Episode039 《壁面調査》 作戦開始
「ルチエールを掃討する? 私の目では、とてもではないがルチエールなんて見えないぞ」
「ムリないよ、昇降路はとても広くて暗いんだ。いま使ってる索敵スキルすら、ルチエールが肥え太らないとあまり効果ない。幼虫の時は、ルチエール専用の探索法具、あるいは目で見つけるしかないんでね」
ルチエールは千里眼泣かせの魔獣だ。なにしろ昇降路にいたら暗すぎて千里眼では使うものにならない。暗視の重ね掛けでも、幼虫が全体的に黒っぽい見た目をしているため同化現象が発生する。
また索敵スキルでは感知できないほど幼虫のルチエールは弱い。感知できた頃は大群全体が肥え太り、蛹化が始まる前兆だといわれる。
飛竜を使った討伐任務は、さすがのベルティスでも今回が初めてだ。
後続してくる竜騎士がいないことから、697階層の昇降路にいるのは自分たちだけ。連絡だけはしておこうと思って、手もとにある法具でレスミーに連絡をいれる。こちらが声を出そうと口を開いた瞬間、レスミーの掛け声が耳をつんざいた。
『いまから急降下を開始します!!』
急降下? ということは、レスミーは下の階層に向かっているのか。
690階層の本部テントにいたレスミーの近くには、すぐに出立できるよう数人の竜騎士が待機している。探査法具《天使の調べ》による女王または幼虫の報告がいつきてもいいように、準備を整えていた。
「ルチエールが一斉に孵化を始めたか…………、やはり女王の近くには《働き蜂》が待機しているな」
『その声はベルティスか!』
ようやく法具の連絡に気付いたレスミーには、少し焦りの声音が入っていた。
『ちょうどいい、おまえが今どこで何をしているのかはっきりさせておこうと思っていたところです』
「それに関しては予想通りですよ、レスミーさん。僕はいま697階層の昇降路に、エルリアとセシリアと一緒にいます」
『……。飛竜を使った観光ツアーじゃないのですよ』
セシリアとエルリアの存在は意外だったのだろう。しかしこちらにも事情があったのだ。あんなタイミングで飛竜に飛び立たれてしまっては、おろせる人間もおろせない。
後付けで言い訳をするならば、二人とも弱くないのも事実だ。
「足手纏いにはなりません。エルリアとセシリアには、魔獣という存在をこの目で確かめるイイ機会になるでしょう」
『言い訳がお上手なことで』
「お褒めに預かり光栄です」
嫌味を加えながらも、レスミーが怒る様子はない。レスミーとてエルリアの実力はよく知っているし、信じているのだろう。間違っても死ぬことはない。
『では、緊急時ですので手短に今作戦を伝えておきます。約八分前、《天使の調べ》によるルチエールの大群が報告されました。場所は、682階層、697階層、702階層の三か所』
702階層……?
自分の家がある階層なだけに、少し戸惑いを覚える。
『こちらは竜騎士十二名、騎士七名、飛竜十二頭とともに682階層へ急行しているところです。もちろん、シャフトを使って急降下してます。697階層が一番ルチエールの数が多いと報告を受けましたが、援軍は必要ですか』
「むしろ特例で僕の単独行動を許していただきたい。援軍は不要、すべて682階層に回した方がいいと思います」
『今回だけは、おまえの不遜な態度に賞賛の拍手を送りたいです。697階層にいてくれたのがおまえで本当によかった……』
竜騎士は全騎士の数パーセントしか存在しておらず、しかもだいたいの竜騎士は700階層以上で壁面調査をしている《竜卿公爵家》と行動をともにしている。今回、ルチエール討伐のために公爵家代表が十二人もの竜騎士を特別に貸し与えたのだ。
だからレスミーは、すぐ682階層に向かうことができたのだ。
『682階層に三千匹、697階層に六千匹、702階層に四千匹と、女王と思われる個体が一匹。心配しなくとも、おまえの家がある702階層には《竜卿公爵家》が向かっています』
682階層に三千匹。竜騎士複数名がいる今のレスミーならば殲滅できる数だろう。702階層も、向かっているのが竜卿公爵家ならば心配いらない。
六千匹のルチエールであるが、こちらも特に心配はいらない。
よかった。ルチエールの複数同時孵化という最悪のシナリオも、これなら切り抜けられそうだ。
さっそくベルティスは連絡用法具を切ろうとした、その瞬間。
『レスミー様!! あ、あれを…………あれを見てください!!』
法具の向こうで、男の焦ったような声。おそらく竜騎士の一人だろうが、なぜ真っ暗な昇降路で「あれを見てください」などという発言ができるのだろう。幼虫のルチエールは真っ黒だ。確かに、蛹化は始まると冰素の影響で半透明に光って見えるのは事実だが……。
