Episode032 《壁面調査》 一日目の昼
やってしまった。
何が見られてヤバいものはないだ。エルリアにとって、あの写真は『自分はロリコンだ』と自明しているようなものではないか。だかしかし、声に出して言いたいことがベルティスにはある。
「僕はロリコンじゃない。ロリコンは、本来分け隔てない女児への性的依存思考を意味するものだ。僕がこの世で可愛いと思える女性はセシリアしかいないのに……」
「マスター、その発言自体に少々怪しい匂いがいたします」
「え、ウソ」
「ホントでございます」
ローレンティアからツッコミを入れられて、ベルティスはさらに肩を落とす。
エルリアがセシリアを可愛がる気持ちと、自分がセシリアを可愛がる気持ちはほとんど一緒のはずなのだ。しかしこちらが男というだけで、不名誉なレッテルを貼られてしまう。なんて理不尽だ。
「ところでマスター、結晶石はいかがなさるおつもりで? まさか本当に返却なさるつもりですか?」
「返すつもりはないよ。ただ返さないって言うだけじゃあっちも納得してくれないだろうね、僕が結晶石を一人で処分するって言っても信用してくれないだろうし」
「では、何か考えておられるのですか?」
「まぁ、上手くいけば円満に返却の拒否ができる。……上手くいけば、の話だけど」
騎士公爵家は、四皇帝魔獣の結晶石を外に出してしまったことを悔やんでいる。是が非でも取り返し、何らかの処分ないし管理したいところだろう。
その噂を手に入れてきたのが、冰術の研究で有名なロザーギミック家だ。
ロザーギミック家からの手紙には、要約するとこう書いてある。
『是非ともロザーギミック家と取引してくれ』
結晶石が欲しい。四皇帝魔獣の心臓が欲しい。
ロザーギミック家は冰術の研究において魔貴公爵家と競争関係にある。ここで結晶石を研究材料にして、さらなる冰術の発展をものにしたいところだろう。
◇◇◇
ロザーギミック家の過激派は、頭領エブゼーンの名前をとってエブゼーン派ともいわれる。過激と思われても冰術を発展させたい、国力を豊かにしたいというのが彼らの思想だ。
ベルティスは要望通りエブゼーンに会いに行っていた。
両親がロザーギミック家と関係があったせいなのか、かなり手厚いもてなしだったように思う。転移門から研究所までの送迎、研究所内の案内兼宣伝、待合室で出された菓子類もそうだ。
エブゼーンの第一印象は、赤銅色の髪を整髪剤で撫でつけた好青年だった。歳は二十代過ぎといったところだろう。まぁ、宣伝頭ならルックスを重視するのが当たり前なのだが。
「ようこそおいでくださいました、エルマリア様」
「不要な会話はいい。それより取引のことですが」
「さすが、話が早くて助かります。こちらとしては、それなりの額をお支払いしたく……」
「結晶石を渡すわけにはいきません。これが、僕の揺るがない考えです」
「そ、そんな断言されなくても……。いまからそれに関するお話をしたいのですから、どうかくつろいで聞いていただきたい」
そこから、エブゼーンからびっくりするくらいの金額や、商業や証券関係の優遇話を持ち掛けられたが、すべて丁重に断った。理由は簡単、セシリアに剣を教えるためだ。黄金喰らいの王は粗暴なところが目立つものの、人の姿になったら武器の扱いが段違いに上手い。冰魔の剣姫クラスの剣士が一人増えれば、セシリアに良い刺激を与えてくれるだろう。
「本当によろしいのですか? 正直、我々に預けてくださったほうが、将来の魔獣対策に輝かしい道が開けますよ?」
エブゼーンのこんな言葉を最後に、ベルティスは研究所をあとにした。
これが先日の話。
現在ベルティスは、騎士団からの要請通り《冰結宮殿の定期検査》、いわゆる《壁面調査》に参加していた。場所は大集会場の隅っこ。ついさきほど、主催している元老院の最高責任者二人の挨拶がちょうど終わったところだ。
