Episode037 《壁面調査》 殺意の矛先
《天使の調べ》は、二つの事柄を同時進行で処理することが難しい。処理過程のなかで発生する熱に冷却装置に追いつかず、オーバーヒートしてしまうからである。
女王探査に絞って壁面スキャニングを諦めようとしたライアンに、エブゼーンは待ったをかけた。
エブゼーンがいうには、自分たちのチームに任せれば過熱現象を解決できるのだという。
「俺には並行処理を可能にする技術があります。ですから、今回の試運転の監督役、およびラプンツェルを全権委任していただきたい」
「ラプンツェルをおまえに渡せと!? ラプンツェルは私に任された仕事だろ!」
「確かに、俺はラプンツェルの責任者を決める研究者会議で、一歩及ばなかった。でもそれから、死ぬほど努力してラプンツェルの研究に勤しんだ! ライアンさんより俺のほうがラプンツェルを上手く使えるのなら、俺の方が今回の監督役に相応しい」
何やらライアンとエブゼーンには深い因縁があるようだ。
エブゼーンはラプンツェルを自由にできる権利が欲しいようだが、それもロザーギミック家全体の繁栄のためなのだろうか。
「俺は、ロザーギミック家の繁栄だけを考えておりますから」
ライアンも家の繁栄を考えるのなら、エブゼーンに任せるべきかもしれない。
ただ、試運転を成功させたという名声はエブゼーンのものになるだろう。
「……。分かりました。ただし、ラプンツェルが正常に動くことを確認してから、あなたにラプンツェルを任せます」
◇
「バカな、逆に精度があがっている?」
エブゼーンにラプンツェルを任せて、初めて行った壁面と女王の同時処理。その結果、壁面のスキャニング精度が九割強にまで上昇していた。
「これで分かったでしょう? 俺にラプンツェルの委譲を」
「く……っ。ここまで見事な結果が出たのなら、仕方ない…………ラプンツェルを任せます」
女王の位置捕捉もエブゼーンがやったほうが早い。あと数時間以内には女王の位置も分かるだろう。ライアンもエブゼーンに任せた方がいいと考え、全権を委譲した。
これでラプンツェルはエブゼーンのものだ。
「よし、これから全力で女王を探す! ライアン!! おまえが三日かけても見つけられなかった女王を、俺はいまから4時間以内に見つけてやる!! ロザーギミック家の繁栄は、このエブゼーン様によってもたらされる!! 次期当主も座も、おまえではなく俺のものとなるのだ!!」
──栄光を目の前にした人間の豹変ぶり……というのは。
「いささか、見ていて不快だね……」
「なにか言いましたかね、エルマリア様」
ベルティスは小さく首をふる。が、そのままエブゼーンに質問を投げた。
「そういえば、さきほど使用された冰石はどこで手に入れられたものですか?」
連続稼働時に発生する放熱現象を解決するため、エブゼーンは特別な冰石と冰術を組み込んだのだという。疑問なのは、あの冰石はどこで採掘されたものかということだ。
「どこってなにも、200階層ですよ。たまたま質のいい冰石を手に入れて……」
「活火山から採掘ですか。それにしては恐ろしく純度の高い冰石ですね」
「一度見ただけで冰石の質が分かるのですか。さすが、あのエルマリア夫妻のご子息様だ」
エブゼーンがいびつに嗤う。ベルティスは軽く肩をすくめ「親の話は置いておきますね」と、話の進路をもとに戻す。
「ルチエールは冰素を吸って成虫になるための糧とする。ただルチエールが蛹になると冰素が凝固し、結晶化を始める。これは成虫になったルチエールには毒になります。ルチエールが爆発的に繁殖し、そのあと一週間と経たずに全滅するのはこのためだって、もちろんエブゼーンさんは知ってますよね」
「ええもちろん。……だから、ラプンツェルが役に立つんですよ。ルチエールによって傷ついた壁面は、冰素の数値が変化する。傷ついた壁面があるところにこそ、ルチエールの大群がいるんです。今回、どれほどラプンツェルが人様の役に立っているか!!」
「ルチエールから採取される微量の冰石が、万年冰力層の次に高いエネルギーを秘めることを発見したのはあなたですよね、エブゼーンさん」
「はい? ええ、それはそうですが……それが何か?」
「ルチエールの女王はその体の重さから、400階層より上には移動できない。これは今までルチエールが発生した場所がそうだったことこと、女王の見た目が卵を産む前と後で異なることから、ほぼ確定している。さらにいえば、転移門 の設置個所が少ないエクスタリア王国は《昇降路》を使用する。女王がここまで飛んできた場合、当然エクスタリア王国を通過するはずですね」
