Episode035 《壁面調査》 壁面荒し
セシリアのフォローアップのおかげもあり、自分に対するエルリアの評価は人並みになったといえよう。しかしそれでも、あの写真事件がなくなったわけではない。事実エルリアは、チラチラとこちらを見てくる。
誤解があるとそれとなく伝えてみたが、エルリアは半信半疑だ。『エルマリア=セシリアを狙う変人』から『エルマリア=セシリアの保護者(変人)』という、やや認識が改まった程度なのだろう。悲しいかな、エルリアのなかのロリコン疑惑は根深く残っている。
七割方の悪印象はなくなったので妥協して──
──スキル『千里眼』『高位探知』を発動。
フルーラからの念話を受信──
「────」
「お兄ちゃん?」「どうした?」
鐘を安置している仕切りを潜って、時計塔という高所を利用して地平線の向こう──そこに見えるはずの冰結宮殿の壁面を見つめる。壁は万年冰力層の影響で半透明に透けてみえるため、遠くからではそこに『壁』があることすら分からない。
そのため、ベルティスは千里眼の使用で倍率をあげて壁面を視認する。
「どこだフルーラ」
『上を見なベルティス。運搬専用の《昇降盤》……その階層の天井と上階層の地下を繋ぐ《昇降路》付近だよ』
冰結宮殿はその名の通り巨大な建物であるが、上の階層に登るための『階段』が存在しない。なのに人間は街を興し、『上』に突き進みながら巨大な国を作った。では人間はどうやって『上』に逃げたのか。
冰結宮殿の神秘の一つである、聖名称《人類悲願の大渓谷》、人類はその巨大貫通路を、浮遊冰術あるいは自力で壁面沿いに登ったのだ。
その吹き抜け部分を利用した《昇降機》が作られ、文明の発達とともにより多くのものを一度に運べる《昇降盤》となった。
いまは《転移門》の出現により、皇国内でのサルミスは使用停止となっている。
「《昇降盤》……見えた、あれか」
空と同化したこの階層の天井と、この階層の壁面がぴったり交わる場所。
千里眼の使用によってようやく視認できるそこに、大きな穴がある。
あれが《昇降路》の入り口だ。
よじ登ればおのずと上の階層に辿り着ける。
『うじゃうじゃいるねェ』
フルーラが念話を使って伝えたかったのは、おそらく《昇降路》の入り口付近に群がる黒い点だ。シミ? 違う、あれは生き物だ。
「《壁面荒し》の幼虫か……」
ルチエール。幼虫は最弱に位置する生き物で、人間に攻撃することはない。
ただ問題なのは、やつらが冰結宮殿の壁面に含まれる冰素を成虫になるまで食すことと、繁殖力が異常なまでに高いこと。成虫になると凶暴になり、人間に襲い掛かる。
『しかしまぁ、なんでこんな高階層にルチエールの幼虫がいるんだろうねェ? ルチエールの繁殖場所は決まって400階層より下のはずなんだけど』
「女王が《昇降路》にいるのか」
『女王のいないところにルチエールは発生しない。あそこにルチエールどもが群がってるってことは、そうなるだろうよ。やっかいなのは、どの階層の《昇降路》にいるのか分からないってことだろうねェ』
ルチエールは弱いながらも、その壁荒しの性質から速やかな討伐が薦められている。卵を産む女王は高い討伐報奨金がかかり、騎士団の一隊で討伐される。
「いまどこにいるんだ? まさかこの階層にいるのか?」
『んぅ? アタシはアンタの屋敷でユナミルと仲良くお留守番してるよ。まえも言ったろ? 600から700はアタシの使い魔がいるんだ。このことが分かったのはそのためさ。──じゃあ切るよ、アタシはユナミルとの恋バナで忙しいから』
──フルーラのやつ…………またユナミルに妙な恋愛テクニックを教えるつもりだな……。
彼女のマイペースぶりはいつものことだ。だから魔女なのだ。遠回しに、気持ち悪いからアンタが何とかしろって言っている。
「お兄ちゃん、なにがあったの?」
後ろからセシリアの声がしたので、手短にルチエールのことを伝える。セシリアはきょとんとしていたが、エルリアは魔獣の名前を聞いて「まさか!?」と驚きの声をあげていた。
「ついさっき壁面調査を始めたばかりだぞ!? しかもこの階層は、もう調査を終えた。なのにいま魔獣が、どこからともなく発生したというのか!?」
「調査を始めて一日目だ、この階層の壁面は調べたけどこの上はまだだし、それにルチエールは、壁のでこぼこに卵を産みつけるんだ。卵の時は法具でもほとんど反応しない。……まぁ女王は、重たい体を必死に動かして690階層付近まで飛んできたってことになるけど」
無理なのだ。