最後に壇上に現れたのは、麗しい武闘装束に包まれた騎士公爵家代表、レスミー・リリア・エンベルトだ。
『騎士団、および冰術関係者の諸君に告ぐ。この冰結宮殿は神より授けられた人類最後の砦であり、偉大な建造物である! 神秘の《壁面》……各階層に存在する万年冰力層に最高の敬意を示し、こころして壁面調査を行うように!!』
法具によって拡散される声音。
数千人規模の騎士全員が背筋を伸ばし、尊敬のまなざしでリーダーを見上げている。
『それでは第892回、650階層から750階層にわたる九日間の《壁面調査》を開始する!! 散会!!』
今回、フィネアネス皇国で重要拠点である650から750階層の壁面すべてが巡回される。騎士団は各小隊によって巡回する場所が決まっており、騎士公爵家はロザーギミック家とともに690から700階層、最後に元老院と皇宮殿がある750階層付近の壁面調査を行う予定だ。
騎士団の特別顧問士官という役割を与えられているベルティスは、騎士公爵家と行動を共にすることになっている。そのこともあり、ベルティスはレスミーに我儘を言っていた。
「──騎士見習いでもない人間を、壁面調査に参加させるなど…………相手がおまえでなければ、断っておりました」
「拒否されるかと思っていました。ありがとうございます、レスミーさん」
今回の壁面調査に、セシリアを連れていく。
これはベルティスが、壁面調査に参加する一つの条件としていた。連れてきた理由は、セシリアが壁面調査について深く興味を覚えたからである。
「まあ……そこのエルフの娘は、エルリアの妹であり、聖剣闘技会の優勝者でもあります。こちらとしても、優秀な剣士の願いを無下にはしたくありませんわ。……あとは、おまえが優勝賞品をこちらに渡してさえくれれば、すべて円満に解決するんですが」
「ご冗談を。壁面調査の最中は、結晶石のことは忘れてください。エルリアにもそう伝えておいたはずでしょう?」
「喰えない男。……おまえが金に素直な男ならば、こんなに手こずることはなかったのに」
「僕が金に素直だったら、レスミーさんも騎士団の顧問士官なんて役割を与えなかったでしょう?」
レスミーに気に入られている理由は、なにも実力だけの話ではない。金だけで動かない芯の通った性格も、どうやら理由の一つらしい。だから騎士団の顧問士官なんて役割を与えて、騎士公爵家とのつながりを切らせないようにしているそうだ。
「まあよい。それよりも、おまえはエルリアと会っていないのですか?」
「え、ええ……。見事にすれ違いまして」
この壁面調査では、もちろん男の姿をとっている。きっとどこかでエルリアと鉢合わせしてしまうと思っていたのだが、意外にも出会わなかった。セシリアと話しているのかもしれない。
ちなみにレスミーには、エルリアとは少女の姿で会っていることを伝えていない。話がややこしくなるからだ。これ以上の面倒は御免である。
レスミーが言うには、今朝からエルリアの様子がおかしかったらしい。おそらくメイドの悪い噂を真に受けて、今日出会うことを拒絶しているのかもしれないと……。
「拒絶どころか是が非でも会いにきて殴りに来る思うな、彼女の場合……」
「決闘を申し込みたいとも言っておりましたね」
「レスミーさんからも弁解をお願いしますよ。彼女、思い込みが激しくて聞く耳を持たないってセシリアから聞きました。それに僕、冰魔の剣姫に殴り込まれたら大怪我しそうです」
「よく言いいますね」
妙齢の淑女が浮かべる不敵な笑みというのは、芸術的な美しさがあるものだとベルティスは思った。
「さて、まもなく我が班も壁面調査の巡回を開始します。ベルティス、おまえもしっかり働きなさい」