もし仮に、ルチエールの女王が下階層からここまで飛んできた場合、エクスタリア王国の人間が女王に気付かないはずがない。なにしろ女王は、とてつもなく大きいことで知られているのだ。
「面白い推理だ。まるでエルマリア様は、壁面調査に参加している誰かが、幼虫状態の女王をどこらか捕獲し、ここまで運んできたように話されるのですね」
「その通りです。ちなみに僕は、その首謀者がエブゼーンさんだと確信しています」
そこまで話し終えると、エブゼーンは大袈裟に肩をすくめてみせた。くだらない、そう言いたげな顔だ。
「正直、エルマリア様には失望いたしました。なぜ俺が、我が家を危険に晒してまでそのような愚行をしなければならないのです? もしルチエールの女王が、家の人間を、あるいは公爵家のみなさまを傷つければ、家の繁栄どころの話じゃなくなります」
「さあ、それは僕の想像でしか話せませんので省きましょう」
過激派頭領エブゼーンは、前々からよくない噂がある。家の繁栄と言っておきながら自チームの評価しか考えない傍若無人のふるまい、魔獣を使った冰術実験、ライアンとの壮絶な次期当主争い。
人格が当主の座に似合わないと評価され、当主争いに敗れたエブゼーンはその当時、周りに当たり散らしたといわれる。
彼は家の繁栄といっておきながら、実は自分の名声しか考えていない男なのだろう。
「問題なのは、ルチエールの女王をここまで運んできたという事実だけです」
「だから俺じゃない!! なにを根拠にそんなことを!!」
「説明は面倒なので簡単に言いますと、僕の《飼い猫》が見たのです。エブゼーンさんが、ルチエールの大群が発見されたとき、下の階層の《昇降路》に向かったと。あれって……ルチエールの亡骸から出てくる冰石を取りに行ったんですよね」
一瞬だけ、エブゼーンの顔に確かな動揺が走った。ここまで見ればエブゼーンの犯行は確実視。しかしベルティスは、自白させることが目的ではない。この男をレスミーの前に突き出すつもりもなかった。
「安心してください。ただ僕が聞きたいのは、ルチエールの女王をどの階層の《昇降路》に投げ捨てたのか、それが知りたいんです。ラプンツェルではなく、あなたの口から」
「だから変な言いがかりをつけるのはやめろ! 証拠もないのに、そんな憶測で俺を犯人に仕立て上げるなんて……ッ!!」
「下手すれば死人が出るよ」
「だから俺はそんなの……────っひッ」
無駄なことを喋る男の口から、不意に悲鳴染みた情けない声が出る。零下の殺意がこもった冰槍が、エブゼーンの喉元へ肉迫していた。あと数ミリでも動けば肉を裂かれる。ベルティスから発せられる威圧感に、エブゼーンはゴクリと生唾を呑み込んだ。
「もう一度聞くよ。女王をどの階層の《昇降路》へ投げ捨てた? 人のいない400階層以下のところでは、女王は力尽きて自滅する。でもここは人が暮らすフィネアネス皇国。女王が《昇降路》から出て人を襲ってもいいというのなら、あなたは黙っていればいい。僕はこれ以上あなたに聞くことはないから」
「……な、何度言われても知らないものは知らない!! 俺には、そんな危険をおかしてまでルチエールの冰石を採取したい理由がないのだから、当たり前だ!!」
エブゼーンは口を割らない。
そう悟ったベルティスは、ゆっくりと氷槍を遠ざけた。殺気が遠のいたことで余裕を取り戻したエブゼーンは、乱れた髪を忙しなく整え始める。
「まぁ、犯人は俺以外の誰かだとしても、あなたの推測は理にかなっている。きっと、この国を憎むどこかのテロ組織が、女王を捕まえ、ある程度成長してから《昇降路》に投げ捨てたのでしょう! 全くふざけた人間もいるものだ」
「エブゼーンさん」
「な、なんだ? これ以上証拠なく言いがかりをつけるなら、俺も何らかの実力を行使させてもらうぞ」
「ルチエールによって、僕以外の大切な人、モノが傷つけられた場合……僕はあなたを許しませんから。それだけ、覚えておいてください」
去っていくベルティス。
その背中を見つめて、エブゼーンは初めて、本当の意味で彼が「化け物」だといわれる意味を理解した。
「おまえは人間じゃない!! 悪魔だ!!」
背中を這いまわる寒気に、エブゼーンは怯えていた。