卵を産む前の女王は、その体重のせいで長く飛翔できない。だからルチエールは400階層より下にしか発生できない。《昇降路》を使ってもここまで上ってこれないのだ。
──誰かが女王を故意に運ばない限りは。
「ん? なにか言ったか、エルマリア」
「なんでもない。とりあえずレスミーさんに連絡を入れようと思う。ルチエールの発生場所があんな高い場所だったら、なにか手を考えないとね」
そのとき、ベルティスの頬を強い風が撫でた。巨大な鳥が羽ばたいたような轟音もする。
月明りにぼんやりと照らされたソレは、家畜用の飛竜だった。
しかも六頭もいる。
「ベルティス、おまえも来なさい! 緊急事態です!!」
「レスミーさん……!」
◇◇
「さきほど《天使の調べ》が警告音が発生しました。よく調べれみれば《昇降路》からわんさかルチエールが出てくるじゃありませんか」
ベルティスは現在、《竜卿公爵家》の竜騎士が操縦する大型飛竜に乗せてもらっていた。異変に気付いた騎士公爵家代表がこの階層に呼び寄せたのだという。
行動力はさすがというべきだが、レスミーでもこの事態を呑み込みきれていないようだった。
「原因解明はあとまわしです。いまはとにかく、あのルチエールを殲滅しないと」
「僕を呼ばなくてもよかったのでは? レスミーさんには優秀な騎士達がいるんですし」
「こういうときくらい働きなさい。壁面調査に参加させたのは、こういうときにおまえの力が役立つからですよ」
「人使いが荒いなぁ相変わらず」
竜騎士は騎士団全体の数パーセントしかいないため、当然同乗できる騎士の数も限られてくる。少しでも強い人間を乗せて向かいたいのは当然だろう。
「近づくとよく分かりますね……、なんて数の多さなの…………」
一体の女王から産まれるルチエールの数は数百から数万といわれる。いま、冰結宮殿の壁面を覆いつくす黒いシミすべてがルチエールの幼虫だ。冰結宮殿の壁面を食し続ける人類の敵。
壁面に含まれる冰素を吸い、成虫になるための糧とする。
「そういえばルチエールって、成虫になったあと一カ月も経たずに死ぬんだ。成虫になるために集めた冰素が、だんだん凝固して結晶になると、ルチエールはその毒素に耐えられなくなる。亡骸からわずかながらも冰石が出てくるっていうのはこのためなんだけど、レスミーさん、これについてどう思う?」
「何が言いたいんですか? 確かにそうですが、あんなの微々たるものです。まぁ、女王ともなれば話は別でしょうが」
確かに女王ともなれば、亡骸から質のいい冰石が回収できるだろう。しかしルチエールの女王は、人間が討伐するよりも先に力尽きて自滅するといわれている。女王が卵を産むために隠れ続けるからだ。
それでも、その一匹の女王が生きている間、多くのルチエールが生まれる。
早く討伐しないと、壁面のダメージが増すばかりだ。
「ルチエールを焼き払え!!」
レスミーの号令とともに、竜騎士と同乗していた熟練の騎士達が、一斉に冰術を解き放つ。炎であぶり殺すのだ。弱点の炎であれば、ルチエールは簡単に死んでしまう。
ただ異常なまでに数が多く、半分も殺さないうちに騎士たちの顔に疲弊の色が出始めた。
レスミーの視線を感じて、ベルティスも行動を開始。
他の飛竜を下がらせて、安全を確認する。一度にすべてを焼き払おうとすれば、その温度は摂氏数千度だ。家畜用の飛竜ならまず耐えられない。
「ちょっとだけ飛びます。浮遊冰術、得意じゃないんですけどね」
「な、!? エルマリアさん!?」
竜騎士の反応も無理はない。高度数百メートルもの空に向かって、ベルティスは飛竜から飛び降りたのだ。
「落ちて…………ない!? 浮いてるのか!?」
「妙な冰術ですねベルティス。おまえはそんな冰術も扱えたのですか」
そのままベルティスは、早口で詠唱して炎を発射する。壁面にへばりついていた千体弱のルチエールは、ことごとく炭になった。
「…………まぁこんなものかな」
この光景を見た者すべてが、このとき初めて、ベルティスが剣ではなく上級冰術を扱う場面を見た。
「…………化け物だ…………」
「なんだ今の火力は……」
「あんなにたくさんいたルチエールを、一瞬で……?」
「あのひとの冰力は無尽蔵なのか……? 全然疲れてないぞ……?」
口をそろえて呟く騎士達。
彼らとは違い、レスミーだけはあまり驚いている様子がない。
「ここ一帯のルチエールはいなくなったようです。では、三大公爵家並びに騎士団の各隊にも連絡を入れます。地上に戻って至急会議が必要です」




