき出て行った女の子のほうだった。
「追いかけなくていいの?」
「すでに三回死んで累計年齢五百を超えているアタシには、ちと荷が重いよ。ユナミルもさっき見ただろ、アイツのあの真っ赤な目。戦闘モードって言ってね、一番殺る気に満ちている目さ」
「強いの? フルーラでも負けちゃう?」
「正面から渡り合えば負けるよ。誰彼構わず噛み殺しちゃうから、あの愚弟子にはちゃんと首輪をしてもらわないと困るんだ」
四皇帝魔獣のなかで最も凶暴な『狼』の特性を持つラミアナ。
復活直後とはいえ、首輪をしていないラミアナの強さはフルーラを上回る。
「まさか女王の匂いで自分から復活してくるとはねェ」
屋敷から数キロ離れた先に、地上から昇降路に入れる場所がある。
ラミアナは真っ先にそちらへ向かった。
ルチエール・クイーンを殺すために。
「さてユナミル、面倒事は愚弟子に任せて、アタシたちはゲームの続きでもしようじゃないか」
「そうね、私が行っても足手纏いになるだけだし。ふふ、今度こそフルーラの初恋の相手を聞きだしてやるわ」
「二番弟子には負けないよ」