「まさか……」
『蛹化が始まっているのですか!? ……おかしい、ラプンツェルから報告を受けてすぐここに急行しているのに、なぜこんなに早く蛹に……!?』
「レスミーさん、その682階層は女王が最も早く卵を産み付けた場所だ! 一斉に孵化したといっても、階層によって多少のばらつきがある!」
現在、女王がいるのは702階層。
つまり、682階層で卵を産みつけ(あるいは働き蜂達に運ばせた)、697階層で産み付け、702階層で産み付けた。そうなると時系列的に、産まれるのが早いのは682階層だ。
『まずい、成虫になれば翅を生やして凶暴になる! 照明弾、よぉーい……放てッ!!』
さらにいえば、完全な蛹になったルチエールは冰素の力を帯びて硬くなる。今まで効いていた炎が効かなくなったり、刃が通らなくなるのだ。
『シャフトの換気口を閉めます。ニケ、本部に連絡を!! シャルロッテ、ロッカ、ルーク、私についてきてください。火炎放射器、用意!!』
どうやら戦闘が始まったようだ。
こっちもおちおちしていられない。
下から上という順番ならば、次に蛹化が始まるのはこの697階層だ。六千匹の蛹化はさすがに笑えない。無差別の大型冰術とはいえ、昇降路を木っ端みじんにするような禁術は使用できない。早いところ殲滅作業を終えてしまおう。
「お兄ちゃん!!」
セシリアが大きな声を出す。どうしたのだろうと見てみると、セシリアがぷくーと頬を膨らませていた。
「リアになにかできることはありますか!?」
おそらく武者震いのような類で、まんまるほっぺを膨らませてるのだろう。いささか気が抜ける武者震いだが、セシリアの目はあくまで本気である。本気でベルティスの役に立ちたいと思っている。
おそらく、セシリアの面倒をみながらだとベルティス一人が行うより時間がかかってしまうだろう。それを曖昧にも伝えてみると、セシリアは立ち上がり、こう言った。
「速く斬ります! お兄ちゃんに「すごいね」って褒めてくれるぐらい、とんでもないスピードでルチエールを倒してみせます!!」
大型冰術のほうが速いに決まっている。
そんな当たり前すぎる言葉を、ベルティスは呑み込んだ。セシリアの気迫、才能、実力、そして初めての一対多数陣営の経験。
こんな美味しい経験値を溜める場で、自分一人がルチエールを殲滅したら、それはそれでいいのかもしれない。けれどセシリアには、何の得にもならない。ここには女王もいない、ただ弱い魔獣が六千匹いるだけなのにも関わらず、だ。
「けっこうグロいよ、見た目が幼虫だから」
「平気です、慣れてみせます!」
「飽きるかもしれない」
「飽きては修練が足りない証拠です! この程度では飽きません!」
……この子は。
本当に、頑張り屋さんだ。
努力を惜しまない。努力の才能を持った子だ。
「……分かった。エルリアさんも、了承してくれるかい?」
姉であるエルリアは、少し笑っていた。
「少し見ないうちに、セシリアは本当に逞しくなったな。どことなく、あなたと似ているよ」
「お姉ちゃん……」
「可愛い娘には旅をさせろっていうからな。私も後ろから見守っておくよ。……危なくなったら身を挺して助けに行くから、安心してお行き」
エルリアが自分のベルトを外し、セシリアのベルトも外す。すでに竜の上昇スピードはゆるやかになっている。これくらいならば、セシリアは立つことができる。
「よし、まとまったね」
ベルティスは軽く腕を広げる。
「ルールは簡単。このルチエール六千匹を蛹化が始まる前に殲滅すること、それがセシリアがやるべきことだ。ただ、ここは昇降路だから足場がない。セシリアは僕みたいに浮遊冰術ができないから、これには特別サービスだ」
一拍の静寂。
冰結宮殿とは、もともとは巨大な氷塊だったと昔の大賢者はいう。
本来、冰術とは氷のことなのだ。
だから、この世界で最も強い冰術は。
「解放」
ベルティスが最も扱いに長ける『氷のわざ』である。
「昇降路全域を範囲に規定。心象は氷の足場、条件は任意、消滅は破壊。世界に安寧をもたらす救世主の栄華、その補助を銘肝し意味ある役割をもってこの場に顕現せよ」
昇降路内の気温が一気に下がる。
身を凍らすような寒さが、三人の息を白いものにかえていく。
「足場だ、セシリア。僕が任意でセシリアの足場を作る。この氷の足場を使って、ルチエールを倒していけばいい」
空への恐怖、宙に出現する氷の足場を使った体重移動と踏み込み。
これが今回の、セシリアへ課す試練だ。




